第578話 現状認識のズレ
統一歴九十九年五月七日、深夜 ‐ ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム
『
ついこの間までモンスターとはまったく無縁そうだった人畜無害そのものと言っても良いほど平凡な里山の森は、今やあの《
間違いない、この森には
それも、かなり強力な精霊だ。
《地の精霊》よりも…いや、もしかしたらあのアルビオーネよりも?
ティフ・ブルーボールはどこか胸がザワザワするような、背筋が寒くなるような何とも言えない不快感に耐えながらゴクリと唾を飲み込んだ。
実際のところ、この森の《
しかし、制御しきれていない余剰分の魔力とはいえ、一度は《森の精霊》のものとなった魔力だけあって、ティフたちは森に満ちた魔力の気配に《地の精霊》のではなく別の精霊…すなわち、未だ見ぬ《森の精霊》の気配を感じ取っていた。ゆえに、ティフ達は《森の精霊》の実力をアルビオーネ以上ではないかと過大評価してしまっていたのだった。
「じゃ、じゃあ、ト、トレントはまだ見えてないですけど、俺の役目はここまでってことでいいですかねぇ?」
ティフの様子からどうやらこの場所までの案内で納得してくれそうなこと、そして同時にここが既にヤバイ領域らしいことを察したクレーエがご機嫌を伺うようにぎこちない笑顔を浮かべながら尋ねた。
こんな所に長居は無用だ。
この人らは何を求めているのか知らないが、あんな化け物どもに出くわすなんざ二度とごめんだ。
帰って良いならとっとと帰らせてくれ…
「おう、いいぞ。ご苦労だったな。」
クレーエに答えたのはティフではなくスモル・ソイボーイだった。口角を引きつらせて、クレーエのようにどこかぎこちない笑みを浮かべている。
「でも、帰るなら気を付けて帰れよ?
途中でトレントに出くわさなきゃいいがなぁ…
せめてそのオモチャがトレントを追い払うのに役立てばいいんだが…」
「え?」
クレーエは思わず手に持っていたレルヒェの銃をギュッと握りしめて凍り付く。
ここから森の外まで五十~六十ピルム(約九十三~百十一メートル)はある。すぐと言えばすぐだが、この場所から森の外側は既に見えない。途中でトレントに出くわすなどと言われると途端に不安になって来る。
「
「俺たちは用があるからお前を森の外まで送ってやることは出来ん。
一緒にいるんなら、まだ何とか守ってやれるんだが…」
スモルが
こ、こんなのがあんな
巨大な動く老木にたかが直径一インチに満たない鉛玉を撃ちこんだところで効くわけがない。
「
「ふんっ、じゃなきゃ来ねぇよ。」
スモルはそう言ったが、周囲に間断なく視線を配り続けている。声もどこか張りが無く、微妙に震えてもいるようだ。それは戦場で恐怖や不安に怯えながらも、それを隠して強がりを言う新兵にありがちな態度だった。
クレーエはスモルが強がりを言っていることに気付きはしたが、だからと言って自分の実力が到底及ばない以上、スモルたちに頼らねば生き残れないであろうことを忘れたわけではない。この森に一人で放り出されて生きて帰れる確証など持てはしないのだ。ならば何とか穏便に、スモルたちの機嫌を損ねないように外まで送ってもらえるようにせねばならない。
「へ、へえ…さすがだ…
もちろん俺も旦那方が強ぇのは知ってますよ。?
実力を疑うわけじゃねえが…でもね、あんな化け物と一体どうやって戦おうっていうんです?
旦那方ぁ、あのトレントを見たことないんでしょ?」
これまでの会話の様子からしても、この中で《
普通の人間が相手ならクレーエの言い方で通用したかもしれない。が、相手は『勇者団』だった。クレーエは知る由も無かったが、長い間会った事もない父たちの英雄譚に
「簡単さ!」
スモルは陽気を装って言った。
「トレントの脚は遅いんだ。普通の人間が普通に走るだけで簡単に逃げられるくらいにな。
だから、俺たちで協力して一撃離脱を繰り返せば簡単に
…時間は…まあ、少しくらいかかるかもしれないけどな。
な!?」
言いながらスモルはスタフ・ヌーブとスワッグ・リーに視線を送る。それに気づいたスタフとスワッグは「その通り」とばかりにニヤッと笑って見せた。
うう…ダメだ、この旦那方ぁ存外オツムがよろしくねぇぜ…
冗談じゃねぇ、現実を見ない馬鹿に巻き込まれたかねえや。
腹の中にじれったさのようなモノを押し込みながらクレーエは辛抱強く続ける。
「へ、へえ…そいつぁ頼もしいや…
でも
何体も居やがった。
ルメオの旦那もおっしゃってたでしょ?
ジェークの旦那も一体倒す前に次の別のが来るから斃しきれなかったって…」
「それは…ナッ、ナイスの奴が一人だったからさ!
だが見ろ!
今、俺たちはこれだけ人数が居るんだ。斃せないわけないさ!」
スモルはスモルでクレーエの態度にどこか嫌味のようなものを感じ、すこし苛立ちを覚えながらも余裕を見せつけるために陽気さを装って強がりを続ける。
スモルもスタフもスワッグももちろんこの森に漂う魔力から相手が尋常ではない実力の持ち主であることは感じ取っていた。だが、ティフのようにその実力差を想像できていたわけではない。ティフは昼間、アルビオーネと対峙していたからこそ自分たちでは強力な精霊には太刀打ちできないことを理解できるようにはなっていた。だがスタフたちは違う。相手が強大であることは理解できているが、それに自分の実力が及ばない事は理解してなかったし、想像もできていなかったのだ。
実はスモルたちは《地の精霊》の実力でさえ、未だに過小評価したままなのである。一昨日、アルビオンニウムで撃退されたのは《地の精霊》に実力で負けたからではなく、《地の精霊》が召喚したゴーレムやスライムなどの予想外の雑魚勢力によって調子を狂わされたから失敗してしまっただけだ…そう認識していたのだ。
一番最初にブルグトアドルフの
俺たちはまだ《地の精霊》と直接ぶつかったわけじゃない。
本気で直接戦えば、何とかなる!
それがスモルたちの認識だったのである。
当然、《森の精霊》の実力もティフほど深刻には考えていない。確かに強大な魔力を感じはする。本能ではそれを脅威と感じていたし、背筋がゾクゾクするような、
おいおい、コイツら本気で馬鹿なのかよ?
クレーエの理性が限界に達しようとしていたその時、ティフがその場を納めた。
「安心しろ。戦いは避ける。
エイーが言ったように、相手が人に姿を見せれるほど高位な精霊なら、話し合いでなんとかなるはずだ。」
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