第668話 減刑の提案

統一歴九十九年五月八日、午前 - 統一歴九十九年五月八日、午前 - 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム



 メルクリウス……この世界ヴァーチャリアとは異なる世界レアルから人を召喚する降臨術を執り行うとされる謎の人物である。滅亡の危機にある国や民族の元に現われては降臨を起こし、降臨者によってその国や民族を滅びの運命から救い出すある種の救世主的存在とされてきた。基本的にヒトである場合が多いようだが、種族、人種、性別、年齢、容姿、名前もその都度異なる場合が多く、その正体は謎に包まれ一切不明とされてきた。ただ、メルクリウスと名乗る事例が多かったため、便宜上メルクリウスというのが統一呼称となっている。


 降臨者は《レアル》の叡智えいちでもってこの世界ヴァーチャリアの文明の発展に大きく寄与してきた。この世界ヴァーチャリアに適応するためにメルクリウスからは強力な魔力と精霊エレメンタルの加護を授けられ、授けられた精霊エレメンタルを使役したりある程度の魔法を使えたりはするが、一般にごく普通のヒトであることがほとんどであり、「《レアル》の叡智」と呼ばれる知識や技術以外の特別な能力は持っていない。

 ところが、ある時期からはメルクリウスから魔力や精霊エレメンタルの加護を授けられるまでもなく、強靭な肉体と強力な魔法やスキルを使うゲイマーガメルと呼ばれる特殊な人間が降臨するようになった。種族もそれまでヒトばかりであったのに、ハイエルフやドワーフ、ヴァンパイアといったヒト以外の種族も降臨するようになる。この世界ヴァーチャリアがおかしくなっていったのはそれからだった。


 ゲイマーガメルたちはそれまでの降臨者たちと異なり、この世界ヴァーチャリアに《レアル》の叡智をもたらして発展させようと言う意識が薄かった。強大無比な力を振るう事に熱心であり、「クエスト」と称される依頼を基に略奪と殺戮ハック・アンド・スラッシュを繰り広げることに没頭した。

 ゲイマーガメルが降臨した国々はその力を背景に危機から脱しはするが、必ずしも文明が発展するというわけでもなく、時にむしろ国土の更なる荒廃と引き換えに外敵を排除するような事例も増えることとなった。


 降臨によって却って世界に混乱をもたらしたゲイマーガメルが《暗黒騎士ダーク・ナイト》によって一掃され、大戦争が集結したことを機に大協約と呼ばれる国際法が創られた。それ以降は降臨は防ぐべきものと定められ、メルクリウスは世界のとなる。

 しかし、先述したようにメルクリウスの正体は一切不明である。種族も性別も不明なら名前すら不確かである。だいたい活動時期は分かっているだけで数百年に及ぶのだ。もしもメルクリウスが人間だとしたら、途中でとっくに寿命が尽きてなければおかしい。当然、そこには「メルクリウスは一人ではないのではないか?」という疑問が湧いてくる。


 降臨の秘儀を受け継ぐ一族の長なのではないか?

 あるいは秘密結社なのではないか?


 そうした仮説に基づく概念上の存在‥‥‥それが「メルクリウス団」である。


 イェルナクはハン支援軍アウクシリア・ハンが起こしてしまった叛乱事件をもみ消すため、ちょうど降臨が実際に起こったことをいいことに自分たちの武力蜂起の責任をメルクリウス団になすり付けようとしていた。

 その実在そのものが疑わしいメルクリウス団の陰謀論など、本来なら唱えたところで鼻で笑われるだけだろう。犯罪を犯した者が「自分は悪くない。悪魔に操られたんだ!」と訴えたところで、その罪が許されるはずなどあり得ない。だが、実際に近くで降臨が起きた今なら……メルクリウス団の陰謀と言う話だって、あながち荒唐無稽こうとうむけいと断じることは出来なくなるはず。


「イェルナク殿、この謎の首領どもが盗賊ども率いて暴れ始めたのは先月の半ばを過ぎてからだ。降臨が起きてから十日ちかく経ってからではないか?

