第180話 途絶える手がかり

統一歴九十九年四月十七日、朝 - 《陶片》『満月亭』/アルトリウシア



「憶えてねえ?」


 リュキスカを連れ去った客を同じ銀貨を使った男・・・彼から銀貨の入手経路を聞ければ有力な手掛かりになる筈だ。しかし、ようやく男の口から出てきた答えは意外なものだった。

 あんな銀貨をくれるなんて相当なことだ。それなのに相手のことを憶えてないとはにわかには信じがたい。「また、こいつもか」というのがラウリにとっての第一印象だったが、その呆れたような口調は対する男からすればラウリが不満を募らせているようにしか見えない。

 自分が何か嫌疑をかけられていると誤解させるには十分だった。

 男は弁明を始める。


「べ、別にその男のことをかばいだてしようとか、隠そうとしようとしてるわけじゃねえんでさ。

 本当に、憶えてねえんだ。」


 ラウリはしばらく男の見てみたが、嘘を言ってるようには見えなかった。


「そうか、じゃあせめて憶えてる限りの事を教えてくれねえか?」


「へ、へえ、俺ぁ昨夜は日が暮れてからカルロの食堂タベルナの脇で寝てたんでさ。」


「お前ぇのいつもの寝床だな?」


「へえ・・・ちょうど寝ついた頃に起こされまして、この店の場所を訊かれたんで・・・んで、道を教えたら金くれて・・・」


「それで?」


「それだけでさ。いつの間にか寝むってて、気づいたら朝で・・・俺ぁてっきり夢でも見たのかと思ってたんですが、手にはさっきの銀貨があったんで。」


「男のことは憶えちゃいねえのかい?」


「すいやせん。」


「声とか、顔とか」


「・・・すいやせん。」


「服とか、背格好は?」


「そいが、まったく思い出せねえんでさ。」


 男は真剣に困ってるかのような顔でそう言った。

 その様子からするとおそらく嘘はついてない。本当にに憶えて無いのだろう。

 昨夜店にいた客や娼婦たちも件の大男のことを忘れてしまっていた。この男みたいに、何も憶えていなかった。


 酒に酔って忘れちまったとかいう話ではない。それほど深酒していたわけじゃない娼婦たちも、店にいた者たちは大男の事を綺麗さっぱり忘れていた。ただ、くだんの大男がリュキスカを連れて店から出るその時、厨房や客室に引っ込んでいた客と娼婦だけが、大男のことを憶えていた。


「お、親分、俺ぁ別に嘘はついちゃ」


「ああ、すまねえ。」


 思わず考え込んで目の前の男のことを忘れていたラウリは男の声で我に返った。


「男のことを聞けなかったなぁ残念だが、参考にゃなったよ。

 邪魔して悪かったな。」


 ラウリは愛想笑いを作ってそう言うとカウンターの方に合図した。

 さっきから女が料理を運んで良いかどうか迷って、こっちの様子をうかがっていたのだ。ラウリの合図を見た女はパッと笑顔を浮かべると、両手に皿を抱え始めた。


「それにしても朝から随分と豪勢だな、ええ?」


「へえ・・・お恥ずかしいこって」


「はっはっは、金が入ったからってイキナリあんなに食わなくてもいいだろうによ?」


「な、なんかイイ物食わなきゃって気がしちまって・・・」


 そうだ。レーマ帝国じゃ基本的に一日二食。朝食と夕食にガッツリ量を食うが、朝は調理の時間が無え。だから量は多くともメニュー自体は前日の残り物の他はプルスパンパニスなんかでシンプルに食うのが普通だ。金が入ったからってコイツみてぇに豪勢に色々と食おうって奴はいねぇ。コイツぁ何だって朝からこんなに食うんだ?金は夕食にまわしゃいいだろうに・・・


「あ、あの、何かあの金で食えるだけ食わなきゃって・・・何ででしょうね?

 へへ、でも高い物頼んでもデナリウス銀貨一枚分なんて丸一日かけたって食い切れやせんね。」


 男は頭を掻きながら照れるように言った。ラウリが黙って男の顔を見ているものだから、それが気になったのか男は少し饒舌じょうぜつになったようだった。


「悪いこっちゃねえさ。店としても商売が繁盛していいや。」


 女がお待ちどうさまと言いながらテーブルに皿を並べ始める。


「じゃ、邪魔したな。話を聞かせてくれてありがとよ。」


 ラウリは立ち上がってカウンターへ戻った。

 妙な話だ。いちデナリウスっといったらあの男にとっちゃ十日分の稼ぎより多いはずだ。いくらあぶく銭を手に入れたからって一日で食い尽くそうなんて思うわけがない。普通は数日分にわけて使おうとするだろう。


