陣営本部・リュキスカの波紋

第193話 いきなり露見!?

統一歴九十九年四月十七日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニは二つの軍団が駐留する事を前提に建設された要塞カストルムであるため、駐留する軍団レギオー用の設備はだいたいどれも二つ以上存在している。

 要塞カストルム中央にある要塞司令部プリンキピアに隣接した軍団長レガトゥス・レギオニス用の宿舎であり軍団レギオー総司令部プリンキピアを兼ねる陣営本部プラエトーリウムもやはり二つ併設されている。

 要塞司令部プリンキピアの南側に並んだ二つの陣営本部プラエトーリウムのうち東側がアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア用でアルトリウスが宿舎として使っており、西側が現在リュウイチのための宿舎に充てられている。両者は左右(東西)対称の構造をしているが、建物の広さや基本的な造りは全く同じだ。


 リュウイチが寄宿している方を見てみよう。

 陣営本部プラエトーリウムは一辺が三十三ピルム(約六十一メートル)の正方形の敷地に田の字型に建物が建てられている。この内の北半分(田の字の上半分)が私的エリアであり、南半分(田の字の下半分)が公的エリアだ。

 私的エリアのうちの西側(田の字の右上部分)が庭園ペリスティリウムを囲む二階建ての建物になっており、一階が主寝室クビクルム軍団長レガトゥスの家族用食堂トリクリニウム、風呂、そして家族付きの上位の使用人用寝室クビクルムなどになっており、二階はすべて軍団長レガトゥスの家族用寝室クビクルムとなっている。

 私的エリアの西側(田の字の左上部分)は中庭アトリウムを取り囲む平屋の建物になっており、基本的には私的な来客を招くためのエリアとして使われる。中庭アトリウムを囲む建物は奴隷や下級使用人の寝室クビクルム物置アラエなどになっており、中庭アトリウム庭園ペリスティリウムの間にある建物一階部分(田の字の真ん中の縦線の上側)には応接室タブリヌムや客用の食堂トリクリニウムになっていた。

 公的エリア(田の字の下半分)は軍団総司令部プリンキピア・レギオニスとして使われる施設であり、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムらの執務室タブリヌムや会議室などが中心になり、高級将校用の食堂トリクリニウムや衛兵の詰め所などになっていたりする。


 現在、庭園ペリスティリウムのある方の一階主寝室クビクルムには当然リュウイチが寝泊まりしている。そしてリュウイチの奴隷八人はいずれも同じ庭園ペリスティリウムを囲う建物一階の使用人用の部屋を割り当てられていた。

 中庭アトリウムを囲む奴隷や下級使用人用の寝室クビクルムはというと、ルクレティアが連れて来ていた彼女の侍女たちが住み込んでいる。

 公的エリアはクィントゥス率いる特務大隊コホルス・エクシミウスが詰めており、公式には・・・つまり表向きにはハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件被害の復興事業のためのルキウスの指揮所兼休憩所として使われている事になっている。


 さて、ルクレティアはというと、庭園ペリスティリウムを囲う二階建ての建物の二階の一室・・・南西の端(田の字の中央付近)の寝室クビクルムを使わせてもらっていた。

 南半球の南側の部屋なので日当たりは良くないし、リュウイチの部屋から一番離れてはいるが、部屋の入口からは庭園ペリスティリウム越しに一階のリュウイチの主寝室クビクルムを直接見下ろす事ができる。中庭アトリウム側にいる侍女たちもリュウイチの目に留まることなくルクレティアの寝室クビクルムに来る事が出来る。

 そして何よりも、陣営本部プラエトーリウムのほぼ中央に位置するため、敷地内で何かあれば寝室クビクルムにいてもすぐに気づく事が出来るのだ。

 ルクレティアはちゃんと考えてこの部屋を選んだのである。


 その甲斐あって、ルクレティアは自身の寝室クビクルムに居ながらにしてクィントゥスらが帰ってきた事に気付く事が出来た。

 開け放たれた窓から馬のいななきと馬車の音がして、陣営本部プラエトーリウム内の軍団兵レギオナリウスたちが急に慌ただしく動き始める。人馬の往来が厳しく制限されているせいで普段は非常に静かな陣営本部プラエトーリウム周辺では、それらの喧噪はひどく目立った。


