第191話 リュキスカの清算

統一歴九十九年四月十七日、昼 - 《陶片》満月亭・応接室/アルトリウシア



「なんだこりゃ?」


 クィントゥスがテーブルメンサの上に置いた黒い革の塊をラウリが手に取って広げる。


黒い革の下着ニグルム・コリウム・スブリガークルム?」


「彼女から預かったものだ。」


 思いもかけずに女の下着を目の当たりにして男たちの表情が微妙なものに変わる。クィントゥスは一人恥じるような悔いるような顔つきだが、他は笑いたいのを堪える様な表情だ。まあ、実際に笑いをこらえている。

 クソ真面目な軍人の、それも大隊長ピルス・プリオルが女の下着を後生大事に持ち歩いていたなんて想像したら笑いたくなるのも無理はない。


「これ、リュキスカのか?」


 ラウリがうっかり手に持ってしまった汚いモノを押し付けるような仕草でヴェイセルに渡そうとするが、ヴェイセルは受け取りもせずに答えた。


「ええ、リュキスカので間違いありません。」


「確かか?」


「こいつぁ踊り子サルタトリクス用の衣装なんだそうですよ。

 ウチでこんな革の下着スブリガークルムなんか履いてんのはアイツだけです。」


 ババ抜きのババを手放し損ねたラウリは顔をしかめてテーブルに放り出した。


アンタクィントゥスアイツリュキスカから無理やり剥ぎ取ったんじゃねぇだろうな?」


「いや、コレを見れば分かるはずだと手渡されたんだ。」


 なじるようなラウリにクィントゥスが居心地悪そうに答えると、それを見ていたリクハルドが吹き出した。


「ブワッハッハッハッハ」


「カシラぁ、笑いごっちゃねぇですぜ?」


「いいじゃねぇか。なるほど本人で間違い無ぇようだ。くっくっくっく」


 身体をゆすりながら笑うリクハルドにアルトリウスとクィントゥスは胸をなでおろす。


「では、問題はありませんな?」


「ああ、いいぜ。」


 アルトリウスに問われ、リクハルドは快諾した。



「ホントにいいんですかぃ、カシラ?」


「いいじゃねぇか、ウチの娼婦が御大尽に身請けされたとなりゃあ、『満月亭』で働こうって女も増えようってもんだぜ?

 そんでイイ女が集まりゃあ、商売も繁盛するってもんだ。」


 ごねるラウリの肩をリクハルドはガッハッハと笑いながら叩いて言ったが、これにはアルトリウスもクィントゥスも慌てた。


「い、いや、リクハルド卿!」


「ん、何ですかい子爵公子アルトリウス閣下?」


「その、しばらくの間はこの話は伏せていただきたいのです。」


 いかにも不思議そうにリクハルドが目を丸くする。


「ああん?何でぇ?」


「その、その御方は御身分はもちろん、その御方がアルトリウシアに滞在している事も秘さねばならんのです。ゆえに、その、高貴な方が身請けしたという事実そのものも伏せておきたいのですが・・・。」


