第188話 仲介依頼

統一歴九十九年四月十七日、昼 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア



 いつもならそろそろ昼食客が入りはじめる時間にはなっているはずだが、今現在『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』の客の入りは芳しくない。

 いや、頭数だけなら入ってはいる。軍団兵レギオナリウス十六名とリクハルドと伝六でんろく、それに一般客が数名。しかし、普段『満月亭』で昼食を摂る常連客たちはあまり入ってこない。

 店の外では数名の野次馬が店内を覗き見ているが、普段 《陶片テスタチェウス》では見る事のない完全武装の軍団兵レギオナリウス郷士ドゥーチェが店内にいるという状況が、他の客たちに店の前で二の足を踏ませてしまっているのだった。それでいて軍団兵レギオナリウスたちは食事をするわけではない。安いコーヒーを啜りながら応接室タブリヌムで交渉中のクィントゥスを待っているだけだ。店としてはいい迷惑である。



「つまり、兄さんがたは第一大隊コホルス・プリマからその特務大隊コホルス・エクシミウスに異動になったんだな?」


 リクハルドの茶飲み話はまだ続いていた。軍団兵レギオナリウスたち逃げたかったがはクィントゥスを待たねばならなかったし、立場上リクハルドヘイムを治める郷士ドゥーチェないがしろにする事も出来ない。

 そして困ったことに彼らが囲むテーブルにはフリクソス・スィミラが山盛りになった皿が置かれている。コーヒーだけじゃ味気ねぇだろとリクハルドが注文したものだった。

 フリクソス・スィミラは上質な小麦粉で少し硬めの小麦粉粥ポレンタを作り、それをバットに薄く延ばして冷やして固めてから、適当な大きさに切ってラードで揚げて蜂蜜を塗った、クラッカーに似た菓子である。この店のは蜂蜜を塗った上から煎りゴマを振りかけてあり、香ばしさがウリになっている。


 大して高価な物というわけではないが、それでも「奢られた」という事実は心理的な圧迫になる。小心者にはむしろこうした安い物の方がプレッシャーとして効果的だったりする。

 その効果は如実に表れていた。軍団兵レギオナリウスたち・・・というか軍団兵レギオナリウスたちの代表としてリクハルドと話している十人隊長デクリオの口がそれによって軽くなったというわけではないのだが、彼は明らかに気まずさというか罪悪感のようなものに苛まれている様子を見せている。


「は、はい。そうなのですが・・・その、リクハルド卿・・・

 我々も立場がありますので軍団レギオー内のことをあまり話すと・・・」


「おおっ!いやわりぃなぁ、別に軍機に触れるような事を聞き出そうってわけじゃねえんだよ。だからマズいこたぁ話さなくったっていいんだぜ?

 ただなぁ、さっきも言ったがココんとこ軍団兵レギオナリウスの兄さんらがあんまり来てくんねぇからよ。娼婦おんなどもが寂しがってんのよ。

 店も儲けが出ねぇしよ?

 だからホレ、いつ頃まで待ってりゃまた来てくれるとかよ、希望ってモンを持たせてやりてぇのよ。」


 さっきからずっとこの調子である。確かにリクハルドは軍機に触れる部分までは踏み込んでこないし、十人隊長デクリオがマズイなと思って口ごもるとすぐに察してそれ以上訊こうとはしないのだが、言って良いか悪いか微妙なところを突いて来るのだ。

 立場的に明らかに上な郷士ドゥーチェ本人から菓子まで御馳走になっている以上、下手に突っぱねる事も出来ず色々と喋らされてしまっている。


 もうヤバい、これ以上はダメだ・・・


 そういう危機感のようなものが十人隊長デクリオを始め軍団兵レギオナリウスたちを内側からジリジリと締めあげていく。

 彼らのそういう感覚がそろそろ頂点に達しようとしていたころ、彼らはようやく解放される事となった。



「リクハルド卿!こちらでしたか・・・」


 店に入ってきたのはリクハルドの側近の一人、パスカルだった。


「んあ?パスカルじゃねえぁ、どうした?」


子爵公子アルトリウス閣下がお見えです。」


「子爵公子閣下ぁ!?」


「はい、お急ぎの御用と言うので、御連れしました。」


 パスカルがそう言いきる前にアルトリウスが入って来た。


 おいおい、何事だい?


