第1265話 統率の乱れ

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 グナエウス砦ブルグス・グナエイ砦正門ポルタ・プラエトーリアの前には門番が立っている。砦に入ってすぐの敷地は商業地区になっており、一般にも開放されていて砦には誰でも自由に出入りできるのだから門番を発たせる必要などなさそうな気はするが、門番たちの仕事は門を守ることばかりではなく、霧の多い峠道で砦に気づかずに通り過ぎてしまう早馬タベラーリウスを呼び止めることも含まれるため、昼夜を問わず常に誰かが立っていなければならないのだ。それほどにグナエウス峠は霧が多く発生する。

 正門を出るとわずかばかりの空き地を挟んだ先がグナエウス街道だ。かつて、砦と街道の建設工事が成されていた当時はここにちょっとした商店街があった。いわゆる門前町カナバエだが、その頃の建物は全て撤去されて現在は砦の敷地内に移されている。

 この砦と街道の間の空き地、数軒くらいなら商店でも建てられそうなものだが、あえて何も建てられておらず、それどころか法によって行商人の天幕さえ設置することが出来ない。草木も丹念に刈り取られ、ただ風が吹き抜けるだけの空き地として保たれていた。理由は防衛上の都合である。


 砦は峠に面した北側以外はすべて切り立った崖になっている。人が出入りするためには北側のこの空き地を通るしかない。つまり、敵の軍勢が攻めてくるとしたら、グナエウス街道からこの空き地を正門へ向かって突撃するしかないわけだ。その突撃して来る敵軍に対し、砦から一斉射撃を浴びせられるようにするためにあえて砦と街道の間は空き地として整えられているのだった。おかげで風通しがやたら良い。一歩正門から出れば吹き付ける風に誰もが一瞬立ち止まり、風上に向かって体重を預けてから次の一歩を踏み出さねばならないほどだ。門前で焚かれる篝火かがりびも、わざわざ風避けで囲わねば倒されたり吹き飛ばされたりしてしまうし、門番だって風に吹かれずに済むよう門番が立つ場所には風除けが作られている。砦を囲う防壁も、北側以外は防風を目的として竣工後に増設されたものだったりする。


「なんだ、今頃歩きでどこへ行くんだ?」


「ちょっとそこまで、客を迎えにさ」


 夜中に門から徒歩で出ようとする三人組を見つけた門番と、そんなどうということのない会話を交わしたアウィトゥスはグルグリウスやカルスと共に門から出ると吹き付ける風に思わず立ち止まった。背後の門番からの「気を付けろよ」という気遣いの言葉は、早くも吹きすさぶ寒風に吹き飛ばされてアウィトゥスたちの耳には届かない。


「……くそぅ、寒ぃぜ!」


 分かってはいたがそれでも寒いものは寒い。円盾パルマで風を凌いだところで、皮下脂肪の薄いホブゴブリンが凍えるのを防ぐには十分ではなかった。手に持った松明たいまつも、吹き付ける風の中では今にも吹き消されてしまいそうである。それに気づいたカルスが慌てて松明の火を円盾の影に隠すと、自然と火が近くなり少しだけ顔が暖かくなった。一歩間違えば火傷しそうだが、今はそんなこと言っていられない。


「大丈夫ですか二人とも?」


 一人平気そうなグルグリウスは背後の二人の異変に気付き、声をかける。


大丈夫でぇじょうぶじゃねぇよ!

 凍えちまいそうだ!

 こんなんじゃ松明も消えちまう!!」


「アウィトゥス!

 松明を盾で隠すと、良い感じだぞ!?

 ちょっとあったけぇ!」


 文句を言うアウィトゥスにカルスがアドバイスすると、アウィトゥスもそれに倣った。消える寸前だった松明を円盾の裏に隠すと、たちまち松明の火は勢いを取り戻す。

 目の前で燃え盛る炎を見ながらヨウィアヌスは片頬を歪めてわずかに笑った。


「おお、ホントだ。

 カルスもたまにゃ役に立つこと言うじゃねぇか!?」


「うるせぇよ、“たまに”は余計だ!」


 強い風の中、負けないように大声を出すヨウィアヌスにカルスも怒鳴り返す。怒っているようだが、誰の目にも見えないその表情はまんざらでもないようだ。その二人に残酷な言葉が降りかかる。


「お二人とも、それでは前が見えなくありませんか?」


 グルグリウスの指摘に二人は浮かべていた笑みを消した。確かに、目の前で松明の火が燃えていたのでは、その火のまぶしさで周囲の状況がまるで見えない。眩しく温かい光を名残惜し気に見つめたヨウィアヌスは泣き言でも言うようにグルグリウスに尋ねた。


「さっき魔法がどうとか言ってたじゃねぇか!

