第1261話 カルスの憂鬱

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プラエトーリア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ヨウィアヌスの暴言に近い言葉にカルスは我が耳を疑い、目を剥いて息を飲んだ。

 確かにグルグリウスは人目を引いてしまっている。長身痩躯ちょうしんそうくの多いランツクネヒト族を更に上回る上背に、まるでホブゴブリンの血でも入っているのではないかと疑いたくなるくらいガッシリと筋肉がついたような隆々とした身体つき。おまけに暗闇に浮かび上がるかのような明灰色の肌で、着ているのも銀のジャケットとなれば暗闇の中でも目立たないわけがない。ホブゴブリンの二人がまるでグルグリウスの連れている子供に見えてしまうほどの偉丈夫だが、それが左右からヨウィアヌスとカルスがそれぞれ掲げる松明たいまつによってライトアップされているのだ。目立たない方がおかしいというものだろう。


「やはりその松明を消した方がいいのでは?

 そうすれば闇に紛れて目立たなくなるでしょう」


「暗くて何も見えなくなっちまうじゃねぇか?」


「アナタ方には吾輩わがはいが暗闇でも見えるように魔法をかけてさしあげますとも」


 グルグリウスの提案にカルスは目を輝かせたが、カルスが何か言う前にヨウィアヌスが「ヘッ」と笑い飛ばした。笑い飛ばすと言ってもケチをつけるとかいう笑い方ではなく、あくまでも冗談に対するツッコミのような感じだ。


「それこそ逆に目立っちまうじゃねぇか!

 今は辻々つじつじに灯りがあるから松明たいまつなしに歩く奴もいるが、俺たちゃこれからポルタの外へ出るんだ。

 灯りの無い街道へ行こうってのに灯りも持たずに出て行ってみろぃ、却って興味を持たれっちまうぜ?

 仮に暗闇でも見通せる魔法をかけて貰ったとしてもだ、俺たちゃ松明コイツを手放すわけにゃいかねぇのよ」


 ヨウィアヌスが顔で言うと、グルグリウスは素直に感心してみせた。

 確かに砦の内側はところどころに篝火かがりびが燃やされ、あるいは壁の金具に松明が刺されていたりして、昼間のようにとまでは到底言えないが要所要所には灯りが確保されている。それらによって照らされている範囲より何も見えない暗がりの方が圧倒的に多いが、それでも点々と見える灯りを頼りにすれば、自分の位置と進むべき道を見失わずにすむだろう。実際、ごく少数ながらまだ作業を続けている御者ぎょしゃ馬丁ばていたち、そして駐屯している兵士らの中には、松明など灯りを持たずに歩いている者がそこかしこに居た。

 しかしヨウィアヌスの言うように、そうした灯りがあるのは砦の正門ポルタ・プラエトーリアまでだ。門を出て街道へ出ると、もうそこに人工の灯りは一切ない。月や星々の光があることはあるが、それらは変わりやすい山の天気の下では頼りきってはならないのが常識だ。

 だというのに街道へ松明を持たずに出ていく者があれば、誰だって心配するだろうし奇異にも思うだろう。目立つ格好をしているグルグリウスも十分に注目を集めてしまう存在ではあるが、もし三人が灯りを持たずに砦から出て行ったとすれば、人々の関心はより高まるに違いない。


「おお、おっしゃる通りです。

 さすがは我が友ヨウィアヌス!

 このグルグリウス、そこまで考えが及びませんでした」


 グルグリウスがやや大仰に褒め称えて見せると、ヨウィアヌスも根は単細胞なのか、それとも酒に酔ってるせいなのか、照れるでもなく気を良くする。


「へっ、わかりゃいいのよ」


 カルスとしてはこのヨウィアヌスの態度と言葉遣いが気になって仕方がない。グルグリウスは確かに一昨日生まれで、言ってみれば一番若い。《地の精霊》の眷属だから彼らの主人であるリュウイチから見れば彼らは家臣でグルグリウスは陪臣で、立場的にも一段低くなる。しかし、グルグリウスは妖精でカルスやヨウィアヌスなんかでは足元にも及ばないくらいの実力を誇っている。リュウイチや《地の精霊》ほどではないにしろ、どこかの神殿でまつられていてもおかしくない超常の存在であることには変わりないのだ。それなのにヨウィアヌスときたら、呼ぶときは一応「様」をつけてはいるがまるっきりのタメ口で態度も横柄そのもの……カルスに対するのとほとんど変わらない。


