第189話 膠着

統一歴九十九年四月十七日、昼 — 《陶片》満月亭・応接室/アルトリウシア



 『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』の応接室タブリヌムではラウリとクィントゥスが睨み合いを続けており、交渉はずっと平行線をたどったまま不毛な時間を過ごしていた。出されていた香茶もすっかり冷めてしまって、リラックス効果があるとされるその芳醇な香りも既に力をうしない、かすかな残り香さえ消え去ったようだ。

 しかし、お互いに引くことができず、かといって強気に出る事も出来ない。諦めて席を立つことも出来ない。


 ラウリは海賊時代からリクハルドに仕えている最古参といって良い手下だった。それどころか、海賊としての経歴はリクハルドより長い。本当はリクハルドの方が後から入ってきたのだ。当時のカシラがたおされ、ラウリを含む生き残った海賊たちはまとめてリクハルドの手下になったのだ。

 海賊である以上、元より荒事が得意・・・というか専門。ただ、ラウリは他の連中より仲間の面倒見が良く、手下たちを取りまとめるのが上手かった。その人徳を買われてリクハルドの右腕として使われるようになり、今では《陶片テスタチェウス》でリクハルドが手広くやっている商売を総括するような役割を与えられている。役職名をあえてつけるならランド・スチュワードと言ったところだろうか?

 ただ、書類仕事や計算が苦手で何事もドンブリ勘定でやってしまうため、財務や書類仕事は一括して同僚のパスカルに任せてあり、ラウリ自身は人事や監督などの役割に専念している。一番面倒な事務仕事をしなくてよい分だけ、任されている監督業務は結構細かいところまで自分でやる羽目になっており、現に今もこうして娼婦一人の身柄のためにわざわざラウリが出張る始末だ。


 そんなラウリが出張っているからこそ、ここで融通を利かせることができなくなっている。もしも、ラウリの下に中間管理職が居たなら、ここで折れてクィントゥスの言い分を聞き入れたとしてもそれほど大きな問題にはならないだろう。

 下っ端の管理職が不始末をしでかした・・・それで済ますこともできるからだ。


 しかし、ラウリが同じことをすれば大きな問題になる。ラウリはリクハルドの片腕であり《陶片テスタチェウス》のナンバー2だ。ラウリがここでクィントゥスの言い分を通せば、《陶片テスタチェウス》で働く娼婦たちは「郷士ドゥーチェは自分たちを守ってくれない」と思う事だろう。


 《陶片テスタチェウス》の経営が上手くいっているのは、娼婦はもちろんのこと、最下層の住民たちとの間に信頼関係があるからだ。《陶片テスタチェウス》で暮らす住民は郷士ドゥーチェのリクハルドが守ってくれる・・・そういう確信が住民たちあるからこそ、住民たちはリクハルドに協力的だし、住民たちが協力的だからこそ治安も維持されている。

 それが、リクハルドの片腕たるラウリが娼婦を見捨てたらどうなるか?

 住民たちとの信頼関係を自ら破壊する事になってしまう。そうなっては《陶片テスタチェウス 》の経営は立ち行かなくなるかもしれない。一度傷ついた信頼を回復するのは、ゼロから築くより大変なのだ。だからラウリは一歩も引けない。

 暗黒街を治めるギャングを経て、ゼロから街づくりを経験してきたラウリだからこそ、その辺の認識は骨髄まで染み込んでいた。社会の最下層の人間こそ、信頼をもっとも必要としているのだ。


 対するクィントゥスとて軽々に行動しているわけではない。いや、結果的には軽率だったと言われても仕方のない事をしてはいるが、彼とて世界の命運を背負っているのだ。

 どうしようも無かったとはいえ《暗黒騎士リュウイチ》の暴走を許し、街から娼婦をさらってしまったという事実はいまさらどうしようもない。起こってしまった事件についてクィントゥスに責任はない。が、彼には事態を収拾する責任があるのだ。

