第1264話 役割分担

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プラエトーリア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 カルスもまたグルグリウスが直面したのと同じ問題にぶつかっていた。ただ、そのぶつかり方には大きな違いがあったと言える。

 グルグリウスはヨウィアヌスから聞いたリウィウスの話を一応は理解することが出来ていた。そしてそのうえで、リウィウスにどうアプローチすべきかが見えなくなって悩んでいたのだが、カルスはそれ以前にリウィウスの事情を理解することが出来ないでいたのだった。


 カルスは孤児だった。属州都アルビオンニウムの貧民街出身のカルスに親は居ない。もちろん産みの親は存在するはずだが、物心ついた頃にはいなかった。この人が自分の親かもしれない……そう思える大人の記憶はカルスにはなかった。

 盗み、かっぱらい、乞食、ゴミ漁り、幼いカルスは生きていくために何でもやった。面倒見てくれる大人が居なかったが、他の自分よりちょっと大きい子供たちがやることを真似ることで何とか生きることが出来ていた。そんな彼にとって、周りの人間は入れ代わり立ち代わり現れては消えていく存在だった。子供の中には自分と同じように大きくなっていく子もいたが、大概の人間は数年程度で初めて会った時の姿と大して変わらないうちに目の前から姿を消していくものだった。なので、人が老いていくという現象を目の当たりにしたことがないのだ。

 老人はもちろん知っている。若者も、大人も知っている。だが、若者が大人になり、老いて老人になると言われてもピンとこない。そういう話は聞いたことがあるが、実際に一人の人間が老いていく様を見続けたことがカルスにはなかったのだ。

 貧民街では誰もが急にいなくなる。死んでしまうのも居れば、失踪してしまうのも居る。誰もが生きるのに必死な地下世界では、老いたり怪我したりして不自由になれば即座に他の誰かに襲われる。住む家や面倒見てくれる家族がいるなら、家族に守られながら家に籠って出て来なくなるだろうし、そうでないなら外出した時に襲われ、そして死ぬか行方不明になってしまうだろう。だから一人の人間が老いていく姿を、カルスのような路上生活者が長い年月を通して目にし続けることなどほとんどなかったのだ。

 だからこそ、今元気に見えるリウィウスが実は老いを感じていることも、そして今後老いていって次第に身体の自由が利かなくなっていくであろうことも、想像することが出来なかった。いや、想像することを、理解することを拒否していたのかもしれない。


「分かんねぇっつわれてもなぁ……」


 ヨウィアヌスは呆れたように、少し鼻で笑うように言うと、カルスは唇を噛んでヨウィアヌスを睨みつける。その眼光に気づいたヨウィアヌスは一瞬ひるみ、すぐに睨み返した。


「……な、なんだよ!

 分かんねぇのぁお前ぇの頭が悪ぃからだろ!?」

 

 酷い言い草である。だがカルスは自分が何も知らないことを知っていた。自分が馬鹿であると自分で思い込んでもいた。実際、何も知らないがゆえに失敗することも多かった。そこに劣等感を抱いてもいた。だから、そこを指摘されると反論できない。一瞬目を剥き、殴ってやろうかと思い拳を握りしめるところまではしたもののそこで思い留まる。まず堪えろ……それはリウィウスやオトから最も多くもっとも頻繁に繰り返し教わったことだった。


 お前は確かに馬鹿だ。何も知らん。だが、それだけだ。これから色々学んで、覚えて、色々知れば馬鹿じゃなくなる。そうなる前に要らんことで怪我したり死んじまったりしねぇように、腹が立ったらまず堪えろ。怒りを吐きだしゃ気持ちはくかもしれねぇが、何も学べねぇ。それどころか恨みを買う。恨まれていつか刺される。それで死んじまやそれまでだ。だがひとまず堪えてその場をしのげば、恨みは買わずに済む。そこから何か学べるかもしれねぇし、学べなくても生きてりゃ何か学ぶ機会は出来る。無けりゃ俺が色々教えてやる。そのうち賢くなれる。だからまず堪えることを覚えろ……


 リウィウスから、オトから、異口同音に似たようなことを繰り返し言われた。ゴルディアスとかが同じこと言われているのを目にしたこともある。舐められたら終わり……そんな常識がまかり通ってる世界でそんなことを言われても半信半疑だったが、しかし言われた通り我慢してたらリウィウスやオトは褒めてくれるし約束通り色々教えてくれた。ここにリウィウスもオトも居ないが、だが目をつむればリウィウスやオトが言ってくれたことが思い出される。