 周囲の驚きなど気にする余裕も無さげにアルトリウスがリクハルドへ歩み寄る。軍団兵レギオナリウスたちは不味いところを見られた気まずさを打ち消すかのように勢いよく、一斉に立ち上がって見事な敬礼をささげた。


「リクハルド卿、折り入って相談したいことがあります。」


 アルトリウスは軍団兵レギオナリウスたちに右手を軽くあげて答礼すると、以後兵たちには目もくれずにリクハルドの方を向いた。


「これはこれは子爵公子アルトリウス閣下、このようなところへようこその御運び。

 ちょいとお待ちいただけりゃすぐに屋敷ドムスへ戻りましたモンを。」


 リクハルドはのっそりと立ち上がりあえてゆっくりお辞儀する。


「いや、急ぎの用でしたので私が尋ねる方が良かったのです。」


「さぁて、俺っちに急ぎの御用たぁ何でしょうなぁ?」


「今、私の部下のカッシウス・アレティウスクィントゥスという者が《陶片こちら》に来ている筈なのですが、彼の用件について仲介をお願いしたいのです。」


 こりゃあか!?


 リクハルドは今朝方、ラウリから『満月亭』で娼婦が一人連れ去られたと報告を受けていた。昨夜来、駆けずり回った挙句、手掛かり一つ掴めなかったラウリはリクハルドに助力を乞うべく『満月亭』からリクハルドの屋敷ドムスを訪れていたのだった。

 昨夜の出来事、客の特徴、聞き込みや捜索の現時点での結果・・・いずれも不可解な事ばかり。報告が終わって今後どうしようかとラウリとリクハルドが話をしているところへ『満月亭』のヴェイセルからのつかいが駆け込んできた。

 曰く「アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア百人隊長ケントゥリオ軍団兵レギオナリウスを引き連れて来た。」。同時に『たつみ門』の門衛からも門のところに軍団兵レギオナリウスが馬車と共に待機している。


 さすがにタイミングが良すぎる。事件とコレらを無関係と考えるのは能天気すぎるというものだろう。

 謎の男に店の娼婦がさらわれ、軍団レギオーが動いた。もしかしたら、昨今の軍団レギオー貴族パトリキたちの不可解な動きの理由が掴めるかもしれない。

 そう考えたリクハルドはラウリを『満月亭』からの呼び出しに対応させるとともに、自身はこうしてわざと時間をずらし、店の様子見を装って軍団兵レギオナリウスに接触したのだった。


 しかし、よもや軍団長アルトリウスが自らお出ましとは・・・


「さて、俺っちぁたまたま店の様子を見に来ていただけでね。

 そのカッシウス・アレティウスとか言う御人にゃあ会ってねぇもんで、その用件とやらも存じ上げねぇんですがね?」


 愛想笑いなのか意地の悪い事を企んでいるのかよくわからないような笑みを浮かべ、リクハルドはお道化てみせる。

 アルトリウスが物心つく前から郷士ドゥーチェを務めているこの男リクハルドが昔からこんな風に外連味けれんみたっぷりな態度をとることはアルトリウスも良く承知していたが、こう自分の側に何か後ろめたい事がある状況でこうした態度を取られることがここまで嫌味に感じるものだとは、アルトリウスは今の今まで知らなかった。



「・・・そうでしたか。

 彼は私の直属の部下で、現在重要な任務に就いているのです。

 しかし、不測の事態が生じたために現在その対応に追われておりまして、リクハルド卿の助力を必要としているのです。」


「他でもねぇ、子爵公子アルトリウス閣下の御頼みとあらばこのリクハルド、お力になる事もやぶさかじゃぁござんせん。

 して、何をすりゃあいいんでしょうね?」


 リクハルドはアルトリウスより四インチ(約十センチ)から五インチ(約十三センチ)ほど背が高い。リクハルドはアルトリウスの顔を覗き込むようにわずかに身をかがめ、顔を近づける。表情には笑みが浮かんでいるが、眼光は鋭い。


カッシウス・アレティウスクィントゥスが今、この店の店長ドミヌスと交渉を行っている筈です。彼に協力するように店長ドミヌスを説得していただきたいのです。」


「ふむ」


 リクハルドはアルトリウスの目を見たまま笑みを強くすると、すっと背を伸ばした。表情から笑みを消すと声を発した。


「ペッテル!!」


 そこにはアルトリウスがパスカルに伴われて来たと聞いて慌ててフロアへ様子を見に来ていたペッテルの姿があった。


「はいっ!!」


「話は聞いていたな?」


「ハイッ!すぐお取次ぎいたします!!」


「おうっ!」


 ペッテルが奥へ引っ込むのを見てリクハルドは再び笑顔に戻って身をかがめ、アルトリウスの顔を覗き込んだ。


「ほいじゃあ、さっそくめぇりやすか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る