第192話 客の正体

統一歴九十九年四月十七日、午後 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア



 リュキスカの子だと渡された赤ん坊はまったく元気が無かった。一応、生きてはいるがグッタリとしてほとんど動かない。体温も低いようだった。

 クィントゥスたちは清算を済ませ、赤ん坊とリュキスカの荷物を受け取ると部下を引き連れて急いで帰って行った。急いで帰らねばリュキスカに渡す前に死ぬかもしれない・・・そう思わせるヤバさが赤ん坊にはあったからだった。


 嵐のように去って行った軍団兵レギオナリウスを見送った後、ラウリたちは一度リクハルド邸へ戻った。リュキスカとその赤ん坊、そして他の娼婦たちが暮らしていた宿舎は『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』よりリクハルド邸の方が近かったのも理由だったが、それよりも今後の事を誰にも聞かれないように話すためでもあった。



「ホントにあれでよかったんですかい、カシラ?」


 ラウリはまだ不満が残っている。いや、理性の上では既に納得しているのだが、クィントゥスと無駄に長い時間睨み合っていたせいでだいぶ鬱憤うっぷんが溜まっていたのだ。この場にいるのがリクハルドでなければ、こんな不満は口にしない。要はそろそろ初老と言って良い年頃のこの男には珍しいことに柄にもなく拗ねて甘えているのだ。


「構やしねぇさ。

 むしろ都合が良かったぜ。」


 一人含み笑いを漏らしながらリクハルドが答えると、ラウリは面白くなさそうに続ける。


「あれがですかい?」


「ああ、おかげでココんとこの貴族パトリキどものおかしな動きの原因が見えてきた。

 アイツらやっぱり何かトンデモねぇモンを隠してやがる。」


「例のって奴ですかい?」


「それよ!

 憶えてるか?

 俺っちが『相手は子爵様や侯爵様なんかよりよっぽど御方なんだろうよ。』ってカマかけた時、アルトリウスの野郎否定しなかったぜ?」


「「「あ・・・」」」


「子爵様や侯爵様より高貴な奴って一体ナニモンだよ?」


「・・・こないだから来てるっていう元老院議員セナートル?」


「バッカお前ぇ、元老院議員セナートルなんていいトコ伯爵相当だぜ?

 それだけでも侯爵より下じゃねぇか。

 仮に伯爵ってったって属州領主ドミヌス・プロンキアエの伯爵よりは一段落ちんじゃねぇか。せいぜい伯爵と子爵の間ぐれぇの立場よ。」


 広大な版図を擁するレーマ帝国は領土を治めるため五十九の行政区に分割している。レーマ本国、チューア地方、そして大小五十七の属州だ。各属州には総督レクトル領主ドミヌスをおり、それらには基本的に伯爵コメスの地位が与えられる。

 伯爵コメスは行政長官が階級化した称号であり、帝国宰相たる執政官コンスルの下で内閣を構成する閣僚二十人官ウィギンティウィリ属州領主ドミヌス・プロンキアエ属州総督レクトル・プロンキアエにのみ授けられるものだ。

 例外的に帝国外縁に位置しと直接接する辺境の属州領主ドミヌス・プロンキアエと帝国宰相たる執政官コンスル侯爵マルキオーの地位が与えられる。

 つまり、一般には侯爵マルキオー上級貴族パトリキの最上位階ということになる。


「じゃ、じゃあ公爵ドゥクスって事ですか?」


 パスカルは予想外に大きくなった話に狼狽うろたえた。

 レーマ帝国において公爵ドゥクスとは皇帝インペラトール以外の皇族か皇帝インペラトールの外戚に与えられる爵位である。それより上となると皇帝インペラトール本人しかいないが、皇帝インペラトールはレーマを離れる事はまずあり得ない。

 皇帝インペラトール以外で侯爵マルキオーより上なのは公爵ドゥクスだけだ。


「そいつもどうかなぁ?」


 リクハルドがどこか虚空を眺めたままニヤケ面のまま顎をさすりそう言うと、ラウリがパスカルの予想を否定する。


「い、いや待てパスカル。

 アルビオンニアの領主は侯爵マルキオーだがサウマンディアの伯爵コメスには頭が上がらねぇ。

 侯爵様マルキオーより高貴だってぇのが位階が上ってわけじゃねぇかもしれねぇぜ?」


「じゃあ、やっぱりさっき言った元老院議員セナートルって事じゃないですか?」


「う・・・そりゃぁ・・・」


「でも御頭オカシラはそれは否定なさいました。」


「そうかもしれねぇけどよぉ」


 つまらない事でイチイチ衝突するラウリとパスカルに溜め息をつきながらリクハルドが宥める。


「まあ、喧嘩すんなぃ二人とも。」


「「はっ」」


「しかしリクハルド様、昨夜店に来た客は一人きりだったんですよ?

