第1097話 描かれる絵は……

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



「もちろんです。

 誤解を生じさせるのはサウマンディアわれわれの望むところではありません。」


 マルクスは正衣トガの乱れをサッと右手で直し、何やら覚悟を決めたかのようにリュウイチの前で仁王立ちになった。リュウイチ相手の話はどうも最後まで気を抜いてはいけないようだ。《レアル》とヴァーチャリア……二つの異なる世界の垣根を超えるには言葉の違いを乗り越えるだけでは不十分なようだ。リュウイチの装備している魔導具マジック・アイテムソロモン王の指輪リング・オブ・キング・ソロモン』の効果による念話は話者のイメージをそのまま聴者に伝えるため、言葉の壁は容易に乗り越えることが出来る。が、文化の壁は容易に超えることが出来ない。話者が発した言葉に込めた意味を魔力で伝え、聴者の記憶にある言葉の中で最も意味が近いものに変換して伝えるが、整合性の取れない部分は必ず生じる。例えば「牛蒡ごぼうを食べたい」と念話で伝えた場合、相手がもし牛蒡という食材を知らない人物だったら、「木の根を食べたい」と言っているように伝わってしまうのだ。こういう整合性の取れない部分は聴者本人の理解力や想像力に任せるしかない。そしてその理解力とはいわゆる『常識』と呼ばれる先入観による補完にすぎないため、両者の間でそれを共有できていない部分ではどうしても誤解が生じてしまう。

 

 絵画の使われる目的……それもリュウイチを説得するために用いられた表面上の理由は広報である。そしてリュウイチにとってそれは報道写真のようなものだった。世界屈指の画家に気合いを入れて描かせる、美術や歴史の教科書に載るような傑作肖像画などではなかった。だからこそリュウイチは安請け合いし、そして話を聞くうちに実態が違うことに気づき、一度は認めた話があわやくつがえりそうな危機に瀕してしまった。


 だが実態は貴族ノビリタスの功名争いである。少なくとも、マルクスやエルネスティーネ、ルキウスといった貴族たちにとってはそうだ。

 絵画が広報のために使われるという点ではリュウイチの理解で間違いは無いのだが、そこにどうかかわるかが貴族の功績・名声に大きく影響するのである。貴族たちにとっての関心はむしろそちらの方が大きい。が、そのようなことはおくびにも出してはならないのが貴族社会というものだ。本音と建前の間には決して超えてはならない垣根がある。本音は決して明らかにすることなく、建前のみを前に出し、隠された本音は察するだけで表沙汰には絶対にしないのが貴族の在り方なのである。

 が、それが今、リュウイチに要らぬ誤解を与える基になってしまった。誤解を排除するには、本音と建前を隔てる垣根をどうにかせねばならないかもしれない。しかしそれは、一歩間違えばマルクスの社会的立場を左右しかねない問題だった。が、それでもマルクスはそれに対処せねばならない。


 この点、領主貴族パトリキの癖に貴族が嫌いなルキウスの方がよっぽど上手に対処できるし、実際にマルクスよりよっぽど多くリュウイチとの対話を重ねた経験もあって確実に一日の長があったのだから任せられるものなら任せてしまった方が良かったのだが、しかし当のルキウスは今のマルクスの追い込まれた状況に気づき、表面上はハラハラしながらも内心では愉しみながら見ていた。だいたい、アルトリウシアにリュウイチを預けて任せておきながら、今になってリュウイチへ色気を出し、あまつさえ侯爵家や子爵家を出し抜こうなどとするマルクスをあえて助けてやる義理は無い。


『いえ、絵を描いてもらうのは気恥しいですがもう理解しました。

 ただ、サウマンディアから送られてくる画家はお一人なんですよね?』


「はい、リュウイチ様のことを隠したまま有力な画家を送り込むには、侯爵公子閣下の肖像を描くという名分を利用するのが適当でありましょう。

 それによって、誰にも怪しまれることなく送り込めるのは、一人がせいぜいかと愚考いたします。

 しかし、絵を仕上げるのに必要な徒弟は同行させますので御心配には及びません。

 むしろ偉大な降臨者様の肖像画を描けると知れば、画家は徒弟に手を出させず、すべてを自分の手で描こうとするかもしれません。」


 画家にとってリュウイチ様の絵を描けるのはそれくらい名誉なことなのですよと、言外に込めてリュウイチをおだてながらマルクスは答えた。もちろん、実際は煽てた以上に本気で取り組むつもりでいる。ここで画家が手を抜くような真似などするわけは無いが、仮に手抜きをしそうになってもマルクスは決して許しはしない。この絵には伯爵家の威信がかかっているのだ。画家には全力を尽くさせるし、全力を尽くせるよう万全の支援体制を整えるつもりでいる。


『先ほど、今から画家を手配しても一か月半後にようやく出来るぐらいで時間的余裕はないかのようにおっしゃっておられました。

 それって私一人の絵を描くのに一人の画家がってことですよね?

 やっぱり手が足らなくて間に合わないんじゃないかと心配になるんですが……』


 ? ……何を言ってるんだ?

 確かに時間の余裕はないが間に合うことはもう理解していただけている筈。

 それとも画家一人では間に合わないような大作をお望みか!?

 まさか、壁画じゃあるまいし、それにそのような極端な大作を望んでおられるような様子は……


 マルクスはリュウイチの質問の意味を掴みかねて逡巡しゅんじゅんした。だが念話で伝わって来るイメージは壁画のような馬鹿でかい絵ではなく、大きくはあっても普通に持ち運びできそうな絵画だ。


 ではやはり時間に余裕がないことを気にしているということなのか?


 迷っている間にも時間は過ぎていく。マルクスは間が空きすぎるのに気づき、ひとまず今自分が理解できている範囲で応えることにした。


「はい、ですが伯爵家の名誉にかけて万全の体制を整えてごらんに入れますので、リュウイチ様には何の御心配もいりません。」


『私一人の絵なら大丈夫でしょうけど、でもそれだけで良いというわけではないのでは?

 私がこの世界ヴァーチャリア転移降臨したことを世に広めるためなら、私だけじゃなくて聖女になったルクレティアやリュキスカとかの絵も必要になるのでは?』


「「「「「「あ」」」」」」」

「「「「「おう」」」」」」


 貴族たちは一様に声を漏らした。ただ一人、ルキウスだけが貴族たちの間抜け面を眺めて顔がほころびそうになるのを堪えている。


『とりあえず私の絵のことは分りましたけど、降臨が起きたことや私がこれまで身を隠していた間の出来事とかも広めなければならないのでしょうから、絵は私一人の肖像画だけでは済まないでしょう。

 やはりここはサウマンディアの画家一人に全てを任せるのではなく、アルビオンニアの画家も一緒に手分けしてかかった方が良いのではないでしょうか?』


「ご賢察の通りにございますリュウイチ様。」


 リュウイチの意図に気づいたエルネスティーネはマルクスが口の中で小さく「あー」っと声にならない声を漏らして頭の中を整理している間にいち早く反応した。リュウイチに向かって姿勢を正し、胸を張る。


「御意に従い、マルクスウァレリウス・カストゥス殿と再度協議し、事に当たらせます。」

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