第370話 破滅の予兆

統一歴九十九年五月四日、夕 - ライムント街道/シュバルツゼーブルグ



 レーマ帝国の郵便は飛脚タベラーリウスと呼ばれる。馬を乗り継いでリレー形式で手紙などを送るのだが、その馬を乗り継ぐ中継地点となる基地は大きく分けて二種類ある。一つが民間の施設で軍などが駐留していない、本当に馬を交換するだけの施設なので交換所ムーターティオーという。もう一つは軍が常駐していて飛脚タベラーリウスの馬の交換のみならず、周辺地域の治安維持や、行軍中の軍団レギオーに対して物資の補給等の支援を行うための機能を持った施設であり中継基地スタティオと呼ばれる。中継基地スタティオのうちさらに土塁や城壁、砲台といった防御施設を有し、大規模な部隊が駐留できるようにしたものをブルグスと呼ぶ。

 中継基地スタティオは周辺地域の治安を維持するための警察署としての役割も担っているため、その司令官には百人隊長ケントゥリオと同格の軍人が就き、重要な街道ともなると実際に百人隊ケントゥリア規模の警察消防隊ウィギレスが常駐している。簡便な柵などで囲われている程度で城壁等の防御施設は持っていないが立派な軍事施設だ。


 しかし、シュバルツゼーブルグ以北のライムント街道はアルビオンニウム放棄以後は常駐部隊の人員が大幅に減じられており、今回襲撃を受けた第五中継基地スタティオ・クィンタも十人程度の兵士が常駐するのみとなっていた。防御施設も無いし、十倍近い人数がいるのならば、たしかにアマチュア集団でも攻略は容易だっただろう。


 だが、可能かどうかの問題とやるかどうかの判断の間には深くて広い溝がある。軍や貴族ノビリタスを直接襲えば間違いなく軍団レギオーが本腰を上げて討伐に乗り出してくるのだ。そうなればアマチュア集団に過ぎない盗賊などひとたまりもない。それがわかっていてよりにもよって軍の施設である中継基地スタティオを襲うなど、並の盗賊ならやるはずの無いことであった。

 ヴォルデマールが言った新勢力…それは盗賊の集合体ではあるはずだが、こうして軍の施設を襲った以上、もはや盗賊以外の何かだと判断せざるを得ない。当然、ルクレティアらの一行に襲い掛かってくる可能性も否定できなくなった。


 ルクレティアら一行は昨夜シュバルツゼーブルグに宿泊したことから、予定を早めて今日中にアルビオンニウムへ入ってしまうつもりでいた。シュバルツゼーブルグの出発が昨夜の事件のせいで三時間遅れたとは言っても、アルビオンニウムにはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの二個百人隊ケントゥリアが陣を張って安全を確保していることを考えれば、到着が日没後になってしまったとしても問題はないと考えられたからだ。

 だが、謎の勢力の襲撃が予想される状況であるならば、日没近い時刻に街道を進み続けるのはリスクが高い。東西を山に挟まれているため暗くなるのが早いライムント地方では、旅人は明るいうちに宿を求めるのが常識である。護衛隊長のセルウィウス・カウデクスはその常識に従い、当初の予定通りアルビオンニウムの手前にある第三中継基地スタティオ・テルティアに宿を求めることにしたのだ。


ご婦人方ドミナエ!今宵のお宿が見えて来やした。」


 御者台からリウィウスが車内のルクレティアとヴァナディーズにやや大きい声で報告すると、キャビンの後ろの従者席フットマンズシートに座っていたカルスとヨウィアヌスの二人が立ち上がって前方の様子を見始める。それに遅れてルクレティアとヴァナディーズも窓から顔を出して前方を見た。


 一行が進む街道の先のやや盛り上がった、丘と言うには背の低い高台の上にそれは見えた。街道の右側に木造の見張塔が立ち、周囲を木の柵で囲った中継基地スタティオ。そしてその向かい側に石の壁で囲われた広い建物。中継基地スタティオに併設された宿駅マンシオーだった。


 宿駅マンシオーはキャラバン等の民間人旅行者用の宿泊施設で、宿場町等市街地から離れた場所でも野宿しなくて済むように設けられたものだ。宿泊施設の他に馬車の修理工房や商店もあったりするのだが、ここの宿駅マンシオーはアルビオンニウム放棄後は運営が停止されている。

 今回は人数が多すぎて中継基地スタティオには収容しきれないので、護衛隊のうち一個百人隊ケントゥリア中継基地スタティオに宿営し、他は宿駅マンシオーの方へ泊まることになっていた。宿駅マンシオーの建物や設備はしばらく使われていなかったが、事前に連絡はしてあるので向かいの中継基地スタティオの守備隊が使えるように手入れをしてくれていたはずである。

 前衛隊が先に中継基地スタティオへ入って百人隊長ケントゥリオが守備隊長に挨拶をしていたため、ルクレティアら本隊が到着する頃には宿駅マンシオー正門ポルタは開け放たれていた。


「ルクレティア様、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスが挨拶をしたいと申しておりますが…」


