第1094話 時間稼ぎ

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 写真というものがない時代……絵画はずっと身近で、ずっと需要の高い情報媒体だった。報道、広告、図鑑、記念写真、絵葉書、ポスター……写真の登場によって圧迫され、絵画が市場を奪われた分野は広い。だが写真の無いこの世界ヴァーチャリアでは今でもそれらすべてを絵画が占めている。

 皇帝インペラートル領主貴族パトリキたち、そして王侯貴族たちは自らが治める領民に、そして他国の王侯貴族らに、自らの姿を知らしめるために肖像画を描かせ、それを送り合ったり、あるいは公衆の目に触れるところに掲示する。庶民であっても何か記念すべきことがあれば肖像画を描かせる。新聞にも広告にも絵は欠かせない。挿絵の無い本など売れもしない。絵画の需要はどこでも常にあった。

 しかし、全ての絵画が常に同じというわけではない。新聞や広告に使われるようなポンチ絵は絵柄が簡単な分、描くための時間も手間も少ない。印刷の都合上、色も限られており、普通はモノクロだ。平民プレブスが何かを記念して描いてもらう肖像画だって、画家の人件費を少しでも安くするために簡素な物になりがちであり、使える色彩もほんの数色程度に限られる。絵に色を付けるための顔料は高価であまり多く使えないからだ。庶民の肖像画がくすんだ色になりがちなのは、植物を絞って作るような安い顔料ばかりで描かれるからである。

 これが王侯貴族の肖像画ともなると違ってくる。一度に多くの人々に見せるために大きな絵を描く……当然、そんな大作は一人の画家では描き切れないので、画家の工房を丸ごと動員する。王侯貴族としての権威を示すため色彩も鮮やかだ。宝石を砕いて粉末にしたものを油で溶いて色を付けるようなことも平気でする。多少の美化も当たり前で、痘痕あばたなどのを消してツルツルの美肌に仕上げるくらいは当然だ。


 庶民には真似できない、総天然色の巨大な絵画。そこに描かれたあり得ないほど理想化された肖像を見て、圧倒されない人間はまずいない。


 ……おお!これが我らが君主!!


 肖像画は只の自己顕示欲・権勢欲の具現化などではなく、君主や領主にとっては必需品であり、強力な政治的手段なのだ。見る者の魂を揺さぶるほどの壮麗さ、美しさはそこに描かれた貴族をどこまでも偶像化し、領民たちの忠誠心と尊崇の念を駆り立てるのである。その肖像画にリュウイチを描くことで、貴族たちは降臨の事実を公表する際の世間の動揺に対処しようとしていた。


 かつて世界を戦乱に叩き込んだゲイマーガメル、それらをたった一騎で狩りつくした最強の魔神 《暗黒騎士ダーク・ナイト》……それが百年の時を経て再降臨!!


 そのような事実を知らされて動揺しない者などヴァーチャリア世界のどこを探したって居はしない。《暗黒騎士》は恐怖の大王そのものなのだ。

 だが絵画があれば……リュウイチの真の姿を理想的に描いた肖像画があれば、それを見た人々がいたずらに恐怖に駆られて暴走することを防ぐことが出来る。うまくすれば、戦乱を納めた偉大な降臨者の再臨として受け入れさせ、それに対応した貴族たちを新時代の英雄と位置付けることさえも可能となるだろう。


 そこまでの貴族たちの目論見はリュウイチには知る由も無かったが、しかし自分の飾らない姿を絵として晒すことで、人々が勝手に想像を膨らませて騒動を巻き起こしてしまうのを防ぐことが出来るかもしれないという程度のことはリュウイチも理解できていた。


 要は、報道写真みたいなもんなんだろうな……


『わかりました。

 絵を描いてもらうっていうのは少し気恥しい気もしますけど、必要だというのならお任せします。』


「ありがとうございますリュウイチ様。

 では、サウマンディウムへ戻り次第、画家の用意をさせます。」


 リュウイチの返事にマルクスを始め貴族の約半数ほどは顔に喜色を浮かべる。が、エルネスティーネを始め半数は相変わらず浮かない顔のままだ。

 画家に肖像画を描かせる……それ自体は最早くつがえしようがない。エルネスティーネたちはプブリウスたちが功績を伸ばし、自らは恥をかくことを受け入れざるを得ない状況となった。本来ならばエルネスティーネたちもお抱え画家にリュウイチの肖像画を描かせればよいではないかという話になりそうなものだが、残念ながらエルネスティーネたちの手元に優秀な画家がいないのだった。


