ティフ入城

第1266話 砦に挑む『勇者団』

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 南北に延びる西山地ヴェストリヒバーグを東西に横断するグナエウス街道ウィア・グナエイは、峠の頂上付近……おおむね九合目から上あたりになるとほぼ断崖絶壁に無理やり設けられたような九十九折つづらおりの道路となる。一応、全面舗装されているし道幅も勾配もレーマ軍の軍用街道ウィア・ミリタリスの規格に準じているから軍勢や荷馬車の通行には支障がないようになっているが、それでも曲がりくねった道路を吹きすさぶ風に晒されながら暗闇の中進むのは生きた心地がしない。その街道の先に星空を背景に黒々と染まって浮かぶグナエウス砦ブルグス・グナエイがまるで英雄譚に登場する魔王城のように見えてしまったとしても無理からぬところであろう。それは純粋な視覚的問題からではなく、そこで待ち受けるであろう強大な存在と困難に挑まねばならないティフ・ブルーボール二世の心象を考えればなおのことだ。

 幾度もカーブを曲がり、ようやく見えた砦の前に異様な三人組が立っているのを目にしたティフは思わず息を飲む。手綱を握る手に、あるいは馬の背にまたがる両足に力が入ったか、ティフの乗る馬も騎手の緊張を察して身震いしながら行き脚を鈍らせた。


「……ティフ?」


 隣を進むデファーグ・エッジロード二世も同じ三人組に気づいたか、ティフの方を見るでもなく呼びかけてくる。その声は緊張していた。


「あ、ああ……」


 何かがつっかえたような喉から無理やり出した声は、どこか頼りなかった。この吹きすさぶ風の中では消え入り、誰にも届きそうにない。


 なんだアイツ等……


 三人組の内、中央に立つ男は長身なティフやデファーグをも上回る上背にゴリゴリの筋肉をまとった巨漢だ。スモル・ソイボーイやデファーグは普段、豊富な魔力を活かした身体強化によって非常識なほど全身の筋肉を肥大化させているが、そいつはそんなスモルやデファーグよりも筋肉が盛り上がっているように見える。まるでヒトの骨格にホブゴブリン並みの筋肉をつけて更に全体を巨大化させたような巨漢は、その両目を赤く輝かせてこちらを見ている。おおよそな人間ではないだろう。赤く目を光らせる動物など存在しない。ティフ達の知る限り、そんな生き物は魔物だけだった。

 その両脇に控えるのはホブゴブリンだ。体格はホブゴブリンとしては常識の範囲内だが、二人とも両目がうっすら緑色に光っている。ティフはその理由を知っていた。何もない暗闇で両目が緑色に光るのは、ティフ達も良く知る暗視魔法の副次効果だった。つまりあのホブゴブリンたちは暗視魔法を使っているということであり、ただのレーマ軍の軍団兵レギオナリウスなどではないということだ。二人のホブゴブリンたちは一応松明たいまつを持っているが、おそらく火の灯りなどに頼っていはすまい。実際、その火は風に吹かれて今にも消え入りそうになっており、周囲を照らすにはあまりにも頼りない。きっと灯りのためではなく、何かの目印か、あるいは信号のために持っているのだ。


 何のためにあんな連中がこんな場所に? ……そんなのは決まっている。彼らの目的はティフ達だ。人の姿をした魔物と魔法を使ったホブゴブリン兵、そんなのは今のヴァーチャリア世界ではムセイオンか大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフのダンジョンぐらいでしかお目にかかれないだろう。しかし、こんなところにムセイオン関係者やフローリアの配下が来ている筈もない。

 強大無比な《地の精霊アース・エレメンタル》に守られた姫君・ルクレティア・スパルタカシアに会いに来たハーフエルフ、ティフ・ブルーボール二世の目の前にそんな世にも珍しい存在が姿を現した。その事実を自分とは無関係な出来事として片づけられるほどティフは能天気ではない。


「どうかなさいましたか、お二人とも?

 あそこに見えるのが目的地の砦ですよ!?」


 前方を行くティフとデファーグが急に行き脚を鈍らせたことに戸惑った御者が大きな声を出した。馬車を引く馬たちはその声に驚き、耳を盛んに動かす。

 どこか間の抜けた御者の大声にティフ達はハッと我に返ると、後ろを振り返って答えた。


「分かってる!

 少し予定を変更したいが良いか!?」


「何です!?」


 戸惑う御者が馬車を止めると、ティフは馬首を巡らせて御者のすぐ近くまで戻ってきた。


「どうかなすったんで?」


「いや、どうってことはないんだが、予定を変えたいんだ」


「予定を変える?

 だって、砦はもう目と鼻の先ですよ。

 ホラ、あそこに見えるのがそうだ」


 御者は事情が分からず少し混乱した様子を見せながら、坂道を登り切った先に見える砦を指差した。


「分かってる。

 お前はあの砦へ行くのだろう?

