第1263話 不可解な遠慮

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プラエトーリア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 正面を向いて歩き続けるグルグリウスの背中は、心なしか寂しそうに見えた。グルグリウスの背中からヨウィアヌスへと移されたカルスの目には、どこかヨウィアヌスを責めるような色が浮かんでいる。そうした二人の反応はヨウィアヌスの期待したものとは異なっていた。いや、ヨウィアヌスが何を期待してあんな話をしたのか、彼自身既に忘れてしまっている。だが、こういう反応を期待していたわけではなかったのは確かだ。


「な、何だよ!?

 リウィウスとっつぁんがそう言ってたんだぞ!

 ホントだぞ!?」


「リウィウスはもうそれほどの歳なのですか?

 まだお若いように見えましたが……」


 ヨウィアヌスが言いようのない後ろめたさに弁明を試みると、グルグリウスが前を向いたまま振り返りもせずに尋ねた。


「え!?

 あー……どうだろうな、たしかリウィウスとっつぁんも孤児だったから本当の年齢なんて本人も知らねえよ。

 でももうすぐ満期除隊だって言ってたから四十かそこらじゃねぇの?

 少なくとも三十台後半のはずだぜ」


 グルグリウスの質問にヨウィアヌスは記憶をたどりながら答えた。リウィウスが孤児らしいという話は聞いたことも無かったのでカルスも軽く驚き、目を見開いた。

 リウィウスがアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア(当時はまだアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアだった)に入隊したのは統一歴七十八年の十二月のことだった。レーマ軍の軍団は基本的に入隊後二十五年で満期除隊になるので、順調ならリウィウスはあと四年で満期除隊のはずだった。入隊時の年齢は書類上は十六歳となっていたが、本当の年齢は本人も知らない。仮にその書類上の年齢が正しければ今年三十六か七歳と言ったところだろう。ヒト種よりも一割くらい成長が早く寿命が短いとされるホブゴブリンにとって、三十六~七歳は隠居を考え始めるには十分な年齢ではあった。


 しかし……そうだとしても……


 グルグリウスは溜息を噛み殺す。


 相手に迷惑をかけるから友達を作らない?

 相手に“借り”を作るばかりで返せないから友達にならない?

 相手の負担になるから距離を置くというのか?

 それは……なんか違う……


 胸の奥に何かモヤモヤと不快なものが沸き上がって来るのをグルグリウスは禁じ得なかった。


 インプはか弱く力は無くとも、それでも請け負った仕事は成し遂げようと全身全霊を傾けた。どれほど困難であろうとも、知恵と勇気をもって、大きなことでも成し遂げるのだ。

 小さく、弱く、力にとぼしくとも、その誇りがあるからこそ、誰とだって対等に向かい合うことができるはずなのだ。

 しかし、人間は違うというのか?


 グルグリウスは歩き続けながらも目を閉じ、額に手を当てた。


 いや、確かにヨウィアヌスの言うこともそうなのかもしれない。

 インプは成し遂げられるという自信があった。だから非力な自分、弱い自分にも自信が持てたのかもしれない。それは、なのか?


 一つの現実に気づいたグルグリウスは額から手を降ろし、目を開ける。だがその開かれた目は視線を泳がせるばかりで何も見ていない。

 そう、彼は「老い」を知らなかった。インプは「老い」を経験することがない。インプはその脆弱さゆえに、老いる前に死んでしまうのが常だからだ。皆、若さを保っているうちに死んでしまう。


 インプは集合知を持っている。他のインプが死ぬ時の記憶を、生まれてくる時に引き継ぐのだ。それが実際に前世の自分なのか、それとも全くの他人の記憶を引き継いでいるだけなのかは分からないが、しかし一つの種として、何百何千の生を生きて来たという自覚は持っていた。ゆえに、という自負はあった。だがそれはのとは違う。


 インプは老いの苦しみを、それが突き付けてくる現実というものを、もしかしたら知らないままなのかもしれぬ……


 一瞬だが、リウィウスは老いの苦しみから孤立しかかっており、友として救わねばならないのではないかとグルグリウスは思っていた。リウィウスやヨウィアヌスたちはグルグリウスが仕える《地の精霊アース・エレメンタル》と人物を主人とするいわば同輩。グルグリウスの感覚からすればよしみを結ぶべき相手……しかもヨウィアヌス達のリーダー格となれば猶更である。そのリウィウスがもし何かに困っていたり苦しんでいたりするのであれば、それを援けるのは《地の精霊》にとっても利があるはずなのだ。

 しかし、自分はたくさん生きて来たにもかかわらず、老いの苦しみについて知らないままなのだとしたら、グルグリウスの試みはリウィウスを却って苦しめることになるのかもしれない。


「う~~~~む……」


 予想だにしていなかった難問に思いもかけず直面したグルグリウスは思わずうなった。ゴロゴロと、地の底で何かが転がるような不気味な響きを持った彼の唸り声は思わずヨウィアヌスを驚かせる。しかし、ヨウィアヌスをそれ以上に驚かせたのはカルスの反応だった。


「俺ぁ分っかんね!」


 まるで何かを投げ出すかのような声をカルスが唐突にあげ、グルグリウスとヨウィアヌスは注意を奪われる。


「わ、分かんねぇって何がだよ?」


 ヨウィアヌスは元々、急に小うるさいことを言いだしたカルスを黙らせるためにリウィウスの話を持ちだしたはずだ……厳密にいうと実際は少し違うのだが、本人はそのつもりであった。なのにカルスがこうも反発するとは全く予想できず、おもわず狼狽うろたえてしまっている。


「……分かんねぇ!」


 カルスの反発に反射的に反発で返してしまったヨウィアヌスだったが、しかしカルスの反応は要領を得ない。

 

「わ、分かんねぇって、だから何が分かんねぇんだよ!?」


「……何が分かんねぇのかもわかんねぇ!」


「シーッ!」


 カルスとヨウィアヌスの声が大きく響き、見かねたグルグリウスが注意する。


「大きい声を出すと、人目を引いてしまいますよ?」


 今更という気もしなくも無いが、見回すと確かに遠くを歩く人の目がちらほらとこちらへ向けられている。夜の暗さの中でも、こちらへ視線を向ける人の目は光って見えるから不思議だ。既に人通りは少ないが、逆に少ないからこそ下手に大きな声を出せば目立ちやすくなってしまう。


「で、何が分かんねぇんだよ、ちっと落ち着いて言ってみろ」


 ヨウィアヌスは自分たちが人目のある中央通りウィア・プラエトーリアを歩いていることを忘れて大きな声を出してしまったことを気まずく思い、先ほどより声を抑えてカルスに改めて尋ねた。

 カルスも気まずいのか、あるいはまだ何かモヤモヤしたものを抱えているからなのか、ともかく視線を道路の端の方へ逸らしながら口を尖らせて答える。


「と、リウィウスとっつあんの言ったことさ」


「さっき俺が言ったリウィウスとっつあんの話か?」


 カルスは相変わらず視線を背けたまま頷き、何か一生懸命言葉を探しながら答えを紡ぎ始める。


「と、リウィウスとっつあんが言ったこと、俺にはわかんねぇ。

 リウィウスとっつあんは色々出来る人だ。

 俺、リウィウスとっつあんとオトに色んなこと教わった。

 リウィウスとっつあんやオトが分かんねぇこととか、出来ねぇこととか、ありゃしねぇよ。

 あったら、それぁきっと、俺だって分かんねぇし、出来ねぇんだ。

 それなのにリウィウスとっつあんが、何も出来ねぇから友達つくらねぇとか、俺にゃあ……分かんねぇよ」

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