第1262話 “友達”という関係

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プラエトーリア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「と、友?」


 意外な言葉にカルスは思わず顔をあげる。カルスの掲げる松明たいまつに照らされたグルグリウスの顔は闇夜に浮かび上がるように明るく、その目はまっすぐカルスを見下ろしていた。


「そうです!

 既に御存知でしょうが、《地の精霊アース・エレメンタル》様のような精霊エレメンタルは肉体を持たぬがゆえに人間の俗事にはいささか明るくありません。

 ゆえに、吾輩わがはいは今後とも《地の精霊アース・エレメンタル》様の代わりに、人間同士の俗事に関わる問題を任されることでしょう。吾輩わがはいもまた、そうした用事を積極的に請け負うつもりです。主人の出来ないところ、苦手とするところを補うことにこそ、吾輩わがはいの存在価値はあるのですからね。

 そのためには、魔力や腕力などではなく、人同士の繋がりが重要になるのです。

 すなわち、互いに助け合う友の存在です!」


「い、いや、俺たちぁでも、グルグリウス様みてぇな力なんて……」


 グルグリウスのような強大な存在と「助け合う」と言われても何が出来るとも思えない。カルスの腰が引けてしまうのも当然だろう。グルグリウスの背後ではヨウィアヌスもまた話が大きくなっていることに腰が引けつつあった。


「力なんて!!」


 だがグルグリウスは驚いたように声をあげる。


「友とするかどうかに関係はありません!

 吾輩わがはいは今でこそこのようななりですが、ついこの間まで無力なインプだったのですよ?

 そして非力なインプだった者としてハッキリ言えます。

 力の有無と友とできるかどうかは関係ありません!」


 首を振ってカルスの疑念を否定したグルグリウスは本心からそう思っていた。グルグリウスがもし、純粋な力の信奉者だったなら、カルスの疑念をもっともだと思ったことだろう。だがグルグリウスは力の信奉者ではない。確かに与えてもらった絶大な力に酔いしれたりすることはあるが、決して自らの力におぼれたりすることも無ければ過信することもなかった。

 何故なら彼は元々ただのインプだったからだ。つい一昨日、この世に召喚されたばかりの彼だが、種族が持つ集合知によって数多くのインプたちの今際いまわきわの記憶を……いわば前世の記憶を引き継いでいる。

 たしかに非力なインプたちは幾度となく力を欲した。力さえあれば……そう思いながら無念の涙をのんだインプは数知れない。だが、力が絶対ではないという確信も持っていた。グルグリウスは集合知によってインプという弱小妖精が、力は無くとも常に知恵と勇気とを頼りに与えられた任務へ挑み続けてきたことを知っている。そして自分もその一人だという自覚がある。その自分が力に価値を見出し力を信奉するのは、知恵を勇気を頼りに己の非力を克服し続けたインプ同胞たちへの裏切りにしかならないではないか。むしろ力に圧倒されようとしている小さな魂を勇気づけてやることこそが、弱きインプから強きガーゴイルへと進化を遂げた自分にとっての使命であるに違いない……グルグリウスは思っていた。そして今は目の前にいるカルスこそが、その勇気づけるべき小さき魂そのものであった。


 しかしカルスとしてはグルグリウスの言葉もそう易々と飲み込めない。言ってることは分かるが、意味を理解できることと納得することは全く別なのである。特にカルスの場合、自分より大きく強い大人の気まぐれに振り回され続けた人生を送り続けていたのだ。たまたま機嫌がいい時に調子のいいことを言ってもらい、その言葉を信じて甘えると酷い目にあわされるなんてのは貧民街では日常茶飯事だった。甘い言葉を鵜呑みにしちゃいけない……貧民街で育った孤児なら誰もが知ってる常識だ。いや、魂にまで刻み込まれた絶対の教訓である。

 カルスは反射的に目に疑念を宿らせ、その視線をグルグリウスからヨウィアヌスへと向ける。


 ……どう思う?……


 偶然にも同じタイミングでカルスへ視線を向けたヨウィアヌスの表情もカルスと似たようなモノであった。無理もない、一昨日始めて会った人物……それも人間じゃない相手、どうあがいても勝てそうにない絶対的な強者グレーター・ガーゴイルにそんなことを言われて信じるほうがおかしい。


「受け入れてもらえないのは残念です」


 グルグリウスは小さく溜息をつき、前方へ向き直ると残念そうに言った。


「でもこれだけは憶えておいてください。

 吾輩わがはいはリウィウスとアナタ方二人のおかげで、ルクレティアスパルタカシア様に手紙を届けることができました。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様とも引き合わせていただけましたし、そのおかげで《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属にしていただけました。

 そしてアナタ方は吾輩わがはいにライベクーヘンを分け与えてくださった」


「「らいべくーへん?」」


 カルスとヨウィアヌスは怪訝な表情を浮かべて声をそろえる。


「そうです。

 普通、人間はインプを卑しむ。

 仕事の報酬というわけでもないのに何かを与えるなんてことはありません。

 それなのにアナタ方はライベクーヘンを吾輩わがはいに与えてくださった。

 それも自分たちが食べる分まで……

 これは、インプにとって滅多にない事なのです」


 ヨウィアヌスの方は相変わらずどこか勘ぐるような視線をグルグリウスに向けていたが、カルスは生まれ育った環境からか何となくグルグリウスの気持ちが少しわかった気がし、どこか神妙な面持ちになる。価値のない自分に何かをくれる人……それがどういう風に見えるのか、カルスはよく知っていたのだ。


