第1093話 肖像画

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 気に入ろうと気に入るまいとに関わらず、一応の形として成立しているのであればその場に居合わせた者としてはそれに合わせねばなるまい。貴族とは何よりも恥をかかされることを嫌う。すぐ脇に控える家臣たちのサポートを受けながらとはいえ侯爵夫人自らが司会を務めている以上、マルクスごときが何事かケチを付けられるわけもないからだ。

 マルクスはエルネスティーネに促されるままにリュウイチの前へ出ると深く頭を垂れて会釈をし、自らが仕える主君プブリウスに成り代わり、使者としての務めを果たした。


「ところでリュウイチ様には、我が主サウマンディウス伯爵よりもう二件ほど、用事を言付かっております。」


 何だ、何を言い出すのだ?


 型どおりの挨拶が一通り済んだ後、事前の打ち合わせには無かった用件を突然切り出したマルクスにアルビオンニア貴族たちに緊張が走る。


「一つは伯爵の抱える画家たちに、リュウイチ様の肖像画を描かせることをお許し願いたいのです。」


『肖像画!?』


 想像すらしていなかったリュウイチは思わず唖然としたが、アルビオンニア貴族たちの反応はさまざまである。「おお……」っと感嘆の声を漏らす者、「そう来たか」と何故か悔しそうに顔をしかめる者……エルネスティーネなどは家臣たちに助けを求めるように見回し、焦りをにじませている。


「はい、我が主サウマンディウス伯爵はリュウイチ様の御尊顔を是非拝見したいと望んでおられますが、今の情勢ではアルトリウシアに参ることは容易ではありません。

 ゆえに、伯爵子飼の画家に、リュウイチ様の肖像画を描かせることをお望みなのです。」


 何を大袈裟おおげさな……と、リュウイチは半ばあきれ、表情をわずかに曇らせた。映像を写真以上に手軽で身近なものにしたデジタルカメラが当たり前だったリュウイチからすれば画家に肖像画を描いてもらうなど途方もなく大袈裟なことのようにしか思えないのだが、この世界ヴァーチャリアにはそもそも写真が存在しない……というか、普及していない。写真の技術そのものは《レアル》から伝わってきているのだが、ガラスの加工を満足にできないため、写真撮影に必要な写真機も現像に必要な現像機も普及していないのだ。レンズは水晶を磨いて作る他なく、光学機器は降臨者が《レアル》から持ち込んだ聖遺物アイテムか、実験的に作られただけの非常に高価な試作品ぐらいしか存在しない。このため、有名人や有力者の姿などは肖像画に頼るほかないのである。


 肖像画と一口に言ってもプロの画家が数週間から数か月かけて描く、写真とほぼ同じようなリアルな質感を持つ油絵もあれば、モノクロだが日に何百枚と印刷できるリトグラフまで様々だ。ただ、油絵にしろ印刷物にしろ、最初の一枚はどうしても画家がじっくりと腰を据え、モデルに向き合いながら描く必要がある。途中で適時休憩を挟むとはいえ、モデルは長時間拘束されることになるわけだから、写真撮影などとは違ってお手軽にというわけにはいかない。それなりの負担を強いられることにはなる。それでも貴族が自分自身の権勢を広めるために描かせるのであれば自分のためなのだから我慢も出来るだろうが、他人のためにモデルになる人間からすればはなはだ迷惑でもある。そしてそうだからこそ、自分の画家に絵を描かせてもらったとなれば、それはモデルとなった人物とそれなりに懇意にしているということにもなる。


 アルビオンニアにおわす降臨者の肖像を、アルビオンニア貴族に先んじてプブリウス伯爵がお抱え画家に描かせていただいた……


 それはプブリウスからすれば上級貴族パトリキとしての大きな実績となるだろう。プブリウスお抱え画家が肖像画を描かせてもらい、さらにその絵を基にリトグラフなどで複製画を大量に印刷して頒布はんぷすれば、世間の人々はプブリウスので降臨者の絵姿を見ることが出来るようになったと、プブリウスの功績を高く評価する。他の貴族たちもその功績には一目を置かざるを得ない。実際、アルビオンニアの貴族たちは未だリュウイチの絵を描かせても貰えてないのだからだ。

 エルネスティーネがマルクスの申し出に焦りを露わにしたのもそこに理由がある。リュウイチの絵をプブリウスがいち早く頒布できたということは、エルネスティーネはリュウイチの身近に居ながらそれが出来なかったということになるからだ。伯爵家の功績が、そっくりそのまま侯爵家の恥になりかねないのだ。


「お待ちなされマルクスウァレリウス・カストゥス殿!」


 横合いから見かねたルキウスが制止を試みる。


「今はリュウイチ様の御降臨と存在とを秘さねばならぬとき

 そのことはプブリウスウァレリウス・サウマンディウス伯爵閣下も御同意なされておられるはず!

