第516話 魔導の指輪

統一歴九十九年五月七日、午前 - アルビオン港/アルビオンニウム



 一昨年のフライターク山噴火後に発生した土石流によって市街地を埋め尽くした土砂はアルビオン港にも流れ込んでおり、かつて繁栄を極めた船着き場はまるで砂浜のようになっている。この土砂を取り除かない事には再び大型船が接舷することは出来ないだろう。

 しかし、付近を航行する交易船や漁船が荒天時に湾内に避難してきたり、あるいは休息のために立ち寄ることは今でもままあるため、アルビオンニウム放棄後に比較的被害の少ない場所に一本だけ桟橋が整備されている。全長二十ピルム(約三十七メートル)クラスの船なら縦に二隻並んで接舷できるほどの長さがあるが、緊急避難時に使うことしか考えられてないため幅も強度も本格的な荷物の積み下ろしに使用するには少々心もとないものだった。おまけに比較的マシとは言え砂浜と化した場所に作られているため水深は浅く、ブッカたちが使う喫水きっすいの浅い戦船ロングシップ貨物船クナールならともかく、喫水の深い本格的な外航船となると水深の深い桟橋の先端付近にしか接舷することができない。

 このため、現在湾内に五隻ほどのサウマンディアの帆船が停泊していたが、桟橋に着けているのは荷下ろし中の二隻だけで、二隻は離れた風を受けにくい場所に錨泊びょうはくしており、残りの一隻は船着き場から少し離れたところで出港準備を整えながら、浜から短艇たんていに乗り込んだ要人…すなわちヴァナディーズを待っていた。ヴァナディーズが乗り込んだらそのまま出港する予定である。


「大丈夫かしら?」


 遠ざかる短艇と、短艇に座って乗っているヴァナディーズを浜から見送りながらルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアは心配そうにつぶやいた。

 ルクレティアも今日、陸路アルトリウシアへ向かう予定だったが、出発前にサウマンディウムへ旅立つヴァナディーズを見送りに来ていたのだった。


「御心配には及びませんよルクレティア様。

 ここからサウマンディウムまでは目と鼻の先、あの船の船長カピタネウスも経験豊富なベテランです。アルビオン海峡が難所とは言え、彼にとっては自分の庭のようなものです。無事に女史を送り届けてくれるでしょう。」


 ルクレティアの隣に立つカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子がルクレティアの不安を払拭しようと努めて明るい調子で励ますと、ルクレティアは振り返りもせずに首をわずかに降った。


「そうではありませんわ。」


「…そうではない?

 すると、途中で『勇者団ブレーブス』が攻撃してくるかもしれないということですか?」


 少し驚いたカエソーが尋ねると、ルクレティアは再び首を振ってカエソーの方を振り返る。その顔は何か言い淀んで逡巡しているようだった。


「そうではなくて…その…船に乗り込めるでしょうか?

 ほら、ヴァナディーズ先生も女性ですし…」


「乗り込める?…ああ!」


 ルクレティアが言いづらそうに顔を背けながら、自分の手で脚を…より正確には自分の服のスカート部分をさりげなく指し示していることに気付き、カエソーはようやくルクレティアが何を言いたいのか理解した。

 ルクレティアもヴァナディーズも、レーマの女性用の服としてはごく一般的なストラを着ている。旅装なのでその上から外套パルラも羽織って入るのだが、下半身は足首まで覆うストラのスカート部分だけだ。ワンピースのロングドレスの上からフード付きのケープをまとっていると考えてもらえば分かりやすいだろうか?


 そしてヴァナディーズがこれから乗り込もうとしている船は軍用のスループ船である。通常、港で接舷した状態で乗り降りする際は上甲板と岸壁や桟橋の間に板を渡して、そこを歩いて乗り降りするのだが、現在スループ船は何処にも接舷できずに海上に停泊したままだ。船に乗り込むには短艇ですぐ近くまで乗りつけ、そこから上甲板じょうかんぱんまで登らなければならないのだが、海面から上甲板までの高さは約二ピルム(約三・七メートル)ほどはあるだろう。

 その高さをロングスカートの女性が普通に登り降りするための階段のようなものは、あの船には存在していなかった。代わりに左右両弦りょうげん舷側げんそくに二か所ずつ、手や足をかけるための出っ張りを縦に並べて昇り降りできるよう梯子はしご状になっている箇所が設けられている。


 まさかヴァナディーズ先生が梯子を昇るの?


 下から見上げれば脚くらいは見えてしまうだろう。短艇には艇長や漕ぎ手たちが乗ったままであり、下からヴァナディーズを見上げるに違いない。いや、スケベ心からではなく、彼女の安全を確保するためにそれは必要なのだ。

 しかし、下から見上げられる女性からすればそれはたまったものではない。ちなみにこの世界ヴァーチャリアでは一般的に女性が脚(特に膝から上)を見られることは乳房を見られるより恥ずかしいこととされていた。


 ひょっとして乗れないんじゃないかしら?


 だがルクレティアの心配は杞憂に終わった。短艇がスループ船の舷側まで漕ぎつけると、スループ船から短艇との間で軽貨物を載せ降ろしするためのクレーンを使い、ロープが降ろされる。そのロープの先端には丁度ブランコの座面のような板がくくりつけられていた。


「ああ、あれで乗せるの!?」


「言ったでしょう?