 俺もそうだ。

 俺が会わねばならない相手はあの砦に居るはずだからな」


「じゃあこのまま行きやしょう。

 もうすぐだ」


 乗客である新米牧師メルキオルのために先を急ぎたい御者はティフに進むよう促すが、ティフは苦笑いを浮かべて首を振る。


「ああ、俺は一緒に行くが、仲間たちはこの先へ行かなきゃいけないんだ。

 ホントは一緒に砦で一泊するつもりだったが、思ったより早くに峠を越えられそうだから行けるだけ先に行きたい」


 御者は愛嬌のある顔を面倒くさそうに歪めると、悪い冗談でも聞いたかのように首を振る。


「待ってくだせぇ。

 この馬車の馬はアナタ方にお借りしたもんだ。

 この馬車の本来の馬ぁ今アナタ様とアナタ様の御連れさんが乗ってらっしゃる。

 もしそうするなら馬を繋ぎなおさなきゃいけねぇ」


 そう、御者の馬はここに来る前に疲れ切ってしまっていた。本当なら馬を替えて砦まで急ぐ予定だったが、峠にダイアウルフ出没の危険があるからという理由で替え馬の提供を断られてしまっていた。そこでたまたま出会ったティフ達からまだそれほど疲れていない馬と一時的に交換してもらい、馬車をここまで曳かせてきたのだ。

 行き先が同じ砦なのだからそれで問題なかったはずだ。だがティフ達がさらに先に行くというのであれば、馬を返さねばならないだろう。この街道上で馬を繋ぎなおすのは出来なくはないが、こんなところで馬を繋ぎ変えるくらいなら砦でやった方が安全なはずである。それなのにわざわざここで予定変更して先へ行くと言い出すティフに御者が怪訝けげんな表情を見せるのは当然だろう。


「ああ、馬のことはいいんだ!」


 ティフは慌てたように打ち消す。ティフとしてはそんな話をするつもりは無く、それどころか馬のことなどすっかり忘れていたからだ。


「馬はいい!?

 いったい何がいいんで???」


 馬は財産だ。奴隷一人と同じくらいの価値がある。庶民が簡単には買えないくらいの高価な生き物であり、そして優しく賢い。優しく大事に接すれば懐いてくれるし、人間の期待以上によく働いてくれもする。愛情には愛情を持って応えてくれる真に愛すべき動物なのだ。そうだからこそ御者や馬丁ばてい騎手エクィテスといった馬に関わる職業につく人間たちは馬を非常に大事にするし、特別な愛着を見せる者たちも少なくない。中には人間よりも馬の方が信頼できると言ってはばからない者もいる。そんな馬好きの人間はたとえそれが自分のではなくとも、馬が粗略に扱われることに我慢がならない。

 この御者もそうした馬好きの人間の一人だったのかもしれない。ティフの「馬のことはいい」というセリフを、まるで馬を価値のない消耗品として扱う冒涜的態度としてとらえたらしく、その声と表情に怒気を含ませている。


「いや、俺たちの馬は借りた馬なんだ。

 ほら、レーマ軍の焼き印があるだろ?」


 ティフはそういうと馬車に繋がれた馬の尻を指差す。暗くてよく見えないが確かに焼き印らしき影が見えた。ティフは御者が焼き印を確かめるのも待たずにそのままの勢いで続ける。


「レーマ軍から借りた馬だからレーマ軍に返してくれればそれでいい。

 お前の馬だってレーマ軍から借りた替え馬だろう?

 レーマ軍の馬なら峠の先のどこかでレーマ軍に返しても問題ないんじゃないのか?」


 そう言われると御者はどうやら自分が早合点して怒ってしまったようだと気づいたようだ。渋面は作ったままだが、同時にどこか申し訳なさそうな目でティフを見つめ返す。


「そういう話ならそりゃ問題ねぇが……

 じゃあ、別にここで馬ぁ繋ぎなおせって話じゃねぇんですね?」


「ああ、俺以外の三人はこのまま砦に入らず砦の前を通り過ぎて先へ行くんだ。

 あと、俺はあの砦は初めてなんでね。

 砦の中は不案内だから、ここから先はお前に先に行ってくれると助かる」


 一時は話がこじれそうになって不安に陥ったせいか、話が通じるとティフは安堵から自然と笑みをこぼした。御者もそれにつられ、愛強ある顔に似つかわしい笑みを浮かべて頷く。


「それくれぇはお安い御用だ。

 アナタ様方にゃあ随分助けられた。

 おかげでここまでダイアウルフに会うことも無くたどり着けた、

 アナタ様方に助けてもらえなきゃ、アタシャ牧師様を今夜中に砦へ届けることも出来なかったに違ぇねぇ。

 まかせておくんなせぇ」


 御者はティフに向かって胸をドンと叩いて言うと、ティフは満足し、前で振り返りながら様子を見ていたデファーグに親指を立てて合図した後、ハンドサインで脇へ避けるよう指示をだした。

 デファーグが乗った馬ごと脇へ避けると、それを合図に御者は手綱をピシャリと振って馬車を前に進め、デファーグを追い越しざまに感謝の言葉を告げる。


「皆さんに神の御恵みを」


 馬車が前へ行きすぎると、ティフとデファーグは馬車の後ろから付いてきていたソファーキング・エディブルス、スワッグ・リーの二人と合流し、前進を再開する。


 そうだな、是非祈ってくれ。

 俺たちには今こそ、神の恵みが必要なんだ……

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