第190話 本人確認

統一歴九十九年四月十七日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「邪魔するぜぇ?」


 決して小さくはない筈の『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ応接室タブリヌムの入口を窮屈そうにリクハルドがくぐって入ると、室内にいた全員が立ち上がって迎え入れた。


「カシラ!?」

「おう、何か出番みてぇでよぉ。」


 リクハルドの後にアルトリウスとパスカルが続いて入る。

 ヴェイセルが「今、椅子を御用意します。」と言って慌てて部屋から退出する。応接室タブリヌムには椅子が四人分しかなく、クィントゥス、ラウリ、ヴェイセルの三人が座っているため空いてるのは一脚のみ。仮に奴隷に次いで最も身分の低いヴェイセルが椅子を譲っても一脚足りない。



軍団長レガトゥス・レギオニス


 敬礼するクィントゥスに答礼しながら歩み寄ると、アルトリウスはクィントゥスの肩を軽くたたきつつ顔を寄せ小声で話しかける。


「状況は?」

「芳しくありません。」

「だろうな、何で待てなかった?」

「申し訳ありません、ただ急がねばが自ら動きそうな勢いだったものですから。」

「その女には何をどこまで知られた?」

「ほとんど何も、ただ強力な魔法を使うこととトンデモナイ金持ちだという事は知られています。」

「なら目隠しした状態で女の方を解放しても良かったんじゃないか?」

「そうだったかもしれません。

 ですが、彼女は陣営本部プラエトーリウム内を歩き回ってるところを見つかり捕まりました。何をどこまで見てしまったかわかりませんし、奴隷たちが彼女を捕まえた事で私も彼女に見られました。

 最悪の場合を考えますと・・・」

「わかった。がその女にというのは間違いないんだな?」

「間違いありません。」


「お待たせしました。

 椅子を御用意いたしましたので、どうぞおかけください。」


 椅子をほんの二脚ほど運んだだけにも拘わらず額に汗を浮かべながらヴェイセルが息を切らせて言うと、リクハルドがフンッと鼻を鳴らしてアルトリウスたちに呼びかける。


「さてと、片付けなきゃいけねぇ話があんならとっとと始めようぜぇ?」


「ああ、すまないリクハルド卿。

 お手数をおかけする。」


「なに、いいって事よ。」


 アルトリウスが腰かけると次いでリクハルドが腰掛、その後でクィントゥスとラウリ、パスカルが腰かける。ヴェイセルは座ろうとしたところで飲み物が無い事に気付いて慌てて入口まで小走りで駆け寄ると「おーい!お茶だ!!」と大声で命じた。


「申し訳ありません。

 今、お飲み物を御用意させますので。」


「いや、大丈夫だ。我々はお茶を御馳走になりに来たわけでは無い。」


 ヴェイセルに遠慮するアルトリウスだったが、多少興奮しているせいか周囲には何か冷たく突き放すように聞こえるような口調になってしまう。

 雲上の貴公子からそのように言われて思わずウッと精神的ダメージを追ってしまうヴェイセルを気遣い、リクハルドは陽気に話し始めた。


「まぁそう言いなさんな子爵公子アルトリウス閣下。

 一応、紹介しときやしょうか、こいつが俺っちの子分でラウリ、そっちは何度か見た事あるよな?手下で帳簿を預けてるパスカル。で、端っこのがこの店の店長ドミヌスでヴェイセルだ。」