「そんなアナタ方だからこそ、吾輩わがはいはアナタ方とは特別な関係でありたいと思うのですよ」


「……それが友達……か……」


 カルスが小さな声でつぶやく。そんなカルスを横目で見たヨウィアヌスは少し意外そうな顔をした後、視線を二人から逸らして小さく笑った。


「そうは言ってもよぅ、やっぱ難しいぜグルグリウス様よ」


 二人は少し驚きつつヨウィアヌスの方へ注意を向ける。


「アンタと俺らじゃやっぱ持ってるモンが違いすぎらぁ。

 力もそうだが身分とか金とか、持ってるモンが違うとどうしたってどっちかがどっちかへ頼るようになっちまう。

 どちらかがどちらかへ頼りっぱなしになると、どうしたって対等な関係じゃなくなっちまうのさ。

 そういうのは、果たして『友達』って、呼べるのかねぇ?」


 意外と真っ当な指摘にグルグリウスもカルスも内心で驚いていた。手癖の悪さと調子のよさで知られるヨウィアヌスのことだから、グルグリウスに限らず自分より何かを持っている人物と友達になれるのなら喜んでなるだろうと思っていたからだ。そしてたかれるだけたかり、利用するだけ利用する。そのためには太鼓持たいこもちにでも道化でも何でも演じる……レーマにはそういう人物は珍しくない。有力者の被保護民クリエンテスになりたがる連中は全部そうだし、平民プレブス貴族ノビリタスの被保護民にしてもらえると聞けば誰だってなりたいと思うだろう。カルスの見るところヨウィアヌスはそういう人間の筆頭だ。リュウイチの奴隷にされることが知らされた後、そしてアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の被保護民になることが告げられた時、カルスの記憶では彼ら八人の中で一番喜んでいたのはヨウィアヌスだったからだ。

 二人の反応が気になってチラリとヨウィアヌスが視線を戻すと、横目でヨウィアヌスを見下ろすグルグリウスの方は特に感情らしい感情を浮かべておらず、ただただ興味を抱いている感じだったが、カルスの方はどこか怪訝そうな視線を向けていた。ヨウィアヌスはカルスのその視線に居心地の悪いものを感じ、視線を再び反らせると、さも当然のことだと言わんばかりに声を高める。


「そういやリウィウスとっつぁんも言ってたぜ、歳とってくると新しい友達を作ろうって気はおきなくなるんだってよ?」


「リウィウスが?」


 今度はグルグリウスが意外そうに尋ねる。


「おうよ!

 若ぇ頃はよ、なんつうの?

 人の世話になったり迷惑かけたりしてもよ、いずれ返せるだろうって思えるのよ。

 だから人の世話んなったり迷惑かけちまったりってのが、あんまり気になんねぇ」


「それはヨウィアヌスだけだろ?」


 得意げに話し始めたヨウィアヌスにカルスが不快そうにボソっと言った。何となくヨウィアヌスの口調が、ロムルスが偉そうに講釈垂れる時の雰囲気に似ていたのでしゃくさわったのだ。カルスとしてはヨウィアヌスに聞こえないように言ったつもりだったが、夜は意外と声が遠くまで通る。カルスの一言はヨウィアヌスの耳に届いてしまった。


「違わぁ、まぜっかえすな!

 いいから聞けよカルス」


 カルスは苦虫を噛みつぶしたような表情で黙ったままそっぽを向いたが、ヨウィアヌスはその生意気な態度が気に入らない。「このっ!」と思わず手を出しそうになったところでグルグリウスが「まぁまぁ、先を続けてくださいヨウィアヌス」と促すと、ヨウィアヌスは何とか気持ちを抑えて話を続けた。


「まぁあれよ、若ぇ頃は人の世話んなったり迷惑かけても、いずれ返せるって思えんだよ。

 なんつうかよ、今は無理でもこれから成長して強くなるって希望が持てっからよ?

 けど歳とってくっと色々自由が利かなくなってくんだよ。

 そんで、手前ぇの限界ってのが見えてくんのさ。

 これ以上はもう成長しねぇ、今できねぇことはこれからも出来るようにゃならねぇだろってな。

 そうすっとよ、世話んなったこととか迷惑かけちまったこととかよ、所謂いわゆる“借り”ってヤツをよ、返せる自信がなくなってくんのよ。

 世話してやることも迷惑こうむってやることも難しくなってくるわけだ。

 そうすっとよ、新しく友達っての作ってもよ、ソイツにゃ世話になりっぱなし、迷惑かけっぱなしで、“借り”ばっか作っちまって、自分の方は何もしてやれねぇって気になってくんのよ。

 そういうのが歳とって分かってくっとよ、友達作んのが何だか申し訳ねぇような気になっちまって、もう友達作るのやめようって気になっちまうんだとよ」

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