第373話 夜襲

統一歴九十九年五月四日、深夜 - ライムント街道第三中継基地/アルビオンニウム



『起きよ、娘御むすめごよ』


「ハッ!?」


 ルクレティアは唐突に目を覚ました。夢の中に《地の精霊アース・エレメンタル》が現れ、起きろと言われたのだ。どんな夢だったかは覚えていないが、起こされたという事だけは憶えていた。目を開けると真っ暗な寝室クビクルムの中で、《地の精霊アース・エレメンタル》の薄っすらと緑色に光る半透明な小人のような姿が見えた。《地の精霊アース・エレメンタル》はルクレティアの顔の真ん前に座っていた。


「な、何でしょうか《地の精霊アース・エレメンタル》様?」


 やや遅ればせながら自分が夜中に起こされたらしいことに気付いたルクレティアは目をしばたたかせ、ノソノソと頭を起こしながら《地の精霊アース・エレメンタル》に尋ねる。


いくさが始まる。起きておった方が良い。』


「戦!?」


 ルクレティアはその一言にガバッと跳ね起きた。


『ここの周りを敵が囲んでおる。

 さきほど兵がまとまって出て行った。

 着替えて戦支度いくさじたくを整えるがよい。』


 寝室クビクルムにいる限りは静かだし特に異常は感じないが、精霊エレメンタルがそう言うということはそうなのだろう。ルクレティアはベッドから降りると上履きソレアを履き、スタスタと寝室クビクルムのドアへ向かう。


「誰か!誰かいる!?」


 扉を開けるとすぐ外に不寝番の侍女が椅子に座っており、突然出てきたルクレティアに驚いた様子で立ち上がるとお辞儀した。


「ド、お嬢様ドミナ、いかがなさいましたか?」


「外の様子はどうなっていますか?」


「はい、近くの集落が賊に襲われたそうで、百人隊ケントゥリアが救援に行かれるとか…他の軍団兵レギオナリウスも戦支度を整えて守りを固めてございます。

 ですが、ここは安全との事、お嬢様ドミナはどうか安心してお休みを…」


 侍女は人伝ひとづてに聞いていた状況を説明した。


「賊ですって?

 近くの集落を襲った以外の敵は?」


「申し訳ありません、そのような話は伺っておりません。」


 どうやら例の賊は近くにある集落を襲い、兵が差し向けられてはいるが、集落を襲っている以外の敵の存在については確認されていないようだ。だが《地の精霊アース・エレメンタル》の忠告によれば、既にここは敵に囲まれているらしい。もしかしたら奇襲をうけようとしているのかもしれない。


「すぐに全員を起こしなさい!

 戦が始まります、備えなければなりません。」


「戦ですか!?」


「そうです!《地の精霊アース・エレメンタル》様がお告げになられました。

 ここは敵に囲まれていて、もうすぐ戦になると。戦支度を整えよと。

 今すぐ全員を起こし、戦に備えさせるのです。」


「か、かしこまりました!」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた侍女はルクレティアの命令を受けると、弾かれたように長衣ストラの裾を摘まみ上げながら駆けていく。その侍女と廊下でちょうどすれ違ったルクレティア付きの侍女クロエリアが異変に気付き、駆け寄ってきた。


お嬢様ドミナどうかなさいましたか?」


「ああクロエリア、いいところに来たわ。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様がお告げになりました。これから戦になるそうです。」


「戦ですって!?

 今、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様は大丈夫だから安心するようにと…」


「ここは既に敵に囲まれています。まだ姿を現していないだけなんだわ。

 戦支度を整えねばなりません。着替えるから手伝って!」


 ルクレティアは言いきる前に寝室クビクルムへ戻ると着ていた寝間着を脱ぎ始める。クロエリアは慌ててルクレティアの後を追って寝室クビクルムへ入り、手探りで灯りを用意し始めた。

 ルクレティアたちが宿泊していた建物がにわかに騒がしくなり、寝入りばなをたたき起こされた使用人や侍女たちが右往左往し始める。あちらこちらで灯りが灯され、その様子は宿駅マンシオーの中庭で警戒態勢のまま待機していた護衛部隊にまで察知できるほど騒がしかった。


「ルクレティア様か!?これは一体何事ですか!?」


 さすがに気になったのかセプティミウスがルクレティアの寝室クビクルムを訪ねて来る。さすがに貴婦人の寝室クビクルムに男性が踏み込むのを許すわけにもいかず、目の前に立ちふさがった侍女越しにセプティミウスが大声を上げると、寝室クビクルムからクロエリアが姿を現した。


「クロエリア殿だったな?

 これは一体何の騒ぎですかな?」


アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様。

 恐れ多いことですがルクレティア様は《地の精霊アース・エレメンタル》様からお告げをたまわりました。

 ここは既に敵に囲まれており、もうすぐ戦になるそうです。そして戦支度を整えねばならぬとのことです。」


「なんと、まことですか!?」


 クロエリアの言葉が信じられず、眉をひそめつつセプティミウスが驚きの声をあげると、その直後に寝室クビクルムの中からルクレティアの声が響いた。


「クロエリア!もう服は着たわ。

 アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様に入っていただいて!!」


 婚前の貴婦人が種族が違うとはいえ男性を寝室クビクルムへ招き入れるなど本来あってはならないことだ。思わずクロエリアとセプティミウスは耳を疑い、互いに目を見合わせる。どうすべきか二人が迷ってる間も室内からは侍女たちとルクレティアの声が聞こえてきていた。


「いけませんお嬢様ドミナ、まだ御髪おぐしが!」


「もうっ!急ぐんだから髪型は簡単なのでいいわよ!

 どうせ夜だし外套パエヌラだって被るんだから!」


「ですがお嬢様ドミナ


「クロエリア、早くしてっ!