 にもかかわらずリュウイチ様の絵姿を画家に描かせるなど、秘匿の方針に反するのではありませんかな!?」


 アルビオンニア属州の貴族としてサウマンディアとの関係は重要である。まして属州領主ドミヌス・プロウィンキアエのプブリウスの意向とあればないがしろには出来ない。プブリウスがその権勢を高めるためにアルビオンニア側にできることがあればそれを惜しむつもりは無いが、さすがにそのためにアルビオンニア側が自ら恥をかくような真似までするつもりはない。おおよそレーマ貴族たる者、相手がたとえ皇帝陛下インペラートルであったとしても卑屈な態度をとることなどできぬのだ。このままマルクスの言い分をそのまま認めるわけにはいかない。

 しかしマルクスの方もそうした反応は想定していたようだった。さして慌てる様子もなく、上体だけを捻ってわずかにルキウスの方へ向き直る。


「肖像画はひとまず伯爵閣下がお求めになっておられるものであり、広く世間に流布させるためのものではありません。」


「しかし「またっ!」」


 反論しようとしたルキウスだったが、マルクスはルキウスの発言に気づかなかったかのように言葉を被せて強引に話を続ける。


「世間にリュウイチ様のことを知らしめるための絵も、そろそろ準備を始めた方がよろしいでしょう。

 リュウイチ様が御降臨あそばされてから昨日でちょうどひと月、降臨を報告する我らの早馬タベラーリウスが帝都レーマに到着するのは間もなくといったところでありましょう。そして返事が返って来るのが早ければあと一月半後……リュウイチ様の御降臨を公表するのはその後となるはずです。

 画家にリュウイチ様の御姿を描かせ、さらに印刷の準備を整えるまでの期間を考えると、今から準備を始めれば帝都レーマからの返事が届くころに何とか間に合うくらいです。

 ならば、リュウイチ様に肖像画を描くお許しをいただき、画家を手配を始めるのは今が絶好の機会ではございませんか?」


「んん~~むむむ……」


 ルキウスは困ったように喉の奥で唸り声を押し殺した。マルクスの言っていること自体は間違っていない。エルネスティーネにしろルキウスにしろ、リュウイチの身を預かる上級貴族としては当然考えておかねばならなかったことだ。だがそれらについて彼らは彼らが置かれていた様々な事情ゆえにそれを後回しにせざるを得ないものばかりだった。


『あの……』


 自分のことなのに自分を置いて勝手に盛り上がっているのが気になったのか、リュウイチが玉座から声をかけると、貴族たちは一斉にリュウイチの方へ向き直り姿勢を正す。


『えっと……

 画家に絵を描いてもらうって何だか大袈裟なように思えるのですが……

 その……どうしても、必要なことなんですか?』


「必要ですとも!!」


 マルクスは当然だと言わんばかりに両手を広げて答えた。それが意外に大きな声だったのでリュウイチは思わず驚き、目を丸くする。


「ウ、ウンッ!……マルクスウァレリウス・カストゥス殿!!」


 しばしの沈黙の後、マルクスの背後からマルクスの部下にあたるバルビヌスが咳払いし、低く抑えた声でマルクスをたしなめた。非公開とはいえ一応、降臨者という高貴な人物を前にした式典の最中である。仮にマルクスとリュウイチが親友同士だったとしても、今のマルクスの態度が許されるとは思えない。

 マルクスはそれに気づくとハッとしてリュウイチに向かって頭を下げる。


「大きな声を出してしまい失礼いたしました。

 申し訳ございません。」


『あ、いや……それはいいんですけど……』


 マルクスの態度はリュウイチにとって気になるほどではないが、肖像画を描いてもらうのが当然だという感覚は未だに理解できず、答を求めて会場にいる貴族たちの間に視線を泳がせる。すると今度はエルネスティーネが一歩前へ出てリュウイチに向かって一礼した。


「失礼いたしますリュウイチ様。

 やはりこの世界にとって降臨は一大事、いつまでも秘しておくことはできません。

 そして降臨が起きたことを世間に知らしめれば、如何なる降臨者様が御降臨あそばされたか、貴族のみならず庶民もみな気にすることでしょう。

 その時、リュウイチ様が御降臨あそばされたことを知らしめる際、絵姿があれば印象は大きく異なります。

 申し上げるにはいささか心苦しきことではございますが、《暗黒騎士ダーク・ナイト》様に対してこの世界の人々が抱く印象は恐ろしき魔神そのものでございます。

 ありがたきことに私共はリュウイチ様に直にお会いさせておりますのでさほど恐れずに済みますが、絵姿もなく、ただ言葉だけで《暗黒騎士ダーク・ナイト》様の御親戚が《暗黒騎士ダーク・ナイト》様の御身体をお借りて御降臨あそばされたと聞けば、人々は恐れおののき、世は大変な騒ぎとなりましょう。

 しかし、絵姿の一枚もあれば、その印象次第で恐れる必要はないと人々を安心させることも叶うものと愚考いたします。

 ゆえに、リュウイチ様の降臨を世に知らしめるにあたり、リュウイチ様のお姿を絵にするお許しをいただければ、私共といたしましてもありがたく存じ上げます。」

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