第372話 真夜中の脱出行

統一歴九十九年五月四日、深夜 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 属州アルビオンニア州都アルビオンニウムは市街地を囲む城壁こそ存在しなかったが、周囲にブルギ前哨基地スタティオを囲むように配置して防備を固めていた。そのうちの一つ、現在ライムント街道の第三中継基地スタティオ・テルティアがあるあたりにあったブルグスはアルビオンニウムの真南に位置していたことから「南城門」スゥドレイヒス・ブルグトアという異称で呼ばれ、その門前町カナバエ「南城門村」スゥドレイヒス・ブルグトア・ドルフ…後には「南の」スゥドレイヒスが省略されて単に「城門村」ブルグトアドルフと呼ばれるようになっていた。


 ブルグトアドルフは「南城門」スゥドレイヒス・ブルグトアブルグスとして機能していた頃は、ブルグスに納入する商品や駐留する兵士相手の商売でそこそこ栄えた門前町カナバエではあったが、レーマ帝国の版図が南へ拡大するにつれて町の様相は大きく変質していった。

 最初は最前線ということもあって駐留する兵士も多く、ライムント街道建設工事もあって商売は右肩上がりであった。しかし、版図が南へ広がると最前線基地としての役割は終わり、シュバルツゼーブルグ開発事業が本格化するとアルビオンニウムとシュバルツゼーブルグを中継する宿場町へと変貌を遂げる。町の周辺地域も開拓が進み食料消費地から食料生産地へと成長を遂げたことで、建材や食料の消費量は格段に低下、町の小売業は衰退する。


 ブルグスが解体されて宿駅マンシオーに作り変える…そういう話が持ち上がった頃には、町の主な収入源はブルグス相手の商売よりも、周辺地域の農民相手の商売の方が多くなってしまっていた。

 最盛期には五十軒では利かないほどの商家が軒を連ねていたが、今では商店の建物を全部集めたところでその半数にも満たない。しかも残っている商店の大半は空き家となっていた。アルビオンニウムが放棄されて商隊キャラバンも通らなくなった街道沿いで今も店を営業しているのは九軒にすぎない。このうち店の商売だけで食っているのはわずか一軒だけで、他はすべて兼業農家である。


 そんな寂れた商店街でも周辺地域に住んでいる農民たちにとっては貴重な存在だった。アルビオンニウムが放棄された現在となっては、彼らが必要とする物を買うためにはブルグトアドルフに来るしかないからだ。ブルグトアドルフで買えなければシュバルツゼーブルグまで行くしかない。ブルグトアドルフからシュバルツゼーブルグまでは馬車で半日の距離だが、周辺地域の農民にとってはシュバルツゼーブルグまで行くとなるとブルグトアドルフに行くのに比べ、一~二泊余計に日程がかかってしまうため簡単に行き来はできはない。


 そういう地域の事情もあるからこそ、ブルグトアドルフの住民たちは苦しくとも頑張って商売を続けていた。今や稼ぎの半分以上が商売ではなく、農林業で得ているのが実情である。

 そしてそうであるからこそ、中継基地スタティオのシュテファン・ツヴァイクが避難を勧告しても簡単に逃げることが出来なかった。彼らは家畜など容易には持って逃げることの出来ない財産を山のように抱えていたからである。シュテファンが避難勧告に来たのが夕暮れ時だったというのもある。もう家財道具をまとめるころには暗くなっているであろうことは考えるまでも無かった。暗くなってから街道を行くのは自殺行為でしかない。まして、危険な盗賊が集まっているとなれば猶更なおさらであろう。


「では明日。明日、全員で避難しよう。

 中継基地スタティオ警察消防隊ウィギレスが総出でシュバルツゼーブルグまで護衛する。」


 シュテファンと住民たちは合意に達し、今日はひとまず神に祈りつつ不安の夜を過ごすことになった。だが、無情にも夜は無事に明けてはくれなかった。

 天空には小望月こもちづきが明るく輝く夜だというのに、今夜の夜の女神ニュクスはやけにやる気満々の争いを司る女神エリスを伴っていたようだ。しかもエリスの後には『死の定業モロス』、『死の運命ケール』、『死』タナトス、そしてさらには『苦悩オイジュス』さえも控えていたのである。


 彼らは静かに現れた。

 念のために不寝番に立っていた住民は真っ先に音もなく殺された。野盗とは思えない手際の良さで家々に侵入し、寝ている住民に刃物を突き付けながら起こし、抵抗できないうちに縛り上げて全員を一か所に集め、そこで初めて松明たいまつを点けた。縛られて抵抗できない住民たちが怯え切ったまま周囲の様子を伺っているのを尻目に、盗賊たちが食料や金目の物を次々と運び出していく。


 だがそんな中で一人だけ、盗賊たちの目を逃れて隠れていた住民が居た。彼女は夜中に尿意で目が覚め、家の外にある便所に行っていた時に物音を聞いた。便所の壁や扉の板は加工が荒く、隙間がいっぱいある。そしてその隙間から差し込む月明かりが数回にわたり遮られたのだ。

 明らかに便所の前を誰かが通り過ぎている。それも何人も…彼女は恐る恐る扉の隙間から外の様子を伺い、月明かりの中で声一つ出さずに見たことも無い男たちが動き回っているのを見た。恐ろしくて口を押えながらそのまま便所に隠れていると、家々から縛られた住民たちが連れ出され、どこかへ連れていかれるのが見える。


 いけない。このままではみんな殺されてしまう。…彼女はそう考えた。だが、自分にはどうすることも出来ない。そうだ、助けを呼ぼう!


 彼女は周囲に人気が無くなるのを待ち、便所から出るとそのまま中継基地スタティオに向かって走った。見つからない様に、あえて街道を避けて、森の中を進んだ。月明かりの届かない森の中、彼女はつまづき、脚を取られ、転び、引っかかりながら走った。着ていた寝間着は泥だらけになり、引っかかってあちこち破れてしまう。彼女自身も傷つき、あちこち小さな傷を作っては血を流した。靴ではなくサンダルを履いていたため、気づけば足も傷だらけになっていた。だがそれでも彼女は走った。

 ろくに光も差し込まない森の中は恐ろしく、普段なら昼間でも入ったりはしない。だが今は町にいる盗賊たちの方がよっぽど恐ろしい。


 どれだけ時間がかかっただろうか?次第に森が険しくなくなってきた。生えている樹々はいずれも若く、地形も妙に整ってきている。そこはかつてブルグスが健在だった頃、ブルグスの防御火力圏に定められて樹木や岩石等の障害物すべてが取り除かれていた法面のりめんだった。ブルグス宿駅マンシオーに建て替えられたことで管理がされなくなり、新たに樹木が生えて森になった場所だった。

 ここまで来ると彼女の足も俄然がぜん速くなる。樹々の間から月明かりも差し込み始め、それまでがウソだったかのように走りやすくなった。


 もうすぐだ。もうすぐ中継基地スタティオにたどり着く・・・


 息を切らせながら彼女がようやく森を抜けた時、彼女は思わずその場でドサッとへたり込んでしまった。目に映るたくさん並べられた焚火や篝火かがりびの光がやけにまぶしかった。目に浮かんだ涙で光がにじんでいたのだ。


止まれプロイーベ!」


 泣き崩れそうになっている彼女に誰何すいかの声がかけられる。

 そこにいたのはいつも見かけるヒトの警察消防隊ウィギレスではなく、見慣れないホブゴブリンの軍団兵レギオナリウスだった。

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