「何かしら?」


「見てまいりましょうか?」


「いえ、いいわ。」


 ルクレティアは丁度風呂からあがったところで、浴室から寝室クビクルムへ戻って衣装を午前の服から午後の服へ着替え終わったばかりだった。

 着替えを手伝っていた侍女たちが様子を見に行こうとするのを止め、自ら窓へ歩み寄って外を見下ろすと、アルトリウスとクィントゥスが部下たちを従えてぞろぞろと敷地に入ってくるのが見えた。その中にリュウイチの奴隷二人が混ざっている。しかも、その内の一人は赤ん坊を抱いていた。


「?」


 今日、マニウス要塞カストルム・マニに帰って来てから妙に様子がおかしい。帰って来てからリュウイチに挨拶したが、妙によそよそしかった。

 八人いる筈の奴隷が足らない。まあ、それくらいは特に不思議がる事でもない。彼らも要塞外への外出は制限されているが、要塞内を出歩く分には自由ということになっているし、何か用事で出かけているのかもしれない。いや、単に順番で公衆浴場テルマエへ行っているだけか。

 ただ、残っている奴隷も妙に態度がおかしかった。


 ルクレティアは高位の上位貴族パトリキである。だが神官でもあり、治癒魔法の使い手でもあるため、高い身分であるにもかかわらず庶民の怪我や病気の治療をする機会が多く、アルトリウシア住民にとっては最も身近な上位貴族パトリキである。同時にその容姿からアイドル的な人気も集めている。そのため、貴族パトリキであるにもかかわらず、街中で庶民から親しみを持って挨拶されることも珍しくはない。

 奴隷たちはルクレティアが声をかけるとひどくかしこまった態度を取る。ルクレティアが貴族パトリキだというのもあるだろうが、彼ら自身がまだ奴隷と言う立場に慣れていないというのが最大の理由だ。

 しかし、今日に限っては畏まるというより、おびえたような態度を取るのだ。何か後ろめたい事でもあるかのような、イタズラを隠している子供のような態度だ。いつもとは違った緊張の仕方で、ルクレティアが話しかけると答えるまでの間、いちいち目が泳ぐのだ。


 おまけに彼らは二階には用など無い筈なのに、今日は何故かちょくちょく二階へ上がって来る。たまに水差しヒュドリアを抱えてたりするのだ。それでいてルクレティアやヴァナディーズの部屋に近づくでもなく、他の部屋に出入りしているらしい。二階はルクレティアとヴァナディーズしか使っていない筈のなのにだ。


 何かあるようだが何があるかは分からない。

 そこへアルトリウスとクィントゥスが何故か赤ん坊を抱えた奴隷と共に戻ってきた。

 ルクレティアは意を決して部屋から飛び出した。



「お帰りなさいまし、軍団長閣下アルトリウスカッシウス・アレティウスクィントゥス様。」


「うむ、リュキスカの様子はどうだ?」


「へぃ、部屋クビクルムで大人しくしてやす。」


スパルタカシアルクレティア様は?」


「お戻りですが、まだリュキスカにゃあ気づかれておりやせん。」


 クィントゥスは出迎えたリウィウスと歩きながら状況を確認した。


「今どこにいる?」


スパルタカシアルクレティア様はお二階の御自身の寝室クビクルムにいらっしゃいやす。」


 クィントゥスは立ち止まってアルトリウスを見た。


「では軍団長レガトゥススパルタカシアルクレティア様をお願いします。」


「うむ、呼び出して適当に時間を稼げばよいのだな?」


「はい、その間に我らでこの子をリュキスカに引き渡します。」


「あの、申告します!」


 クィントゥスとアルトリウスが打ち合わせをしているところへ赤ん坊を抱えたオトが声をかける。何と声をかけるべきかわからず、軍人のような口調だ。


「何だ?」


「その、この赤ん坊はスパルタカシアルクレティア様に一度おせした方がよくはありませんか?

 病気とは聞いていましたが、弱りすぎてて今にも死にそうです。」


 赤ん坊の顔は青く、息もえだ。


「だが、診せれば確実にバレるぞ。今はスパルタカシアルクレティア様に知られるわけにはいかん。」


「なら時間を稼ぐのではなく、いっそ軍団長閣下アルトリウスから御説明いただけませんか?

 元々、軍団長閣下アルトリウス子爵閣下ルキウスからスパルタカシアルクレティア様にお話ししていただくということでしたよね?」


「いや、ああ・・・」


 正直言ってそんな面倒くさそうな事は請け負いたくないアルトリウスが困っていると、背後から声がした。


「誰に何を知られたくないんですって!?」


 振り返ればそこにルクレティアがいた。

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