 ま、この店で一人で一デナリウス分の飯を食おうと思ったら、一日三食腹いっぱい食っても二日はかかるだろうがよ。現にあのメニューでも半セステルティウスにだって届いちゃいねえ。


「何かわかりましたか?」


「いや、あいつも何も憶えちゃいなかった。

 ただ、例の大男ってのは『トリノ門』の方から来たみてえだな。あいつぁ、カルロの食堂タベルナの脇で寝てたら、起こされて道を訊かれたらしい。」


「『酉ノ門」・・・」


「心当たりがあるのか?」


「いえ、ここしばらく大陸からの船は例のアルビオンニウム遠征隊とサウマンディア軍団と、ラール商会の船ぐらいしか来ていません。ですが・・・」


「こんなピカピカのデナリウス銀貨を持ってるのは、貴族か御用商人ぐれえなもんだ。」


「はい、港のほうから来たとなると・・・」


「御用商人どもの様子を調べさせろ。」


「わかりました。」


 ペッテルは静かにそう言って店の奥へ引っ込んだ。


 御用商人がリュキスカに何か用があるとは思えない。それに、奴らが女がほしいなら素直に話を持ち掛けてくるだろう。こんな下手な回りくどい真似して痛くもない腹を探られるような真似はしないはずだ。仮にリクハルドやラウリに話を通せない理由があるとしても、派手な格好の大男にピカピカのデナリウス銀貨なんて目立つ痕跡を残すのは間抜けすぎる。

 たぶん、御用商人は関係無い。だが、ほかに手がかりも無い。直接は関係なかったとしても、御用商人を調べれば何かとっかかりくらいは掴めるだろう。


「ハンナ、麦茶くれ!」


「はい、ただいま!」


 しばらくするとハンナが角杯リュトンを持ってきて差し出した。


「お待たせしました。」


 ラウリはそれを受け取り、温かい麦茶でのどを潤した。


 そういや、こいつも見たんだよな?


「おう、ハンナ」


「はい?」


 帰ろうとしたところを呼び止められ、ハンナは少し驚いた顔を見せて振り返った。


「お前も見たんだよな?リュキスカを連れてった男を」


「はい」


「どんなだったか憶えてるか?」


「はい、ヒトの男性で、身体が大きくて背はラウリの旦那さまより高かったです。

 立派な貴族パトリキ様でした。私にもチップをくださいました。リュキスカさんは上客だって言ってました。」


 ハンナは目を輝かせて答えた。声も明らかに弾んでいる。


「顔とか・・・憶えてるか?」


「髪は黒で、瞳も黒かったです。肌は白に近いですが、少し日に焼けたような感じに見えました。歯が白かったです。傷とか黒子ほくろとかあざとかはないみたいでした。」


 薄暗い蝋燭の明かりでそんだけ憶えてられるんなら大したもんだ。


「以前に見覚えはあるか?」


「いえ、初めて見ました。」


 ハンナは今でこそこんな境遇だが、以前はアルビオニウムでは有名だった大店の商家の娘だった。だからその頃のアルビオンニウムの有力者の事なら意外と見知っている。そのハンナが知らないということは、アルビオンニウムの人間じゃないのかも知れない。


「顔つきの似たやつとかも思いつかねえか?」


「いえ・・・アルビオンニアやサウマンディアの人じゃないと思います。

 見たところ南蛮人サウマンでもガリアン人でもありませんでしたし、アヴァロニアやアトランティアの人たちとも違うように見えました。

 鼻は低くて丸っこくて、顔が平らで、目が少し小さかったです。」


 …鼻が低くて丸くて顔が平らで目が小さい??そんな奴いるのか?…いや、待てよ。


「髪と瞳が黒いんだよな?」


「はい。」


「どんな言葉を話していたか憶えてるか?」


「言葉ですか?」


「ああ、変な訛りとかなかったか?」


「いえ、しゃべってる言葉と聞こえてくる意味が違ってたので、言葉の方はよく憶えていません。」


「なんだそりゃ?」


精霊様エレメンタルの加護がある御方は、違う言葉でも意味が伝わるんだそうです。

 ゲイマーガメルの血を引く聖貴族にそう言う方がいらっしゃると聞いたことがあります。あのお客様はきっと聖貴族です。」


「そうか」


 ひょっとしてと思ったが、流石にないか。あれば今頃大騒ぎになってるはずだ。だいたい、リュキスカと話をしてたんだろ?だったら降臨者なわけはない。


「ハンナ!洗い物溜まってんぞ!!」


「はーい!…あの、ラウリ様」


 厨房の奥からハンナを急かす雇われ店主のヴェイセルの声が響いた。


「おう、呼び止めてすまなかったな。行っていいぞ」


「はい、失礼します。」


 ハンナはお辞儀すると洗い場へ戻った。

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