第371話 月下の異変

統一歴九十九年五月四日、夜 - ライムント街道第三中継基地/アルビオンニウム



 ライムント街道ウィア・ライムント第三中継基地スタティオ・テルティア、そこはかつてない緊張に満ちた夜を迎えていた。

 かつてアルビオンニウムの外縁を守っていたブルグスが役割を終え、解体されて宿駅マンシオーに改築される際に街道を挟んだ真向かいに建設された中継基地スタティオは、アルビオンニウムとシュバルツゼーブルグのちょうど中間地点に位置するということもあって、比較的規模の大きい警察消防隊ウィギレスが配置されている。しかしそれもアルビオンニア侯爵家が直轄管理していた建設当初の話であって、アルビオンニウム放棄後の現在は管理をシュバルツゼーブルグ家に委託されており、交通量の大幅な減少もあいまって警察消防隊ウィギレスの規模は半減させられていた。それでも、シュバルツゼーブルグ以北のライムント地方の中継基地スタティオの中は最大の戦力を誇っているが、その人数はわずか四十と一般的な百人隊ケントゥリアの半分ほどに過ぎない。

 街道上に出没する十人前後の盗賊に対処するには十分な戦力ではあったが、それらの盗賊が連携を取り始めたことから数的優位は消え去っていると考えねばならないだろう。あとは武装と練度、そして士気の高さが優位点として残されていたわけだが、二つ隣の第五中継基地スタティオ・クィンタが襲撃されて武器を奪われたことで、武装の優位点も失われつつある。職業軍人である警察消防隊ウィギレスが練度の点でアマチュアに過ぎない盗賊ごときに追いつかれることは無いだろうが、士気の点では状況次第でいつでもくつがえされかねない。特に夜の闇の中、襲う側と襲われる側という立場の差は、両者の士気に絶大な影響を及ぼすだろう。

 そしてその懸念は早くも顕在化しつつあった。



 異変は早くも日暮れと共に訪れていた。南東の森の向こうから、銃声が聞こえ始めたのである。最初の銃声は西山地ヴェストリヒバーグの稜線の向こうに陽が接しはじめたころに聞こえた。最初は一発、二発といった少数が散発的に聞こえるだけだったし、遠いせいか銃声に気づかない者が大半だったが、半時間もしないうちにパパパパパッと一斉射撃のような音になる。数分ごとに鳴っていた銃声は、あたりが暗くなり始めるまで続いた。


「何なんでしょうか?」


 見張塔の上で見張りに就いていた兵士は、報告を受けて様子を確認に来た守備隊長のシュテファンに不安気に尋ねる。銃声の鳴っている方には森以外何もなく、襲うような集落も無ければ襲われるようなキャラバンが通る道もない。狩猟を行っているような銃声でもなかった。


「練習だろう。」


 シュテファンは重苦しい表情で森を睨みながら独り言ちるように答える。


「練習?」


「ああ、奪った銃の使い方を練習しとるんだ、がな」


 襲われた第五中継基地スタティオ・クィンタには、シュテファンの記憶が正しければ予備も含め四十丁程度の短小銃マスケートゥムの備蓄があったはずだ。この近辺の盗賊全員に行き渡らせるには足らないが、盗賊側が四十丁もの短小銃マスケートゥムを使いこなせるようになったとすれば、事態は楽観できない。メンテナンスや戦場での再装填などを考えれば短小銃マスケートゥムは一日や二日で使いこなせるようになるほど単純な武器ではないが、盗賊のように奇襲をかけて失敗すれば逃げに徹するような使い方をするのなら完璧に習熟する必要もないからだ。

 シュテファンは夜襲を防ぐため、中継基地スタティオ宿駅マンシオーの周囲に焚火や篝火かがりびを多数用意させた。街道や中継基地スタティオ周辺の法面のりめん外縁部に等間隔に火を焚かせ、誰がどの方向から近づいても炎の灯りに照らされるようにしたのだ。この作業はセルウィウスの部下たちも手伝った。



 次の異変は銃声が止み、陽が没してから約一時間後だった。異変に気付いたのはやはり見張塔で見張りについていた兵士だった。報告を受けて見張塔に登ってきたシュテファンが兵士の指差す南方に見たのは、遠く稜線上に燃える炎の灯りだった。


「アレはたぶん、第四中継基地スタティオ・クアルタです。」


 そう告げる兵士の声は心なしか緊張に震えていた。四マイル(約七・四キロ)先で燃える炎は小さくて何が燃えているかはさすがに見えない。だが、この距離であれだけハッキリと炎の光が見えるということは、かなりな規模の火災が起きているということだ。そして、あのあたりにそれだけの火災を起こしうる建物は中継基地スタティオ以外に存在しない。


「あの、夕方の銃声がひょっとして…」


「バカを言うな」


 炎を見て呻っていたシュテファンだったが、兵士の怯えたような声を古強者ふるつわものらしい落ち着いた口調と態度で一蹴する。


「方向が違うだろうが、だいたいあんな遠くの銃声がここまで聞こえてたまるか」



 次の異変はそれから約二時間後、やはり南方で起こった。街道上を松明たいまつを掲げた馬車の車列が接近してくるのが視認されたのだ。


商隊キャラバンだと?こんな時間にか!?」


 見張塔に登ってきたシュテファンは胡散臭うさんくさそうに言った。シュテファンの吐く息はわずかに酒臭い。夕食で少し飲んだためだ。もちろん、流石にこの状況で酔うほど飲んだりはしていない。