 紹介されたラウリとパスカルは座ったままの状態でアルトリウスに無言のまま会釈する。まだ座っていなかったヴェイセルはその場で姿勢を正して丁寧にお辞儀した。


「当『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』を任されておりますヴェイセルと申します。

 子爵公子アルトリウス閣下におかせられてはわざわざこのような店に御運びいただき・・・」


「その辺にしとけヴェイセル、子爵公子アルトリウス閣下はどうやらお急ぎのようすだ。」


「は、はい。」


 長口上になりそうなヴェイセルの挨拶をリクハルドが中断させると、ヴェイセルは「これはどうも」などとぺこぺこしながら椅子に腰を降ろす。


「さて、俺っちリクハルドは事の詳細を知らされて無ぇんでね。

 子爵公子アルトリウス閣下には仲介を頼まれたわけだが、何も知らないままハイそうですかと頷くわけにもいかねぇ。

 何やら重大な軍務で詳細が言えねぇってぇ話だが、言える部分だけでも教えてもらわにゃ話にならねぇ。

 いっちょ、事情ってのを御説明ねがいませんでしょうかね?」


「いいでしょう、クィントゥス」


「ハッ!」


「彼は私の直属の部下でクィントゥス・カッシウス・アレティウスと言います。

 最近大隊長ピルス・プリオルに就任した者で、本件の最高責任者であります。

 説明しろ。」


 リクハルドの求めに応じてアルトリウスがクィントゥスを紹介し、説明を促すとクィントゥスは姿勢を正して改めて事情を説明した。もちろん、降臨と降臨者の事は隠してある。


「なるほど、そのとやらがリュキスカっつったか?ウチの娼婦をお気に召し、御傍に起きたがってると。

 そんで、オタクらが代わりに出てきたってぇわけだ。なるほどねぇ」


 クィントゥスが説明している途中で運び込まれた香茶を啜りながらリクハルドが確認する。


「娼婦を身請けするなんざ別に珍しい話じゃねぇ。

 若いころから付き合いのあった娼婦を、出世して金に余裕のできた男が囲い込むなんてなぁ娼婦どもからすりゃ夢みてぇな話よ。

 このポピーナの斜向かいにある食堂タベルナ女主人ドミナもそんな女だ。昔は娼婦だったが金持ちの客に気に入られて身請けしてもらって、食堂タベルナを貰って女主人ドミナに納まったってぇ話だ。

 リュキスカってのがとやらに身請けしていただけるってぇなら、目出度ぇ話じゃねぇか、なあ?」


 リクハルドがハッと一言笑い、顔も体も大きく仰け反らせてとぼけた様子でそう言うとラウリたちは一様に驚いた。


「カシラ!

 こんな奴の言う事信じるんですかい!?」


「おいおい、子爵公子アルトリウス閣下御自らのお出ましだぞ?

 信じねぇわけにゃぁいかねぇじゃねぇか、なぁ?」


 リクハルドはラウリをたしなめるとクィントゥスに同意を求める。だがクィントゥスは無言のままだった。リクハルドは先ほどから色々姿勢を変えたりお道化て見せたりしているが、その間ずっと視線をクィントゥスに向けたままだったからだ。


「だ、だからってこんな、筋が通りやせんぜ!?」


「バッカお前ぇ、筋の通んねぇ事くれぇいくらでもあらぁな。

 通らねぇ筋通さなきゃいけねぇから、こうして子爵公子アルトリウス閣下やら大隊長ピルス・プリオルやらがわざわざ出張って来てんじゃねぇか。

 考えても見ろ、こんな汚れ仕事みてぇな用事に子爵公子アルトリウス閣下が遣わされてんだぞ?

 相手はなんだろうよ。」


「御理解痛み入る、リクハルド卿。」


 アルトリウスが礼を言うとリクハルドはニヤッと笑い、ようやく視線をクィントゥスからアルトリウスへ移した。


「なぁに、いいってってぇ。

 だが、こっちも一方的に折れるわけにゃあいきやせん。

 今すぐで無くていいが、そのリュキスカって女の無事を確認できるようにしてもらいてぇもんですなぁ?」


「それは・・・わかった。

 直接会わせるのは難しいかもしれないが、何らかの方法を検討しよう。」


 出来れば断りたい申し出だったが、せっかくまとまりかけている話が壊れる事を恐れたアルトリウスは了承した。

 それを見ていかにも今思い付いたと言わんばかりにリクハルドが身体を跳ねさせて身を乗り出す。


「そうだ、大事な事を忘れてたぜ。」


「何でしょうか?」


「他でもねぇ、ホントにアンタらの言ってるリュキスカと、俺っちの知ってるリュキスカは同一人物なのかいってことでさぁ。」


「・・・どういうことでしょうか?」


「ウチから昨夜ゆうべリュキスカって名の娼婦が連れ去られたのは確かだ。

 そっちのってのが連れてきちまった女もリュキスカなんでしょうよ。

 だが、そのリュキスカがたまたま同じ名前の別人だったらって話ですよ。

 こっちゃあ身請けされたモンだと思って探すのやめたら実はそれは別人で、翌日別のトコからリュキスカが見つかったなんてぇ事になったら、俺っちとしてもトンだ恥を晒しちまうことになりやすからねぇ?」


 リクハルドが悪戯っぽく笑う。

 リュキスカなんて名前の女はそれほど多くない。まして《陶片テスタチェウス》でリュキスカなんて名前を名乗っているヒトの娼婦は実は一人しかいないのだが、そんなことをアルトリウスたちが知ってるわけはない。名前だけで本人だと断定できるわけでもないのも言われてみればその通りだと納得せざるを得なかった。


「では、どうしましょうか?」


「間違いなく本人のだって確認できるモノでもありゃあいいんだがよ?」


 仕事中にいきなり連れ去られた娼婦がそんなものを持ってるわけが無い。リクハルドはそれを承知の上で言っていた。もちろん、そんなもの出されなかったとしても話は飲むつもりでいる。これはリクハルドの交渉術の一つだった。

 相手を揺さぶってボロを出させて交渉を有利に運ぶことにも使えるし、あえて相手側に解決できない問題点をあげてそれを許すことでにすることもできる。

 しかし、そのリクハルドの小技は意外にもクィントゥスによって返されてしまった。


「そ、それでしたら、本人から預かってきたものがあります。」


「お、おう?」


 まさか、と驚きを隠せないリクハルドは思わず身構える。


「こ、これを・・・・」


 クィントゥスはそう言うと腰のベルトに着けたポーチから黒い革の塊を取り出し、差し出した。それはリュキスカの下着スブリガークルムだった。

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