 この首領共と此度こたびの降臨は関係あるまい。」


 切羽詰まった様子で言いすがるイェルナクに対し、プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵はフーッと溜息をつくように身体全体を弛緩させながら言った。呆れた……まさにそう言わんばかりの態度であった。


「そうではありません!

 むしろ、そうだからこそ盗賊団の首領たちが降臨を引き起こしたメルクリウス団である可能性は高まったのです!」


「どういうことかね?」


 完全に上体を背もたれに預けたまま、プブリウスはわずかに首をかしげ、片方の眉を持ち上げながら訊き返す。


「彼らは先月十日、我々を生贄に降臨を引き起こしました。

 そして、一度の降臨に満足できず、再度の降臨を目論んでいるのです。

 だから二度目の降臨のために利用すべく、先月の半ばごろから盗賊どもを集め始めたのです!!

 先月の降臨と今回の事件はちゃんと繋がっているのです!!」


 顔の前で拱手きょうしゅした両手をプルプルと震わせ、プブリウスの顔をしたから見上げながらイェルナクは訴えた。

 実はこの身体を低く平伏させながら上を見上げるという態勢はホブゴブリンにとっては結構キツイ姿勢だった。ヒトの背骨が横から見ると緩やかなS字を描くのに対し、ゴブリン系種族の背骨は弧を描いており、本来は猫背なのが自然なのである。だからこのように本来丸まるのが自然な背筋を逆方向に反らせる姿勢は、ゴブリン系種族にとってはかなり苦しい。実際、イェルナクの目は充血し、顔は真っ赤になっていた。


「そ、それは貴官の想像であろう!?」


 イェルナクの形相に若干の怖気おぞけを覚え、プブリウスはわずかに顔をしかめながら否定する。


「ハイッ!たしかに今はまだ私の想像にすぎませぬ!

 証言の内容にも確かにがついておるやもしれませぬ。

 ですが、彼らは実際に何百もの盗賊を短期間でまとめ上げました!

 このようなこと、常人のなせる技ではありますまい!?」


「う、うむ?」


 本人も気づかぬまま唾を飛ばして熱弁するイェルナクの顔色は、話しているうちに赤を通り越して紫に染まっていく。プブリウスはその様子を目の当たりにし、その異常な気迫に思わず唾を飲み込んで身を引いた。


「異常な何者かが盗賊どもを操っている、それは疑いようのない事実であります!

 閣下も先々月来、メルクリウス追跡に奔走ほんそうなさっておいでではありませんか?!

 このタイミングで異常な力を持った何者かが暗躍しておるのが確認されたのです!ここでメルクリウスが関与している可能性を考慮するのは、さほどおかしなこととは思えませぬ!!」


「どっ、どうせよと言うのだ貴官は!?」


 すっかり気圧けおされたプブリウスは思わず顔を背けた。本人としては突っぱねる態度を保っているつもりだが、腕組みをして顔を背けたまま口調だけ強がったところで、客観的に見て気迫負けしてしまっているのは疑いようがない。


「捕虜たちの処刑をおやめください!

 なにとぞ、閣下の御慈悲を!」


 イェルナクはそう言って再び頭を勢いよく下げた。イェルナクの赤黒く染まった必死の形相が隠され、プブリウスは最初チラチラと平伏したイェルナクを見、小さく安堵の溜息をつくと、強硬な態度を示す体裁を保つために言った。


「そうは言っても一度はレーマに歯向かった者たちだ。

 許してやることはならん。」


 平伏したままイェルナクは懇願する。


「許せとは申しません!

 ただ、命を奪うのはおやめください!」


「命を奪わぬとなれば許したも同然ではないか!

 反逆者は極刑と決まっておるのだ!

 処刑は免れぬ!」


「いえっ、奴隷に!

 捕虜共を奴隷に堕とせば良いではありませんか?!」


 罪人を奴隷にする……それは極刑に準ずる重い刑罰として認められていた。たしかに奴隷にすれば命は奪わずに済む。その後の運命は奴隷を買い取った主人次第ではあるが、レーマ帝国では奴隷もある程度権利が認められているため処刑されるよりは確実にマシな結果が得られるはずである。


「奴隷?」


「そうです!

 奴隷です!」


 だがプブリウスはイェルナクの提案を鼻で笑った。


「ハッ、無理だな。」

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