 馬車から降りたルクレティアにセルウィウスが報告に来た。


「わかりました。お会いしましょう。

 用意を整えるから少し、待ってくださるかしら?」


 ルクレティアは今日はシュバルツゼーブルグを発ったらアルビオンニウムまで行くからもう大丈夫だろうと、馬車の中で『聖賢のローブ』ローブ・オブ・セイントを着こんでしまっていた。さすがにこれを人に見せるのは不味い。


「承知しました。応接室タブリヌムに通しておきますので、ご用意が整いましたらおいでください。」


 ルクレティアとヴァナディーズはクロエリアら侍女たちとまず自分たちの今日の寝室クビクルムへ入り、着替えてから応接室タブリヌムへ向かった。そこでは既にセプティミウスとセルウィウスが守備隊長と談話をしていた。


アルビオンニウム・ケレース神殿アルビオンニウム・テンプルム・ケレース神官長代理、ルクレティア・スパルタカシア様、御成~り~」


 名告げ人ノーメンクラートルの名乗りを聞いて、室内にいた軍人たちが一斉に立ち上がってルクレティアを迎え入れる。


「お待たせしました。」


「お初にお目にかかかります。自分はこちらの中継基地スタティオを任されております、シュテファン・ツヴァイクと申します。

 高貴なるスパルタカシア様に当地をご利用いただき、光栄至極に存じます。」


「快く歓迎していただき、御礼申し上げます。

 今宵はお世話になりますツヴァイク殿。」


 初老で痩せぎすの中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスとルクレティアは型どおりの挨拶を済ませると、「長旅でお疲れでしょう」とシュテファンが用意させた香茶と地元の果物がふるまわれた。

 実はこの宿駅マンシオーはかつてアルビオンニウムの外縁を守るブルギの一つとして建造された物だったが、版図拡大により必要性が薄れたことから解体されて今の宿駅マンシオーに作り直されたモノだった。そのため近くには城下町カナバエと呼べるような集落が存在しているし、また周辺地域には小規模な農村が点在している。おかげで今でもこうして農作物等が手に入るのだ。


「さて、先ほどの話の続きですが…」


 お茶と果物が並んで場が和んだところで、ルクレティアが来る前に軍人たちがしていた話が再開されることになった。内容は無論、例の新勢力の話である。


「正直言って驚いております。

 確かに、ここのところ当地の盗賊たちの動きに変化はありました。しかし、よもや中継基地スタティオを襲うなどとは…お二人の話を疑うわけではありませんが…いや、やはり信じがたい。」


 シュテファンは顔に憂慮ゆうりょにじませ、呻くように言った。


「実際に目の当たりにしなければ信じられないのも当然でしょう。我々も驚いております。

 当地の盗賊たちの動きに変化があったとのことですが?」


 興味深げなセプティミウスの問いにシュテファンは人差し指で額を掻きながら、とても信じては貰えそうにないと自覚をしているかのように話し始めた。


「ええ、奴らは妙に組織的に動くようになっています。

 以前は十人前後の小さな集団が単独で通りがかる荷馬車や旅人を襲ったり、集落への襲撃を試みたりといったものだったのですが…今は複数の集団で連携をとった動きをするのです。」


「連携を?」


「そうです、何か所かで同時に騒ぎを起こし、我々が部隊を派遣して手薄になった隙に別のを襲う…というような。」


「まさか!陽動ようどうですか!?」


 ここらの盗賊のやり方としてはこれまでに無かったものだ。陽動作戦は合理的ではあるが、陽動を実行する部隊は必ず損をする。盗賊というのは基本的に食うや食わずのギリギリのところで仕方なく食っていくために誰かを襲うのだ。そんなギリギリの連中が自分の分け前を確実に約束されるわけでもないのに損な役回りを演じることなどあり得ない。彼らは極端に利己的なのだ。だからこそ、どの盗賊も短命で離合集散りごうしゅうさんを繰り返す。そして、そんな盗賊は同じ集団に属する盗賊同士の連携はあり得ても、異なる集団同士で協力することなど…特に誰かが一方的に損をする類の協力をするなどあり得ない。

 にもかかわらず盗賊同士が連携をしているということは、より上部の組織によって作戦が指揮されているか、協力が仲介されていることを意味する。これは軽視することの出来ない大きな変化と言えるだろう。盗賊が、根本的に変質しているのだ。


「その通りです。

 自分の指揮下には四十名の兵士がおりますが、正直申し上げて数が足りません。

 最早、誰かが襲われる度に救援に行くようなやり方では対処しきれぬところまで来ております。ですが、領民が襲われれば助けに行かないわけにはいかない。」


「お気持ちは分かりますが、陽動と分かっていて戦力を小出しにするのは今後は控えた方が良いでしょう。」


 セプティミウスはシュテファンに警告する。


「奴らは中継基地スタティオを襲いました。そして武器を手に入れました。短小銃マスケートゥム擲弾グラナートゥムをね。あの中継基地スタティオ短小銃マスケートゥムが何丁、擲弾グラナートゥムが何発あったかは分かりませんが、まとまった数があったはず。

 今度は救援に差し向けた部隊を狙い始めるかもしれません。」

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