 そんな公爵ドゥクスだの伯爵コメスだのって爵位持ちパトリキが御供も連れずに夜中に出歩きますかね?」


 ヴェイセルの疑問ももっともだった。


「どこか離れて隠れてたんじゃねぇのか?」


「ラウリの親分、店に来てたのは例の客を除けばみんな地元の常連客だけでしたよ?

 余所者がいれば気付いたはずです。」


 ヴェイセルがラウリに答えるとパスカルがそれに乗じるように畳みかけた。


「だいたい、《陶片テスタチェウス》の門衛は怪しい余所者の出入りを見てないのでしょう?」


「う、ううむ」


 言われてみればその通りだった。リュキスカとリュキスカをさらった客の行方を探した時に真っ先に確認したのが《陶片テスタチェウス》の出入り口を守る門衛たちだったのだが、ラウリは有力な情報を得る事が出来ていなかった。


「まあ待てよお前ぇら、もう一度考えてみろ。

 この間伝六でんろくの奴が言ってた、要塞から来てねぇってぇ軍団兵レギオナリウスてのぁ多分あのカッシウス・アレティウスクィントゥスとかいう新任の大隊長ピルス・プリオルの部隊だ。

 店で話を聞いたがアイツら第一大隊コホルス・プリマから例の特務大隊コホルス・エクシミウスってぇのに転属になったって言ってる。要塞から出て来てねぇのは第一大隊コホルス・プリマの一部だっていうし、アイツら何かとやらに付いてるらしいから十中八九間違ぇ無ぇだろうぜ。」


優秀な大隊コホルス・エクシミウス?」


 ラウリが胡散臭そうに顔をしかめる。


「その特務大隊コホルス・エクシミウスってのが編成されて、あのカッシウス・アレティウスクィントゥスって奴が大隊長ピルス・プリオルになったのは三日前だってぇ話だ。」


「三日前というと・・・子爵公子アルトリウスがアルビオンニウムから帰った翌日ですね?」


 パスカルがリクハルドの思考を助けるように補足する。


アイツアルトリウスは何かそん時にを連れ帰ったんだろうよ。つまり例のだ。」


「あの日はたしか、サウマンディアの伯爵公子カエソー元老院議員アントニウスも一緒に来ている筈ですぜ?」


 伝六が補足するがそれは余計だった。


兄弟きょうでぇ、その二人は関係無ぇぜ。

 なんせ今日セーヘイムから船に乗って帰っちまったんだ。

 その二人なら今頃赤ん坊を受け取っても間に合わねぇ。」


「あ、そっか・・」


 ラウリの冷静な指摘に伝六は頭を掻いて恥じる。伝六は荒事は得意だがそれ以外の場面ではその図体からは想像もできない程態度が小さい。


「あの二人が来るのも早すぎたとは思わねぇか?

 いくらハン族のアホ共が叛乱を起こしたからって、着いた日から逆算すりゃ連中がサウマンディウムを出たのは事件の翌日だ。まあ、叛乱があったってのは伝書鳩で知ったんだろうが、被害の実態やハン族がその後どうしたのかとか状況が知れるには二、三日は必要だろ?」


「まあ、言われてみりゃあ確かに・・・」

「十日くらい経ってから来るんならまだしも・・・」


「それにここんとこの子爵様ルキウス気風きっぷの良さだ。

 ヤルマリ橋とウオレヴィ橋の再建費用を全額負担するってぇじゃねぇか?」


「それは、確か融資をうけるとか・・・」


 あの時の会議に同席していたパスカルが記憶を頼りに答えるとリクハルドがすかさず疑問を投げかける。


「誰から?」


「・・・そりゃ・・あの元老院議員セナートルからでは?」


「あのレムシウス・エブルヌスアントニウスとかいう元老院議員セナートルって奴ぁ、旅先でメルクリウス騒ぎの報告を受けたからとか言ってたぜ。

 そんな奴が金を融通できんのか?

 だいたい、今日帰っちまったんだぜ?」


「では、レーマから金を引っ張って来るってことですか?」


「何ヵ月かかんだよ、それ?

 橋の再建は材料が集まり次第始めるくれぇの勢いだ。多分一月ひとつきとかからん内に代金支払うことになるんだぜ?

 しかも、ウチの大工にゃあ即金で払うって宣言しちまってんだ。」


「じゃあ一体・・・」


 リクハルドがニヤッと笑う。


「だから、それが例のなんじゃねぇのかい?」


 一同が固唾を飲む。


「じゃあ、誰なんです、そいつぁ?」


「分からねぇ。」


 既にリクハルドの中では答えが出てるんだろうと期待していた手下たちはリクハルドの素っ気ない答えに思わずため息をついた。


「分からねぇが、トンデモねぇヤツがあのマニウス要塞カストルム・マニに匿われているってことだけは確かだ。

 とにかくそいつに探りを入れて正体を掴むんだ、いいな?」

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