「チッ」


 カルスはそっぽ向きながらそう舌打ちしてヨウィアヌスに殴りかかるのを諦めた。ヨウィアヌスからしたらそれこそ逆に馬鹿にされたようで腹が立ったが、不穏な空気を背中越しに感じたのかグルグリウスが割って入った。


「まぁまぁ、もうすぐポルタです。

 今は忘れて、後にしましょう。

 同じ仕事をする仲間同士、いがみ合っていては仕事を仕損じてしまいますよ?」


 二人はそろって腹立たし気に溜息をつき、それ以上言い争うのは諦めた。グルグリウスのいう通り、砦正門ポルタ・プラエトーリアはもう目と鼻の先である。これから彼らはそこから街道へ出、ここへ接近中の『勇者団』ブレーブスを迎えねばならないのだ。


「グルグリウス様よぉ、今更だけど俺らでホントに大丈夫なのかよ?

 ハーフエルフ様相手に戦ってまともに勝負になる自信はさすがにねぇぜ」


 気を取り直したヨウィアヌスがぶっきら棒に尋ねる。気を取り直したとはいっても、先ほどの会話でささくれ立った感情が静まったわけではないのだろう。グルグリウスは努めて平静に、しかし少し声高に答えた。


「まだ、戦いになるとは決まってません。

 ペイトウィンホエールキング様と《地の精霊アース・エレメンタル》様の御話では、彼らは話し合いを望んでいるそうですから」


「話し合いなら猶更なおさら俺らじゃ役に立たねぇぜ?

 自慢じゃねぇがこちとら育ちはよろしくねぇんだ。

 貴族様ノビリタスみてぇな礼儀作法なんざ身につけちゃいねぇ」


 ヨウィアヌスの今の態度と口調は、もしかしたら先ほどの会話の苛立ちの名残りなどではなく、純粋に不安なのを打ち消そうとしているだけなのかもしれない。


「アナタ方が話し合いをするわけではありませんから大丈夫ですよ?

 戦になるにしろ、穏便な話し合いになるにしろ、ハーフエルフの相手は吾輩わがはいが勤めます。

 アナタ方は吾輩わがはいをサポートすることだけ考えてください」


 ヨウィアヌスとカルスは互いの顔を見合った。先ほどまでいがみ合っていた二人だが、今は互いに不安を共有しているようで全く同じ表情をしている。


「サ、サポートって言ったって何すりゃいいんだかわかんねぇよ」


「先ほどの松明たいまつの話みたいに、人間の常識について助言してください。

 吾輩わがはいもたくさん生きてたくさんの人間に接してきたつもりですが、どうやら人間の常識についてまだまだ理解しきれていないようですから……」


「そんなこと言ったってアンタが何を知ってて何を知らねぇか分かんねえよ。

 だいたい、万が一荒事になったとして今の俺たちにある武器は短剣グラディウス太矢ダートだけなんだぜ?

 ハーフエルフ様ってなぁ魔法使うんだろ?

 通用するたぁ思えねぇよ」


 そう言いながらヨウィアヌスは無意識に左手に持った円盾パルマの裏側に仕込んだ太矢に目をやる。左肩から襷掛たすきがけに下げた短剣ショートソードはリュウイチから貰ったミスリル・ショート・ソードだが、魔法効果のようなものは一切なく、円盾の裏に仕込んだ太矢は何の変哲もないレーマ軍制式の青銅製だ。これで一発で大砲ほどの威力のある魔法を連発してくるという噂のハーフエルフに立ち向かえるとは思えない。


「ハーフエルフの魔法は吾輩わがはいが封じますし、ハーフエルフの相手は吾輩わがはいに任せてくださればよろしい。

 万が一にも戦になれば、アナタ方は逃げて生き延びることを優先してください」


「に、逃げろって……」


 我が耳を疑うように聞き返すヨウィアヌスだったが、その顔にはわずかに喜色が浮かんでいる。恐ろしい相手からは逃げたいというのが本音だが、強さ、男らしさが何よりも重視される価値観のレーマ軍では逃げたい気持ちを素直に表すことはできない。

 グルグリウスはそれを理解しているのか、それともヨウィアヌスの声を抗議と受け取ったのか、慌てて打ち消し、訂正し始めた。

 

「ああ、言葉を間違えました……

 まず周囲の人が巻き込まれないように配慮しつつ、報告に戻ってください」


 カルスとヨウィアヌスは再び顔を見合わせた。ただ、表情に喜色が浮かんでいたのはヨウィアヌスの方だけだったが……

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