《森の精霊》
第577話 森の変容
統一歴九十九年五月七日、深夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム
ペトミー・フーマンが回復したら彼の使い魔を使って森の中を捜索するつもりだったが、エイー・ルメオだけが戻って来てナイス・ジェークが危機的状況に陥っている事を報告してきたことから、ティフ・ブルーボール以下『
もう一人の盗賊エンテの方は、未だ目を覚まさないペトミーと昏睡状態の盗賊三人の面倒を見るために残されていた。昏睡状態になった盗賊の一人がクレーエの相棒であったことから最初はエンテの方を道案内に連れて行こうとしていたのだが、エンテは元・炭焼き職人であったため《
「ここか?」
「
ティフが尋ねるとクレーエは自信なさそうに答えた。クレーエは別に場所の記憶に自信が無かったわけではない。単に森に戻りたくなかったので、消極的な態度をとっていたに過ぎない。が、そんなクレーエの心情など知ってか知らずか、エイーが即座に力強くティフに報告する。
「ここで間違いないです、ブルーボール様」
ナイスを助け出したい一心で意欲満々のエイーを見てティフとクレーエが同時に小さくため息をつく。
クレーエが案内した場所は何の変哲もない、特に目印らしいものもない森の外縁部だった。そこはブルグトアドルフの森の北西、シュバルツァー川のほとりでブルグトアドルフの街の西に広がる牧草地から南へ数十メートルほどの位地であり、ブルグトアドルフの街からは森の外縁に隔てられて見えない場所だった。
約一時間半ほど前、エイーはトレントから結界からの出方を教えてもらった。だがトレントの言った意味を考えても具体的にどうすればよいかよく分からず、クレーエの「ひとまずやってみよう」という提案に従い、全員で手を繋いで目を閉じたまま何も考えずに後ろ向きに歩いた。すると、数歩歩いたところで急に川のせせらぎが聞こえ、目を開けてみたらこの場所だったのだ。
ここから入ればまたあの場所へ戻れる…
ここから出たのだから単純に考えればそのはずである。だが、そこから見える森の様子はエイーやクレーエたちが報告した異様な森とは全く違っていた。彼らが以前に見た通りの、まだ若い樹々がまばらに生えているだけの、森と言うより林と呼んだ方がよさそうな森だった。
「ホントにここなのか?
見たところ以前と何も変わらないぞ…」
数人がかりでなければ囲えないような太い大木が密生し、馬乗りになって
「ホントです!ホントにここから出たんです!
ここから見る森はこんなだけど、中は凄かったんです!!」
ムキになってそう言うエイーを見、それからクレーエの方を見るとクレーエは一同の視線に気づいて困ったように愛想笑いを浮かべた。
「お、お前だって見ただろ!?」
クレーエの態度のせいで自分の話が信じてもらえないと思ったエイーがクレーエに噛みつくように言うと、ティフはエイーの肩に手を置いて抑える。
「まあ待て、別にお前を信じないわけじゃない。」
エイーはティフの方を振り向いて訴えた。
「ホントなんですブルーボール様!」
「分かってる!
みんなだって疑ってるわけじゃない。
ただ、予想と違ってたんで拍子抜けしてるだけだ。」
ティフが宥めるとエイーは口を尖らせたまま黙り込み、恨みがましく他のメンバーを見渡した。
「みんなもそうだろ?
エイー、トレントは『結界』って言ったんだろ?
じゃあ、おそらく結界の外からは中の様子は見れないんだ。
結界の中は別世界に違いない。
入ってみれば…結界に入ってしまえば、多分エイーが報告した通りの世界なんだ。」
ティフがエイーと他のメンバーたちの間を取り持つように、全員を見渡しながらお言うと、今度は全員が渋々納得したようにうなずいた。
「よし、じゃあ入るぞ?」
「え、えっと、じゃあ旦那方、俺ぁこれで失礼してよろしゅうござんすか?」
メンバー全員が納得したところでティフが森へ入ろうとすると、クレーエが離脱の許可を求めて来た。思わず全員でクレーエを見る。
「えっ!?いや、あのだって、俺ぁここまでの道案内はしましたし…」
あんな
「お前の道案内はここまでじゃない。
トレントのいるところまでだ。」
「そんなっ!俺だって森の中の事なんて…」
「いいから早く先導しろ!」
「くっ!?」
『勇者団』は基本的に一般人をNPCとして見下しており、対等な相手とは認めていない。NPCの言い分にまともに耳を貸すのはエイーとファドくらいのものだ。そして、ここにはファドは居なかったし、エイーは今、ナイスを助け出すことしか頭になかった。クレーエは仕方なく「わかりました」と返事するほかなかったのだった。
しかし、メンバーの期待とは違い、森に入ってからも彼らはエイー達が報告した異様な森の様子を目の当たりにすることは無かった。相変わらず、林と呼んだ方がよさそうなほど若い樹木が生い茂るだけの、ごく普通の里山といった様子が続いており、上を見上げると木の枝葉の間から月や星の光を目にすることも出来た。
最初の内はあの森に戻ることを、トレントと遭遇することを恐れていたクレーエは普通の森が続いていることに最初の内こそ安堵していたが、しかしいつまでも同じような風景が続くことに次第に不安を募らせ始める。
あれ…ひょっとしてこれでこのままあの森に戻れなかったら、俺ずっと解放してもらえないんじゃ…
結界から脱出した時、目を閉じていたとはいえそれほど長く歩かなかったのは間違いない。多分、十歩と歩かなかったはずだ。ということは、十歩も歩かないうちにあの森に戻れてなければおかしい。なのに、既に数十歩は歩いているというのに全然あの森に入れないし、入れそうな気配さえして来ない。
クレーエは焦り始めたがどうにもならない。既に森のすぐ外を流れる川の水音も聞こえないくらい森には入ってしまっている。
ヤバい…話が違うって怒られるんじゃないか?
不安になったクレーエは立ち止まり、恐る恐る後ろを振り返った。
「ン、どうした?」
「いやっ、あの~…確かにここの筈なんですが…」
怒られるのを半ば覚悟しながら申し訳なさそうに言うクレーエだったが、ティフや『勇者団』のメンバーたちは意外なことに特に怒ったりはしなかった。ただ、「ふぅ~ん」などと言いながら周囲を見回している。
「あの~…旦那方?」
話を聞いてもらえてないのかな?と、クレーエが不安になって声をかけると、エイーもやはり信じてもらえてないと思ったのだろう。メンバーに向かって声をかける。
「ホントなんだ!ここなんだよ!
ここの筈なんだ!!
ブルーボール様!ソイボーイ様!!」
エイーは焦っていた。自分があれだけ必死にみんなを説得してようやく来てもらえたのに、話した内容と違う森の様子にみんなが呆れて帰ってしまうのではないかと、ナイスを助けることができないのではないかと不安になったのだ。
そのエイーに対し、ティフを始めメンバーたちは特に表情を変えることも無く周囲を見回しながら宥める。
「分かってる。
エイー、大丈夫だ。」
「ああ、お前は嘘もついてないし間違ってもいない。
ここに来て確信したぜ?」
「ホン…ホントに?」
「ああ、精霊の気配がする。
それもあの《
似ているが、別の精霊の気配だ…」
エイーが言った結界には入れなかったが、だがエイーが言ったような強力な精霊が…この間までいなかったはずの精霊の気配がそこには満ちていた。
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