第1095話 画家の“格”

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウスの抵抗はささやかに過ぎるように思えるかもしれない。確かに、なりふり構わずあらがえるならより強く出ることも出来ただろう。しかしアルビオンニアはサウマンディアから一方的に支援を受けている側であり、またマルクスが持ってきた提案もアルビオンニア側がやらねばならなかったにも関わらず出来なかったことを代わりにやろうと言ってきている、いわば助け船を出されているようなものだ。ここで強く出過ぎればサウマンディアとの関係に亀裂を入れることになってしまうだろう。

 それにマルクスの提案は悪いことばかりではない。サウマンディウムから画家を派遣するということだが、サウマンディウムに工房を構える画家の中には元々アルビオンニウムで活動していた画家も少なからずいるのだ。今回派遣されてくるのはおそらく伯爵家子飼の工房からだろうからアルビオンニア出身者が選ばれる可能性は無いが、アルビオンニアの降臨者という題材を描くのにアルビオンニア出身の画家が排除されたとなれば彼らも黙ってはいまい。画家としての面子を潰されることにもなるのだから、今回の件はアルビオンニア出身画家たちを呼び戻す良いきっかけにはなるだろう。


 表情をわずかに曇らせながら引き下がったアルトリウスにマルクスは満足げな笑みを浮かべ、勝者の余裕からか慰めるように言葉をかける。


サウマンディアわれわれとしましても閣下の御支援・御協力を得ないわけにはまいりません。

 確かに、事前に相談できなかったのは私の不徳の致すところ、このように多少の混乱を招いたことは心苦しく思っております。

 実際に画家を派遣するにあたり、具体的にどうするかは今後御相談させていただかねばなりません。

 閣下にはどうかよろしく、御協力いただきたくお願い申し上げる次第です。」


「それはもちろん、我々も協力を惜しむつもりはありません。」


 アルトリウスは涼やかな表情で胸を張った。皮肉や嫌味を受け流せないようでは社交界では生き残れない。


「伯爵閣下は本来、我々が成すべきながら手を付けられていなかったところへ手をまわしてくださいました。

 そのことに感謝しこそすれ、恨むことなどあり得ません。

 サウマンディアから来た画家が刺激となり、アルビオンニアの画家たちも励みになってくれることを期待するとしましょう。」


 そう、肖像画という栄誉はサウマンディアのものになるのは避けられないだろう。だがリュウイチがアルトリウシアに居る限り、その後はリュウイチの肖像画はアルビオンニアの画家たちが事実上独占することになる。最初の肖像画をサウマンディアの画家に描かれるという恥は一時のものだ。長い目で見れば、アルビオンニア側が巻き返していくのは確実なのだから、ここで小さな勝利にこだわるべきではない。

 アルトリウスが完全に白旗を揚げたのを確信したマルクスは満足し、アルトリウスに対して恭しく一礼する。


「さすがは子爵公子閣下、将来までをも見据える長い目を持っておいでだ。

 次代の領主の器量、このマルクス・ウァレリウス・カトゥス、感服いたしました。」


 負けを認めた相手を褒めるのは勝者の特権である。その特権を使うことを惜しむほどマルクスは愚かでも狭量でもなかった。今回の一件で恥をかかされることが明確になったアルビオンニア貴族のその一方の頂点に立つ子爵家の公子が矛を収めたことで、他のアルビオンニア貴族は食い下がることができなくなる。そしてマルクスが頭を下げることでアルトリウスの、ひいてはアルビオンニア貴族たちの最低限の面目も保たれる。

 不穏な余韻よいんは残しつつもひとまずこの場は治まりかけたその時、意外な所から話が戻された。


『あの……そういえばアルビオンニア側には画家はいないんですか?』


 突然のリュウイチの下問に一同はギョッとなる。全員が互いに目を見合わせながら、エルネスティーネがおずおずと答えた。


「その……もちろん居ります。

 ですが、リュウイチ様の肖像を任せられるほどの者となると一人しかおらず、しかもその者は今アルトリウシアを留守にしておりますので……」


『? ……そんなに違いがあるものなのですか?

 人の顔なんて、画家にとっては基本みたいな題材でしょ?』


 これには全員が目を丸くして息を飲んだ。一瞬リュウイチが何を言ってるか分からず、その意味するところを理解した者から順に慌て始め、場がざわめき始める。


 リュウイチは《レアル》の感覚で話している。この世界ヴァーチャリアの絵画事情が《レアル》とは異なることに気づいていない。そのことに貴族たちは気付いたが、ではどう違うのか、どう説明すればよいのかは自信が持てなかった。何故ならリュウイチがこの世界のことを知らないように、貴族たちは《レアル》のことを、途方もなく発展した文明を持つ途方もなく豊かな世界……というような、まるで御伽噺おとぎばなしの世界のようにしか理解していなかったからだ。


「……その、申し上げます。」


 ルキウスが仕方ないとばかりにリュウイチの前に進み出た。


「画家は確かに、誰でも人の絵を描けるでしょう。

 ですが画家にも、画家に描かれる題材にも“かく”というものがございます。

 デウス精霊エレメンタル、歴史上の英雄ヘーロースから貴族ノビリタス平民プレブス、家畜や虫まで、同列ではありません。

 高貴な存在の絵はそれなりの“格”を持つ画家でなければ描くことはできません。」


 ルキウスのこの答えにリュウイチは無言のまま眉を歪め、わずかな沈黙の後で納得できないという風に首を小さく横に振った。


『すみません。

 その画家の“格”っていうのが分かりません。

 私はカール君からいくつか本を借りて見せてもらいました。

 そこには挿絵があり、物語の英雄の姿が描かれていましたが、印刷された挿絵がそんなに飛びぬけて良い出来のようには思えませんでした。』


 リュウイチが困ったように言うと、ルキウスも困ったように苦笑いを浮かべた。


おそれながら、リュウイチ様の申されるそれはリトグラフか何かで印刷されたものでしょう。

 大量に印刷する本の挿絵と、今回画家に描かせようとしている肖像画は全く別のものです。

 大きなキャンバスに高級な顔料をふんだんに使って、精密に、まるでそこに本物がいるかのように描くものです。」


『そこに“格の違い”というのが関係してくるのですか?』


 どうやら新聞の風刺画のような絵と美術館でしか見られないような大作を同列で語ってしまったらしいことに気づき始めたリュウイチは気まずそうに苦笑いを噛み殺す。


「ご賢察の通りですリュウイチ様。

 歴史的記念となるべき偉大な絵画は、悠久の時に堪え得る最高の画材を使って描かれねばなりません。安い画材で描けば十年もしないうちに色せ、変質してしまいますから。

 そしてそうした最高の画材はいずれも高価であり、“格”の低い画家には扱えません。扱うためには経験が必要なのです。

 そうした最高の画材を使った経験があり、最高の題材を描いた実績があり、今回のような仕事を任せられる画家は限られるのです。」

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