「あそこです」


 見張りの兵士が指さす方向には松明を掲げた馬車が三台見えた。夜のとばりはとっくに降りて月明かりに照らされた街道上を、やけに速い速度で接近してくる。街道上とはいえ夜は危険だ。まともな商人なら夜中に荷馬車を走らせることなどあり得ない。無理せず金をかけてでも安全な場所に泊まるか、自分たちで安全な場所を探して野宿する。


「ひょっとして、第四中継基地スタティオ・クアルタから逃げて来たのでは?」


 第四中継基地スタティオ・クアルタは炎の勢いは一時期より納まってきているが、まだ燃えていた。距離があるので炎の灯りはたまにチラッチラッと見える程度だが、四マイル(約七・四キロ)も離れてチラっとでも光が見えるのだから実際にはまだかなりの勢いで燃えているのだろう。

 第四中継基地スタティオ・クアルタが燃えていると最初の報告があってからもうすぐ二時間…そこから逃げてきたという可能性は確かに否定できない。迎え入れる準備をするか、もしかしたら第四中継基地スタティオ・クアルタの様子など聞けるかもしれない…シュテファンがそう考えを巡らせていた時、更なる異変が巻き起こる。


「あっ!」


 見張りの兵士が気づいて声をあげた。

 馬車の車列が距離約百五十~六十ピルム(約二百七十八~二百九十六メートル)ほどまで迫ったところで、左右の街道脇から松明を持った盗賊がワラワラと現れて馬車を停止させ、馬車を取り囲んだ。そして盗賊たちが馬車に襲い掛かり、松明の炎が停止した車列の周辺で乱舞する。


隊長カピティン!襲われています!!」


 焦る兵士とは対照的にシュテファンは落ち着いていた。というより、呆れていた。


「いや、あれは芝居だな」


「し、芝居!?」


 シュテファンの意外な一言に兵士は自分の耳を疑った。


「考えても見ろ、仮にお前が盗賊だとして、これから夜襲をかけようっていう時に松明なんか用意するか?

 そんなもの用意したら、光で待ち伏せしてんのがバレっちまうだろうが?」


「あっ…」


「本当に夜中にキャラバンを襲撃するなら松明なんか用意するもんか。

 あれは芝居だ。キャラバンが襲われている風を装って、我々をおびき出そうという陽動だ。

 暗闇で遠くからでも襲われてますよって分かりやすいよう、ご親切に松明を用意してくれたんだろうが…余計だったな。」


 まだ半信半疑の兵士の見ている前で松明の乱舞は次第に大人しくなり、最後に馬車に火が点けられ、馬車は炎を上げて燃え始めた。

 それを見てシュテファンは小馬鹿にするように鼻を鳴らすと吐き捨てるように言った。


「見ろ、本当に襲ったなら戦闘の後で死体や生き残りの確認をするはずだ。そしてその後で荷馬車から人間なり積み荷なりを運び出す。だがそんな時間もかけずにとっとと荷馬車に火を点けおった。」


 街道上で燃える馬車の炎だけを残し、松明の群れは森の中へ消えていく。だが、荷馬車の燃える炎は大きく、見張塔の下にいる兵士たちの目にも見えたようで、地上がにわかに騒がしくなり始めた。


「何だあの火は!?」

「燃えているぞ!」

隊長カピティンはどこだ?」

「報告しろ!」

「塔の上です!」

隊長カピティンは!?」


「おう!こっちだぁ!!」


 足元の騒ぎに気付いたシュテファンが下に向かって大声を出すと、地面に居た兵たちが一斉に見張塔を見上げる。そして自分たちの隊長が塔の上に居ることに気付くと、両手で口元をおおう様にメガホンを作ると大声で報告した。


隊長カピティン!あっちに火が見えます!!」


「おう!気にするな!

 賊どもが陽動で馬車を燃やしとるだけだ!

 警戒を厳にせよ!!」


 シュテファンは警戒態勢を命じ、部隊を動かさなかった。見え透いた陽動に乗ってやる必要はない。だが、これで一つ明らかになったことがある。


 奴らはまだ何かここら辺で仕掛けるつもりだ。


 賊が狙うとすれば考えられる可能性は三つ。一つはこの中継基地スタティオから少し北へ行ったところにある集落への襲撃。そこは向かいの宿駅マンシオーがまだブルグスだった頃、駐留部隊への補給を担っていた御用商人たちが築いた城下町カナバエの名残で、今でも二十数世帯が残ってこの近隣の農家を相手に商売をしている。

 もう一つは今、宿駅マンシオーに入営しているルクレティアらの一行。スパルタカウス家の息女であるルクレティアはアルビオンニアでも随一の高貴な血統を誇る大貴族パトリキであり、人質にとれば身代金はかなりな額が期待できるだろう。あれだけの大部隊を護衛に付けているが、大部隊が護衛についているということはそれに見合うだけのを持っているのかもしれない。

 そして最後の一つはこの中継基地スタティオそのものだ。賊は既に二つの中継基地スタティオを攻略し、そこにあった武器や馬を奪っていると考えられる。であれば、この近隣で最も規模の大きいここを襲えばもっと大量の武器が手に入ると期待するのは至極当然と言えるだろう。

 いずれにせよ、賊がここに襲撃を仕掛けてくる公算は大きい。どうやら今夜のやけに明るすぎる月には、この小さな中継基地スタティオを守る兵士らに安らかな眠りをもたらしてくれる気はありそうになかった。

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