「グルグリウス様ぁ、すみません。

 俺もだがヨウィアヌスの奴ぁ、あんまし育ちがよろしくねぇもんで、言葉遣いがこんなで……」


 カルスが気まずそうに謝るとグルグリウスもヨウィアヌスも思わず目を丸くした。

 カルスは自分で自分の育ちが悪いことは自覚していた。劣等感もずっと抱き続けている。そして、そうであるがゆえに普段は仲間内でもあんまり積極的に口は利かない。自分が無知で馬鹿で世間知らずで、何か言っても馬鹿にされるか間違いを犯すかのどちらかだと思っているから、どうしても周囲に対して遠慮してしまうのだ。同じ隊の仲間たちに対してさえ、思ったことを口にするようになったのは最近の事なのである。

 そのカルスが自分のことについてならともかく、他人のことで謝るなんて珍しいことだ。いや、ヨウィアヌスの知る限りでは初めてのことだった。そうであるがゆえにヨウィアヌスは自分の態度や言葉遣いが行き過ぎたものだったかと気づかされ、急に大人しくなる。

 が、一昨日この世に生まれたばかりのグルグリウスはカルスのそうした背景などは知らないし、ヨウィアヌスがグルグリウスの視界の外で顔を青くし始めた事にも気づいていなかった。


「そんなの気にすることはありませんよ、カルス!」


 グルグリウスはその低く野太くはあるが柔らかな口調で沈鬱ちんうつな表情のカルスを慰める。しかしカルスの心配は晴れない。

 カルスはアルビオンニウムの貧民街で、親が誰かも知らぬまま育った孤児だ。当然、まともな教育は受けていない。大人や周囲の人間の顔色は窺うことは知っているが、世間の常識とか礼儀作法とか人付き合いなんてものはまったく知らないまま育った。それを身に着けたのは一昨年、軍隊に入ってからのことだ。

 最初は怒られるのが嫌だから、痛い目に合わされるのが嫌だから、意味も分からないまま言われたようにするだけだった。それがリウィウスやオトと同じ隊に配属され、色々と優しく教えてもらえるようになってからようやく礼儀作法だの人間関係だのと言ったものを理解できるようになったのだ。リウィウスやオトから教わったこと……それまで軍服を着せられただけの孤児にすぎなかったカルスを一人の人間に変えたそれはカルスにとって形のない宝物なのである。その宝物に従うならば、カルスはヨウィアヌスの無礼な蛮行をグルグリウスの一言で許すわけにはいかなかった。


「で、でもぉ……」


 納得しかねるカルスが視線を落とす。グルグリウスを挟んでカルスの反対側を歩いているヨウィアヌスはというと黙って様子を見守っていた。この手癖の悪いお調子者は大胆な言動をする割に小心者だったのだ。自分のに気づいても、それに自分でケジメを着けることができない。小さくなって事の推移を見守り、イザとなったら逃げだそうと身構えるぐらいしかできないのだった。そんな男などかばってやる必要など何もないのだが、グルグリウスは本心からカルスを慰めた。


「カルス、吾輩わがはいは本当に気にしていないのです。

 吾輩わがはいは生前の記憶を持っているとはいえ、一昨日生まれたばかりのインプにすぎません。

 吾輩わがはいが仕える《地の精霊アース・エレメンタル》様の主人はアナタ方が仕える尊き御方。

 ならば身分は吾輩わがはいよりもアナタ方の方が上でしょう?」


「じょ、序列はそうかもしれねぇけど……」


 レーマ帝国のような身分社会では身分の序列は重い。だがそれはあくまでも人間社会の話だ。精霊エレメンタルや妖精というのは人間ではない。霊的な存在……ヴァーチャリア世界では神などと同種の存在として信仰の対象にもなっている存在だ。人間社会の序列の中に、精霊や妖精を組み込んでいいものだろうか? カルスにはそこが納得できない。

 グルグリウスは正攻法での説得は無理だと諦め、アプローチを変えた。


「カルス、吾輩わがはいは友を欲しているのです」

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