 画家に絵を描かせたい場合、画家なら誰でも良いということにはならない。画家にも絵にもかくというものがある。格式高い絵はそれにふさわしい画家に描かせねばならず、歴史画や宗教画など格式の最も高い絵を半端な画家が描くことは許されない。肖像画も同じで庶民の肖像画程度なら誰が描いても文句は言われないが、王侯の肖像画となると宗教画でも歴史画でもこなせるような最高レベルの画家でなければ描かせられないのだ。

 肖像画の需要というものは割とどの地域にもそれなりにある。ゆえにアルビオンニア属州でも王侯貴族の肖像画を描けるような最高レベルの画家はそれなりに抱えてはいた。が、今は居ない。理由はやはり一昨年の火山災害である。

 火山災害を受けたアルビオンニウムが放棄された際、アルビオンニウムに工房を構えていた画家の多くがサウマンディウムへ逃れていたのだ。そしてアルビオンニアに残っていた画家工房はアルビオンニアの各地に散ってしまっている。いくつかの工房は侯爵家に従ってアルトリウシアに来てもいたのだが、宗教画や歴史画を任せられるほどの最高レベルの画家は一人しかおらず、しかもその一人は今クプファーハーフェンへ行っていた。新司教アドルファスの肖像を描くため、アルビオンニアの新たな司教座を置く地を探すアドルファスの旅に同行していたのだ。

 ゆえに、アルトリウシアにはリュウイチの肖像を描かせることのできる画家は一人もいない。アドルファスについて行った画家を呼び戻すこともできないし、他の地域から画家を呼ぶことも難しい。


「お待ちくださいマルクスウァレリウス・カストゥス殿。」


 アルトリウスが横から割り込むと、マルクスは既に結果が出ている自身からか胸を張り自信に満ちた態度でアルトリウスの方を向く。


「何ですかな子爵公子閣下?」


「サウマンディアから画家を寄こされ、リュウイチ様の肖像画を描かせる……そのこと自体は理解しました。止もしません。

 ですが、リュウイチ様の秘匿体制の都合もございますれば、こちらとしても準備が必要です。」


 見え透いた妨害の気配にマルクスは苦笑いを浮かべた。


「もちろん、サウマンディアわれわれとしても閣下らの事情は理解しているつもりです。

 大勢の画家を工房ごと送り込むような騒ぎは致しますまい。

 帝国南部で最高の画家を、最低限の徒弟のみを同伴させるだけにします。」


「サウマンディアで最高の画家というとマグナーミクス、はたまた最近評判のプテアールスですかな?

 いずれにせよ実力は疑うべくもありませんが、どちらも多忙を極め、注文しても中々応えてもらえないと聞いております。」


「伯爵閣下の御威光とあらば、他の注文を後回しにしてでもやるでしょう。

 なに、工房と宿舎を兼ねて一棟ばかり、マニウス要塞カストルム・マニにお貸しいただければ、あとはサウマンディアわれわれで面倒を見ますとも。」


「それは心配しておりませんが、それほど人気の画家が突然他の注文を放り出してアルトリウシアへ来たとなれば大騒ぎになりませんかな?

 秘匿の都合上、アルトリウシアに人々の注目が集まること自体、避けたいのですよ。」


 アルトリウスの狙いは時間稼ぎだ。今更、サウマンディアがリュウイチの肖像画を画家に描かせることは止めようがないが、しかし多少なりとも時間を稼げば肖像画を描かせることだけは阻止できるかもしれない。せめてアルビオンニア側の画家を手配を間に合わせれば、サウマンディアの独走を阻止してアルビオンニアとサウマンディアの画家に同時にリュウイチの肖像画を描かせることはできるだろう。


「その程度のことはいくらでも誤魔化せるでしょう?

 マニウス要塞カストルム・マニにはカール侯爵公子閣下もおられるのですから、カール侯爵公子閣下の肖像画を描かせることにでもしておけば、誰も怪しみはしますまい。」


 帝国南部で一番の権勢を誇る領主貴族といえばプブリウスだが彼は伯爵だ。爵位ではエルネスティーネの侯爵の方が上なのだから、プブリウスがカールの肖像画を求めたり、あるいはカールの肖像画を描かせるために画家をエルネスティーネに貸したとしても何の問題も無い。ましてや今アルトリウシアには実力のある画家が出払っているのだから、誰も不思議には思わないだろう。むしろ病弱ゆえに人前に姿を現すことのないカールの姿を肖像画で見られるとなれば、アルビオンニアの領民たちは喜ぶかもしれない。アルトリウスはこの場での時間稼ぎは断念せざるを得ないようだった。

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