第1096話 行き違い
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
高価な画材をふんだんに使い、おまけに失敗が許されない……それこそが画家に“格”というものが求められるようになった最大の理由だろう。それは製作者に対する絶対の信用と信頼とを現す一つの指標なのだった。
実際、絵画に使われる画材は総じて高い。最初から顔料が溶剤に溶かれた状態でチューブに入って一色一本いくらと手軽に買えるような“絵の具”なんてものはヴァーチャリアには存在しない。特にルキウスが言ったように時代を超えて長く衆目を集めることを目的とした絵画ともなると、経年劣化の起きにくい画材しか使えない。
顔料に使われる色の素は鉱物を砕いて粉末にした物を油で溶いて用いる。植物由来の色素では一年も経たないうちに色褪せてしまうのがオチだからだ。広告だの新聞だの何かの包装紙だのに使うには十分かもしれないが、何年も飾り続ける芸術作品には間違っても使えない。鉱物を砕いて粉末にするだけでも大変なのに、色ムラにならないよう粒子の大きさも細かく均一にしなければならない。そしてその鉱物も、色によっては本当に高価な宝石を砕いて使う。
イタリア・ルネッサンス期を代表する宗教絵画にやたらと青い色が使われているのはまさにそれだ。あの青色はラピスラズリを砕いて作られたウルトラマリンという顔料が使われている。元が宝石だけにウルトラマリンは非常に高価であり、その青がどれだけ多く使われているかという点だけで、その絵にどれだけ金がかかっているかをうかがい知ることができるほどだ。そしてそうであるからこそ、青い色をふんだんに使うことで絵を描かせたクライアントの、そして絵の持ち主の財力を示すことができたのだ。
教会や王侯貴族の財力の指標となるほどの価値のある絵画……それは文字通り国家予算レベルのコストがかけられることもザラである。当然失敗は許されない。豪華な顔料をふんだんに使って、出来上がった絵が子供の落書きレベルなんてことはあってはならないのだ。顔料の使い方を間違って、完成直後にボロボロと崩れ始めるようなのももちろんダメ。画力が凄まじく一見上手に描けているように見えても、神々が描かれているはずなのに一見しただけではどれがどの神なのか見分けがつかないような、解説文や誰かの説明を必要とするようなのもダメ。一目見ただけで描かれているものが何なのか、意味が分からなければならない。
数週間から下手すると数年もの歳月をかけ、国家予算レベルの費用を投じるのだから、それを請け負う画家には画力だけでなく、顔料として使う様々な鉱物や溶剤の扱い方に関する経験と技量、そして題材となる対象に関する広く深い知識も求められる。そうした諸々を含めた信用度、信頼性を象徴するものが画家としての“格”なのだった。
その最高格の画家がサウマンディアから送り込まれる……その意味にリュウイチは流石に少しビビる。正直言ってリュウイチとしてはそういう本格的な画家の、いかにも偉そうな肖像画を描かれるのが一番気恥しかったからだ。肖像画の必要性の説明の中で、リュウイチのイメージを絵で広めて人々を安心させるためという目的が語られていたので、てっきりもっと庶民的な風刺画やイラストじみた絵を描かれることを予想して途中から安心し始めていたのに、その安心は見事にひっくり返されてしまった。
『いやぁ……まいったなぁ……』
予想を超えた話にリュウイチはボリボリと頭を掻いた。てっきり気軽に写メでも撮るつもりでいたのに、写真スタジオでバッチリ正装して本格的な記念撮影だったどころの話ではない。
「何かお困りですか?」
『いや、みんなに見せて世間の動揺を鎮めるとかいう話だったので、てっきり本の挿絵みたいな簡単な絵を想像してたんですよ。
そんな偉い画家に本格的に描いてもらうとは……』
「ふっ……ふははっ……」
リュウイチのこの反応に複雑な笑顔を凍り付かせていたのはマルクスだった。もし、リュウイチが言った通りのことをマルクスが言ったのだとしたら、いやリュウイチにそのように誤解されるような言い方をしてしまったのだとしたら、それだけでマルクスはとんでもない無礼を働いたことになってしまう。
私、そんなこと言いました!?
信じられない冗談でも聞いたように居並ぶ貴族たちを見回し、リュウイチに冗談ですよねとばかりに両手を広げ訴えかけた。さすがにここで話をひっくり返されてはたまらない。
「まさか!
まさかそんな失礼なことは申しません!
申しましたではありませんか!
サウマンディアが誇る帝国南部一の画家に描かせると!?
伯爵の威信にかけて最高の絵を描かせて御覧に入れます!」
マルクスの取り乱し様に一番驚いたのはリュウイチだった。玉座から身を乗り出して取りなし始める。
『ああすみません!
その、あまりにも気合いの入った話で驚いてしまっただけです。
私の方こそ失礼でした、すみません。』
リュウイチが謝罪の言葉を述べたことで今度はマルクス以外の貴族たちが動揺した。
「リュウイチ様が謝罪することはございません!」
エルネスティーネが飛び出すように声をあげ、リュウイチが頭を下げようとするのを止める。
「リュウイチ様が誤解なされたとすればそれは私の説明が悪かったのでございます。
確かに私は領民たちの動揺を防ぐために必要とご説明申し上げました。
私の至らぬ説明でいらぬ混乱を招いた事、伏してお詫び申し上げます。」
『いえ、エルネスティーネさんが誤ることでは……』
結果的にエルネスティーネに頭を下げさせてしまったリュウイチは額に手を叩きつけるように当て、自らを戒める。その後、降参とでも言うように両手を
『これはお互いの文化が違うことで生じた行き違いです。
誰が悪いというわけではない。
そう言うことにしてください。』
混乱自体無かったことにしよう……リュウイチの方からそのように提案されれば貴族たちの側に拒否する理由は無い。彼ら自身の落ち度はそれによって否定されるわけだし、何といってもリュウイチの方が己の非を認めて引き下がろうとしているのに、そこへ追い打ちをかけるような真似など出来ようはずも無かったからだ。
「リュ、リュウイチ様がそのように申されるのであれば異存はございません。」
「寛大なるお心遣い、感謝申し上げます。」
マルクスとエルネスティーネは相次いでそう受け入れた。
多少の混乱はあったものの無事に画家を送り込む同意を取り付けたマルクスは胸をなでおろした。エルネスティーネや他のアルビオンニア貴族らはというとそうでもない。場は取り
どこか浮かない様子のエルネスティーネたちの様子、そして一人喜んでいる様子のマルクス……対照的な両者の様子がリュウイチには少しばかり気になった。一応、マルクスよりも世話になっているのはエルネスティーネやルキウスたちだ。それなのにマルクスの方に一方的に利益になるようなことになって良いのだろうか?
余計な波風を立てるかもしれない……でも……
リュウイチはしばらく悩んだ後、思い切って訊いてみることにした。
『あの……画家を受け入れるのは分りました。
でも少し気になることがあるんですが、いいですか?』
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