 さもなければ、《暗黒騎士リュウイチ》の更なる暴走を招いてしまうことは疑いようがない。


 リュウイチ自身は面倒を引き起こしてしまった事は理解しているようだ。それを解決したい、責任をとりたいという意志もある。しかし、リュウイチ自身が動けば間違いなく面倒は悪い方へ拡大する。この世界ヴァーチャリアの常識を知らず、なおかつ強大な力と莫大な財貨を持っている彼が無理に解決に乗り出せば、どれだけ目立たないよう振る舞おうとしたところで確実に馬脚を晒すだろう。

 降臨の事実と《暗黒騎士リュウイチ》の存在が知られればどんな混乱が起こるか計り知れない。降臨の事実と《暗黒騎士リュウイチ》の存在を隠し通すためには、この事件をあくまでもこの世界ヴァーチャリアの住民同士の出来事として処理しなければならないのだ。


 そうだとしても、本来ならば十分な根回しをして準備を整えてから来るべきだったろう。それはクィントゥスにだって分かっている。ここで交渉が膠着状態になった以上は一度引き下がるしか無いのだという事も。

 ただ、そうもできない理由もあった。

 リュキスカの赤ん坊は病気で薬を与えないと死ぬという。その話がどこまでホントかは分からない。もしかしたら、彼女の娼婦仲間がちゃんと世話をしている可能性もゼロじゃない。今日、クィントゥスが引き下がって日を改めて来ても、大丈夫かもしれない。

 しかし、そうではない可能性もあるし、時間をかけてしまえば《暗黒騎士リュウイチ》が独走してしまう可能性が出てくる。それは防がねばならない。

 そのためには、無理は承知の上で何とかこの場で話をまとめ、一分一秒でも早く赤ん坊を連れ帰らねばならなかった。


 軍団レギオーの威光で何とかならないかという甘えがクィントゥスの中にあったことは否定しない。最悪、兵を使って強引に奪うという手も無いわけでは無いが、それはホントに最後の手段だ。


「どうも、どちらも歩み寄る余地はなさそうですし、話は平行線のままのようですな。

 いかがでしょうカッシウス・アレティウスクィントゥス様、一度出直されては?

 その間、リュキスカの子は我々でちゃんと面倒を見る事を御約束しましょう。」


 既に飲み干してしまった香茶を惜しむように茶碗ポクルムを覗き込みながらヴェイセルが言った。彼も暇ではない。この話が重要な案件なのは確かだし軽んじる気はないが、彼には他にもやらねばならない仕事があるのだ。


「そうしたいのは山々だが、私も手ぶらで帰るわけにはいかんのだ。」


 クィントゥスのその解答にラウリとヴェイセルはフーッと大きく溜め息をつく。


大隊長ピルス・プリオルさんよぉ、そうは言ってもお互い妥協点の見出し様が無ぇじゃねぇか。

 まさかしつこく同じこと繰り返してりゃこっちが飽きちまって勝手に折れるとか考えてんじゃねぇでしょうね?」


 そうは言ってもラウリもいい加減飽きて来ていたのは事実だった。折れるわけにはいかないが、このまま無為に時間を過ごしていいとも思ってはいない。正直、席を蹴ってこの場を後にしたい気持ちが山々だった。

 無言のまま答えないクィントゥスに「まさか本気でそう思ってたのか?」と疑念が湧いてくる。だとすれば、これほど人を馬鹿にした話もあるまい。

 ふつふつと湧き上がる怒りに我慢が限界に達しようとしていた時、応接室タブリヌムのドアがノックされた。

 


「何だ!?」


 ヴェイセルが座ったままドアの向こうに向かって声をあげる。ラウリからすれば水を差されたような気分だったが、ヴェイセルにすればこの状況から逃れたい一心だった。


「ペッテルです。その、郷士ドゥーチェ様と軍団長レガトゥス様がお見えになられました。」

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