 あの船の船長は経験豊富です。それくらいの配慮は出来ますとも」


 ヴァナディーズは短艇の艇長たちに手伝ってもらいながらブランコに座り、クレーンで上甲板まで吊り上げられていく。途中、風でスカートが舞い上がってしまい、ヴァナディーズは右手でクレーンのロープに捕まり、左手で必死にスカートを抑えていたが、せいぜい下腿部を見られる程度で済んだようだ。

 上甲板まで吊り上げられたヴァナディーズは船員たちに手伝ってもらいながらブランコを外してもらうと、船長と挨拶を交わし、浜にいるルクレティアたちに向かって手を振った。


「ほら、大丈夫だったでしょう?」


「ええ、安心しました。」


 手を振り返し、ヴァナディーズが船長に案内されて船室の方へ入っていくのを見届けたルクレティアは安心して振り返る。


「では、参りましょうか?」


 カエソーにエスコートしてもらいながら馬車を待たせてあるところまで歩く。砂浜まで馬車を乗り入れると車輪が自重で砂に埋まってしまい、動けなくなるかもしれないから砂浜へ降りる手前の所で待たせてあったのだ。

 砂に脚をとられ歩きにくそうなルクレティアに付き添いながら、カエソーが相談を始める。


「実はルクレティア様の御意見をお伺いしたいのですが…」


「私で分かることでしょうか?」


 ルクレティアはカエソーの方をチラリと一瞥いちべつしたものの、相変わらず自分の足元に注意しながら歩きつづける。


「はい、サンドウィッチ様の魔道具マジック・アイテムのことです。

 さすがに剣と盾を返すことはできませんが、指輪は返しても良いかと思いまして…」


「あら、あの船に乗せてサウマンディウムへ送られたかと思いましたわ。」


「いえ、まだ手元に置いてあります。

 さすがに聖遺物アイテムですから、不用意に人に任せるのは…ああ、これは内密にお願いします。」


 驚くルクレティアにカエソーは悪びれるでもなく返事すると話を続ける。


「それで、その指輪と言うのがどうも魔道具ではあるようなのですが、聖遺物ではないそうなのです。」


「聖遺物ではない…ということは、この世界ヴァーチャリアで創られた?」


 ルクレティアは歩みを止め、カエソーを見る。それに気づいたカエソーも脚を止めてルクレティアに向き合った。

 魔道具の作成は難しく、まして量産化に成功した例は少ない。魔道具は魔法を使えない者にも魔法を使えるようにする便利な道具だが、魔法を発動させると使用者から強制的に魔力を奪ってしまう。このため、下手に魔力に乏しい普通の人が使うと、魔力枯渇に陥ってしまい、最悪の場合死に至ることもある。

 このため、魔道具の開発や作成は非常に難しい。魔道具を作ることそれ自体はそれほど難しいものではないのだが、安全に使える魔道具を作ることが難しいのだ。下手すると、試作品を試しに使ったら使用者が死んでしまったという事故も生じうるからである。


「はい、大聖母グランディス・マグナ・マテル様がお創りになられ、聖貴族様たちコンセクラトゥムに御配りになられたものなのだそうです。」


「まあ!一体どういう魔道具なんですか?」


「魔力を隠すと言うか、小さく見せる物なのだそうです。

 魔力が強い者はその魔力を感知することができるのでしょう?

 姿形を偽っても、聖貴族がそこにいると…分かる者には分かってしまう。

 下手するとモンスターを呼び寄せてしまうのだとか…」


「え、ええ…

 じゃあ、ムセイオンから脱走してここまで一般人に成りすますために?」


「そういう目的もあったようですが、ムセイオンでも聖貴族間で魔力の大小によってヒエラルキーが出来ないよう、全員が装着が義務付けられていたのだそうです。」


 カエソーが説明しながら「行きましょう」とジェスチャーで促し、二人は再び馬車に向かって歩き始める。


「それで、私に相談と言うのは?」


「ええ、その説明はサンドウィッチ様から聞いた話なのですが、私にはそれが本当なのかウソなのか判断がつきません。

 それで、ルクレティア様に見ていただこうかと思いまして…」


 ルクレティアは聖貴族とはいえ魔道具にそれほど多く接したことがあるわけではない。軍団レギオーが使っている魔導の大楯マギカ・スクトゥムと、レーマに留学している時に聖遺物をいくつか見学させてもらったくらいだ。正直言うと真贋しんがんを見極める自信などなかったが、それでもそれを見てみたいという好奇心の方が勝ったので特に何も言わずカエソーについて行く。

 馬車が待機している近くまでたどり着くとカエソーは待機していた従兵に合図した。すると、合図を受けた従兵が頷き、一台の馬車の中から小さな木箱を抱えて小走りに駆け寄ると、カエソーに大事そうに手渡す。


「これです。」


「これは…」


 木箱の中には指輪が一つ入っていた。そしてそれは何故か見覚えのある指輪だった。


「どうです?」


「これは…ヴァナディーズ先生がしてたのと同じものだわ…」

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