 アンタ様の魔法でどうにかなんねぇもんかね、グルグリウス様よ!?」


 グルグリウスのついた溜息は二人には聞こえなかったが、彼の返事は嫌になるくらいはっきり聞こえた。音というものは、周波数の高い音ほど風でかき消されやすいが、グルグリウスの声のように低い音は風の中でもよく通るのだ。


「無理ですな。

 暗視魔法で暗闇を見通すようにはできますが、眩しい光の中を見通せるようには出来んのです」


 チィッ……グルグリウスの溜息が聞こえなかったように、ヨウィアヌスの舌打ちは他の誰の耳にも届かなかった。


「しょうがねぇ、火は諦めようぜカルス!」


 ヨウィアヌスが残念そうに松明を放すと、円盾によって風が当たらない範囲から出た途端に火が弱まり始める。今にも吹き消されそうになって慌てて戻し、火が消えないが火によって視界が邪魔されない微妙なバランスの場所を探す。だがその時には既に、眼前で燃やした炎のせいでヨウィアヌスとカルスの目は明るさに慣れてしまい、暗闇を見通せなくなってしまっていた。寒さも手伝ってヨウィアヌスのやる気が急速に削がれていく。


「クソッ、ホントにこのまま行くのかよ!

 もうそこらへんで待とうぜ!?」


 まだ砦の正門を出て五ピルム(約九・三メートル)も進んでいないのにヨウィアヌスは歩き渋り始めた。予想外の提案にグルグリウスは驚く。


「ヨウィアヌス、街道で出迎えるという話だったじゃありませんか!

 ここで『勇者団』ブレーブスを出迎えたんじゃ、門衛に見られてしまいますよ!?」


 当初の予定では砦から東へ少し進み、最初のカーブの向こう側……門番の目の届かないところで出迎えることになっていた。そこならば万が一戦闘になったとしても誰の目にも止まらずに済む。放たれた魔法が間違って砦へ被害を及ぼす危険性も無いはずだ。


「こんな暗くて寒ぃ中、行きたくねぇよ」


「あと三十ピルム(約五十六メートル)ほども進めば尾根の影になって風は当たらなくなります。

 そこまで辛抱してください」


 そう、風が吹きすさんでいるのは峠の頂上……つまり砦の前から西側だけなのだ。峠から東側へ行けば尾根に阻まれて風は当たりにくくなる。グルグリウスが言った峠から三十ピルム(約五十六メートル)ほど東へ行った先は街道がカーブで尾根側へ切り込んでおり、そこは風がまったく当たらない上に砦からの視界も切れるので今回の目的にはぴったりの場所だった。だがヨウィアヌスはそこまで行くのさえ面倒くさがっている。ホブゴブリンが寒さに弱いのは知っていたが、さすがにこれはグルグリウスにとっては想定外の事だった。

 見とがめたカルスがグルグリウスに味方する。


「ヨウィアヌス、仕事だろ!

 我儘わがまま言ってるとまた怒られるぞ!?」


 カルスからすれば「またか……」だった。嫌な仕事をさせられるとき、ヨウィアヌスとアウィトゥスがこういう風にすぐに文句をつけて仕事を放り投げようとするのはよくあることだった。それにネロが腹を立て、リウィウスやオトが何とかなだめ、時にゴルディアヌスが力づくで黙らせてヨウィアヌスやアウィトゥスを従わせるのがいつものパターンなのだが、今日この場にはヨウィアヌスを𠮟りつける人間は一人も居ない。カルスの見るところグルグリウスはまだヨウィアヌスのそうした性格を理解していないし、どうやら自分たちに強くでられないというか、強くでたくなさそうな様子だ。そこでカルスが窘めてみたのだが、さすがに一回り年上のヨウィアヌス相手にカルスでは力不足だったようである。


「我儘じゃねぇよ!

 ちゃんとゴーリテキリユーってのがあんだよ!」


「何だよゴーリテキリユーって!?」


 呆れるカルスにヨウィアヌスは垂れ始めた鼻水をぬぐい、偉そうに講釈を垂れた。


「いいか、万万が一戦が始まった時、俺達ゃ何するよ!?

 報告のために砦へ戻んなきゃいけねぇじゃねぇか!

 それなのにこんな松明も吹き消されちまうようなトコ、走って戻れるか!?

 俺ぁそんな自信ないねぇ!

 すぐに報告に戻るのが仕事なら、その仕事を全うできるように、すぐ戻れるところまでしか行っちゃいけねぇんだよ!」


 脚に自信のあるカルスにその言い訳は通用するわけはないしヨウィアヌス自身も途中で気づいたが、それでも途中からは語気を強めてカルスに反論の余地を与えず最後まで言い切った。本当に合理的ならこの場に留まるより当初の予定通り、風の当たらなくなる場所まで行って待つ方を選ぶだろうがヨウィアヌスはもうテコでも動かねぇ!……そんな雰囲気を目一杯だしている。

 残念ながらカルスにはヨウィアヌスの屁理屈を否定しきるほどの知恵は無かったし、グルグリウスはカルスが見立てた通りヨウィアヌスに強く出ることができなかった。まあ、グルグリウスはグルグリウスで今の自分の実力なら『勇者団』ごときどこで出迎えようが同じという慢心もあって余計に強く出なかったのだろう。

 結果、三人は砦のすぐ前でティフ達を出迎えることになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る