 アルトリウスに替わってクィントゥスがしどろもどろになりながら説明すると、リクハルドはあからさまに信じられないというような態度をとった。


「おいおい、それじゃあウチは無理な横車通すのに協力したってぇのに旨味がまるで無ぇじゃねえですかぃ?」


「もちろん、ずっとというわけではありません。

 その御方を秘さねばならない間だけ、御協力いただきたいのです。」


「そりゃどんくれぇの期間で?」


「多分、三か月ほどと見積もっておりますが・・・」


「何でぇ何でぇ、三か月もしたら世間はウチから一人の娼婦が姿を消したなんてぇ事なんかみんな忘れちまってるよ。

 そっから言いふらしたって宣伝にゃなんねぇじゃねぇか。

 それなのにずっと口つぐんでろってのかい?」


 リクハルドはガッカリしたとでも言わんばかりに背もたれに身体を預ける。その勢いが良すぎたため、決して安物ではない筈の椅子がギシッときしみ音を揚げた。


「むしろ、その噂が広まらないようご協力いただきたいのですリクハルド卿。」


「もみ消せってのかい?」


 リクハルドの様子に困ったようにアルトリウスが言うと、リクハルドは今度は身を乗り出して薄ら笑いを浮かべた。しかし、その目は笑っていない。

 思わず微かに身を引いたアルトリウスに替わって、今度はクィントゥスが依頼を申し込む。


「その工作をお願いします。

 もちろん、工作費は十分な額をお支払いいたします。」


「ふーん、俺っちだって郷士ドゥーチェだ。子爵様の不都合になるような事ぁしねぇよ。

 ましてや出すもん出すってぇんだ、断る理由は無ぇや、なぁ?」


 リクハルドがそう言って横を見ると、ラウリらが「うっ」と声を漏らす。話が思っていたのと逆の方向へどんどん進んでいる事に戸惑いを隠せないのだ。しかし、親分リクハルドがその気になっている以上、子分としてはその意に沿わないわけにはいかない。


「そ、そうですなぁ・・・まっ、千セステルティウスほども貰やぁ出来るでしょうよ。もちろん、リュキスカの借金を綺麗に清算したうえでの話ですがね?」


 気に入らない話ではあったが乗らない訳にはいかない以上、ラウリはせめてもの抵抗とばかりに吹っ掛けた。もちろん実際にはそんなに要らない。

 昨夜のくだんの客の事を憶えている奴は二十人もいなかったし、一人あたり五セステルティウス握らせたとしても百セステルティウスもかからないだろう。件の男の事は憶えちゃいないがリュキスカの事は知っているという連中ならそれなりの人数はいるが、店員や娼婦以外は金を握らせるまでもない。

 半分に値切られたとしても十分な儲けが出る・・・それを見越しての千セステルティウスだった。


「即金で払いましょう。ただし、デナリウス銀貨で。

 よろしいですか?」


「お、おう!?」


 クィントゥスが淀みなく答えると、今度はリクハルド側の全員が呆気に取られてしまった。


「では、彼女の借金の額を教えてください。」


「ま、待ってくれ、デナリウス銀貨で全額即金だと?

 両方合わせりゃ千八百セステルティウス超えんだぞ!?」


「はい、ちゃんとデナリウス銀貨で五百枚ほど用意してあります。」


 クィントゥスがそう言うと、クィントゥスの後ろに控えていた奴隷の一人が木箱を差し出した。クィントゥスはそれを開け、中から銀貨の詰まった袋を五つ取り出してテーブルの上に置いていく。


「な、中を改めさしてもらっても良いかい?」


「どうぞ」


 ラウリが袋の一つを手に取って口紐を緩めて口を開け、中の銀貨を数枚取り出すと、周囲からリクハルド、パスカル、ヴェイセルらが覗き込む。


「こいつぁ・・・」

「間違ぇねぇ・・・」


 銀貨だ・・・。


「よろしいでしょうか?」


「あ、ああ分かった。借金の額だったな?

 パスカル。」


「ああ、はい。失礼。」


 銀貨に注意を囚われていたラウリがクィントゥスに催促され、狼狽えを隠し切れないままパスカルに話を振ると、パスカルは慌てて帳簿を取り出す。娼婦に対する貸金の帳簿は店ごとに管理されていたが、パスカルはココに来るまでの間に話を聞いていたので予めペッテルから預かっていたのだった。


「はいっ、えー・・・利子分を合わせて八百九十三セステルティウスですね。

 合わせて千八百九十三ですから、デナリウス銀貨で・・・四百七十三枚と一セステルティウスです。」


 パスカルが計算するとリクハルドがフンッと鼻を鳴らして言った。


「半端分は負けてやらぁ、四百七十枚寄こしな。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る