第669話 買い手の付かない奴隷

統一歴九十九年五月八日、午前 - 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム




 重罪人を処刑から救うのであれば、恩赦おんしゃを乞うか奴隷に堕とすほかない。たかが盗賊に理由もなく恩赦を願っても無理なことはイェルナクにだって最初から分かっている。だからせめて捕らえた盗賊たちを奴隷に堕とすことを提案した。だがプブリウスはすげなく無理だと切って捨てる。


「む、無理とはどういうことですか!?」


 イェルナクは耳を疑い、思わず再び顔を上げて訊き返した。


 イェルナクは約束したのだ。都合の良い証言をすれば命は助けてやると……いくら相手が取るに足らぬ盗賊で、しかも帝国に反旗をひるがえした反逆者とはいえ、約束したことを軽々しく反古ほごには出来ない。そんなことをすれば信用が失墜する。今後、同じように盗賊たちに話を持ち掛けても、信用してくれなくなってしまう。

 盗賊だってバカではない。イェルナクが都合の良い証言を引き出そうと取引を持ち掛けたところで、持ち掛けられた盗賊は疑問に思うだろう。先に捕まった連中はどうしたんだ?と……もし、イェルナクが先に捕まった連中と同じように取引を持ち掛け、処刑を逃れるために臨むままに証言をしたなら、その連中は生き残っているはずだ。だが、もし生き残りが居ないのなら、約束が破られたか取引に応じなかったかのどちらかであろう。先に捕まった連中が取引を持ち掛けられたにも拘わらず断って処刑されたというのなら、処刑される以上に嫌な何かがあったということになる。どのみち、イェルナクは盗賊たちに信用してもらえず、今後盗賊たちから都合の良い証言を得ることが難しくなるに違いない。

 だからイェルナクとしては何としても盗賊たちの処刑を回避する必要があるのだ。


「やつらを奴隷に堕としたところで誰が買うと言うのだ!?

 主人に背いた過去を持つ奴隷など、最低価格でも誰も買わぬ。

 ましてや、あ奴らは帝国に背いたのだ。買い手などつくものか」


 豪華な肘掛け椅子カニストラ・カティドラに座ったまま眼前で平伏しているイェルナクを見下ろすプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵は吐き捨てるように言った。

 プブリウスの指摘は事実である。奴隷は主人に対して従順でなければならない。主人に歯向かう奴隷を欲しいと思う者など帝国中を探したって居るわけはないのだ。ましてや帝国に叛逆し、軍の施設に襲い掛かった盗賊など欲しがる者など居るはずがない。

 もしも盗賊が何かしでかせば、その責任を主人が負わねばならなくなる可能性があるのだ。自分に歯向かうかもしれないだけでなく、自分の知らないところで叛逆行為など起こすかもしれない奴隷など、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えるようなものだ。奴隷を売却する際の法定最低価格である五百セステルティウスでも買い手などつくはずがないし、それどころか逆に五百セステルティウス払うから受け取ってくれと言われても大概の者は断るだろう。


「か、買い手が付かなくとも、公有奴隷にできるではありませんか!?」


「公有奴隷だと?」


「そうです!

 買い手の付かない奴隷は公有奴隷となる筈……」


 イェルナクが言いすがると、プブリウスの頬がピクピクと痙攣し始めた。


「貴官は公有奴隷が何なのかわかっておらんのか?」


「?‥‥‥こ、公有奴隷なのですから、おおやけのものでは?」


 戸惑いながらイェルナクが答えるとプブリウスは顔を逸らし、一緒に笑ってくれる誰かを探すかのように室内に視線を泳がせると「ハッ」と短く笑い、そして再びイェルナクを見下ろす。ただし、今度は両膝に両手を置き、上体を乗り出してだ。そしてそれまでプブリウスの顔に浮かんでいた笑みは一瞬で消える。


「公有奴隷とはな……その地域の首長が所有し、住民のために奉仕させる奴隷を言うのだ!」


「!!」


 プブリウスの強い口調にイェルナクは虎の尾を踏んだような気になってサッと顔を伏せる。だが、イェルナクはまだプブリウスが何を言わんとしているのか、自分が何を間違っているのか正確に把握しきれてはいない。顔を伏せたまま必死に考えを巡らせる。そこへプブリウスが畳みかけるように説明を続けた。


「刑によって奴隷に堕とした者は売りに出される。そして買い手が付かなければ公有奴隷とされる。つまり、その地域の自治体や政府が所有する奴隷となるのだ。領主によって治められる地域においては、その地域の領主が所有することになる。

 そして、我がサウマンディアのように領主によって治められる領地においては、公有奴隷を所有するのはワシのような領主なのだ!!」


「そ、それは……その……」


 それがどうかしたのか?……イェルナクはまだ理解できていなかった。

 盗賊どもがサウマンディアの公有奴隷になる……つまりプブリウスの財産が増えることを意味するのではないのか?

 平伏したまま言葉選びに逡巡しつづけるイェルナクにプブリウスは思わず椅子から立ち上がる。


「まだ、わからんのか!?

 貴官はあ奴らをワシに買い取れと言っておるのだぞ!!

 ワシの軍団レギオーに歯向かい、ワシの軍団兵レギオナリウスを殺した連中を、ワシが処刑もせずにワシの金で買い取って養えと!?

 軍団兵レギオナリウスの忠誠を踏みにじるとの同じだぞ!

 そんな恥知らずな真似をワシにせよと申すか!?」


 最後は脚を踏み鳴らしての一喝にイェルナクも恐れをなし、「ハハッ」と短く答えて平伏していた姿勢をより低くする。


「も、申し訳ございません伯爵閣下!!

 決して、決してそのようなつもりでは!!」


「つもりがなくともそう言っておるのだ、貴官は!

 貴様らはハン族が不倶戴天ふぐたいてんの敵として忌み嫌っておる南蛮のコボルトを、ムズク卿が奴隷として可愛がったら貴官らは面白く思うのか!?」


「いえ!いえいえ!決してそのようなことは!

 私の、私の物言いが浅はかでした!

 どうか、どうかご容赦を!!」


 イェルナクはついに拱手きょうしゅを解き、両手を床について頭を床にこすりつけてプブリウスの許しを請う。

 立ち上がったまま平伏するイェルナクを見降ろしていたプブリウスは、フーッフーッと荒い息を数度繰り返し、怒りを鎮めるとドッカと腰を椅子に降ろした。


「ともかく、そう言うわけだから無理だ。

 奴隷にしても買い手などつかん!

 ましてや帝国に歯向かった叛逆者など、公有奴隷にも出来ん。

 欲しいと思う領主貴族パトリキだっておるまいよ。

 諦めるのだな。」


 まだ息は乱れていたが、それでも先ほどまでとは打って変わって落ち着いた口調でそう言うと、プブリウスは茶碗ポクルムに手を伸ばした。既に冷めてしまっていた香茶は本来あるべき豊潤な香りをとっくに失ってはいたが、それでも喉を潤すのには十分だった。

 プブリウスが冷めてしまった香茶で喉を潤し、一息ついて茶碗ポクルムを脇の円卓メンサへ戻すとイェルナクが恐る恐る顔を上げる。


「か、閣下……おそれながら申し上げます。」


「ん?まだ何かあるか?」


「買い手なら、ございます。」


 意外なことにイェルナクはまだ盗賊たちを奴隷にする交渉を続けていたようだ。半分呆れつつプブリウスは驚き、聞き返す。


「何だと?」


「我々です。

 彼らを、彼らを奴隷として、ハン支援軍アウクシリア・ハンが買い取ります!」

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