 あと、リウィウスさん達も早く呼んで!!

 アナタ、ヴァナディーズ先生の方はどうなってるの!?

 様子を見てきてちょうだい!

 クロエリア、まだなの!?」


 寝室クビクルムから聞こえてくる話声に、どうやらルクレティアが本気らしいと判断したクロエリアは気まずそうにしているセプティミウスにニコッと愛想笑いをしてから「では、どうぞこちらへ」と言った。

 セプティミウスがわざとらしく咳ばらいを一つしてクロエリアの後に従って寝室クビクルムへ入ると、ルクレティアはすっかり外套パエヌラ以外の服を着こんでおり、ロウソクの灯りの中で侍女たちに髪をブッカの女を思わせるような大きく簡単な三つ編みにしてもらっているところだった。


「ああ、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様、このような格好で失礼します。

 外の状況はどうなっていますか?」


「え、オホン!

 半時間ほど前ですが、ここより街道上を北へ約四百ピルム(約七百四十メートル)ほど坂を下ったところにある集落ブルグトアドルフが賊共の襲撃を受けました。今、火の手が上がっております。

 ツヴァイクシュテファン殿が警察消防隊ウィギレスを率いて救援に向かい、カウデクスセルウィウスが自ら軽装歩兵ウェリテス百人隊ケントゥリアを率い、警察消防隊ウィギレスを支援すべく出撃しました。

 ここは現在、重装歩兵ホプロマクス百人隊ケントゥリアが二個、武装を整えて防備を固めております。どうかご安心いただきたい。

 ですが、敵に囲まれているというのは…まことでありますか?」


「ありがとう、もういいわ」


 ルクレティアは髪を結っていた侍女にそう言って下がらせると椅子から立ち上がる。


「はい、《地の精霊アース・エレメンタル》様がお告げになられました。そして、ここは既に囲まれていて、もうすぐ戦になるとも。

 集落を襲ったというのは、こちらの注意を引き付けようとしているのではありませんか?」


 侍女の差し出した夜目にも鮮やかな深緑に輝く『聖賢のローブ』ローブ・オブ・セイントを着ながらルクレティアは尋ねる。


「ハッ、ですがツヴァイクシュテファン殿はブルグトアドルフへの襲撃こそが賊の本命と考えておられるようです。仮に陽動だったとしても、ブルグトアドルフには百人を超える領民が残っています。見過ごすわけにはいきません。

 こちらにはまだ二百近い兵が残っております。敵は襲撃してこないか、襲撃してきたとしても返り討ちに出来るでしょう。」


 元々ここには中継基地スタティオの守備兵約四十と、ルクレティアの護衛部隊約二百六十名がいた。合わせて三百ほどである。ブルグトアドルフから逃げてきた住民が助けを求めて駆け込み、麓のブルグトアドルフに小さいながらも火の手が上がり始めているのを認めたシュテファンは部下四十名全員を率いて救援に向かいたいので後を任せるとセルウィウスに相談…それからセプティミウスを交えて短い打ち合わせが行われた。

 ブルグトアドルフにはアルビオンニウム放棄後も住民が多数残っているので救助に向かわないわけにはいかない。本当は今日の中継基地スタティオ襲撃のしらせを受けてシュテファンは住民たちに避難を勧告していたのだが、その時間が日没近かったこともあって彼らは避難の準備を整えることさえできなかったのだった。


 救助に向かうのは良いが敵の数が不明なうえ、既に二つの中継基地スタティオが壊滅させられている事を考えるとシュテファン部下四十名は逆に負かされてしまう危険性が高かった。そして最悪、彼らが全滅してしまうと土地勘のない護衛部隊だけで宿駅マンシオーを敵の夜襲から守らねばならなくなる。結局シュテファンは部下の半数を残し、セルウィウスが直卒する軽装歩兵ウェリテス一個百人隊ケントゥリアと共に集落救援に向かうこととなったのだった。

 シュテファンたちなら土地勘があるし、軽装歩兵ウェリテスであれば乱戦にも対応できる。百名近い戦力がまとまって行動すれば、仮に三百近い盗賊が待ち構えていたとしても全滅せずに逃げ帰ってくるくらいは出来るだろう。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、お出ましくださいませ。」


 ルクレティアは目を閉じ、祈るように右手を顔の前で握り、その手首あたりを左手で握って支えながら唱えると、ルクレティアの右手の薬指の指輪がほのかに緑色に光り、《地の精霊アース・エレメンタル》が姿を現す。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、どうかお教えください。

 我らを囲む敵は、どこに、どれくらいいるのですか?」


 ルクレティアが顔を上げ、目の前で空中を漂う様に浮かぶ《地の精霊アース・エレメンタル》に尋ねると、小人の格好をした《地の精霊アース・エレメンタル》は西を指さした。


『こっちに少し』


 そして反対方向を指さす。


『あっちにたくさんじゃ。』


「たくさんというと、どれ位でしょう?」


『たくさんはたくさんじゃ。』


 どうやら精霊エレメンタルは数字という概念がわからないのか…いや、数えきれないくらい多いのかもしれない。訊き方を変えることにする。


「あの…ここの兵士より多ございますか?」


『いや、半分といったところじゃ。』


 セプティミウスの話では二百人の兵士レギオナリウスが守っているそうだから、その半分の半分ということは百人ぐらいということだろうか。それならばセプティミウスの言うように襲撃してこれないか、してきたとしても簡単に撃退されてしまうだろう。

 だが《地の精霊アース・エレメンタル》は更に北を指さした。


『あっちにはもっとたくさんじゃ。

 ここを守ってる兵どもと…同じくらいか…』


 そちらには今襲撃を受けているという集落ブルグトアドルフがあった。

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