第194話 母子再会

統一歴九十九年四月十七日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「「「「「あ・・・・・」」」」」


「何が『あ』よ?

 その赤ちゃんはどうしたの?」


 男たちが想定外の全く事態に固まっている間にもルクレティアはスタスタと近づいて来る。赤ん坊の命の方を優先させたいオトはルクレティアの方へ数歩進み出ると赤ん坊を差し出した。


スパルタカシアルクレティア様、どうかこの子を診ていただけませんか?」


「ヒトの子じゃない!?

 どうしたの?捨て子?」


 ここにはリュウイチ、ルクレティアとヴァナディーズ、そしてルクレティアの侍女たちを除けばすべてホブゴブリンである。ヴァナディーズもルクレティアもルクレティアの侍女たちも子供などいない以上、ここにヒトの赤ん坊など居るはずがない。

 可能性があるとすれば要塞内に収容している難民の子だろう。


「いや、捨て子というわけでは無いのですが・・・」


 ルクレティアは驚きつつもオトから赤ん坊を受け取って抱え上げて覗き込む。


「大変、死にそうじゃない!!

 この子の親はどうしたの!?」


「その、親に会せる前に少しでも元気に出来ませんかね?」


 懇願するようなオトに対し、ルクレティアは残念そうに首を振った。


「無理よ!

 ここまで衰弱している子に治癒魔法なんかかけたら逆効果だわ。

 却って殺してしまわよ。」


「そうですか・・・」


 魔法を使うためには強力な魔力を必要とし、それだけの魔力を供給できるのは事実上降臨者の血を引く聖貴族コンセクラトゥムに限られる。ルクレティアも降臨者スパルタカス直系の聖貴族コンセクラータではあるのだが、いかんせん代を重ねすぎているためあまり強大な魔力を有しているわけでは無かった。使える魔法もゲイマーガメルによってもたらされたスクロール技術を応用して作られた、魔力の低いこの世界ヴァーチャリア住民でも使えるように最適化された低位の魔法に限られる。


 本来の治癒魔法では術者の魔力を消費して被術者の体力を回復したり身体を治癒したりするのだが、この世界ヴァーチャリアの人間ではそれだけの魔力を供給できないので、この世界ヴァーチャリア用に最適化された治癒魔法では不足分を被術者の魔力で補うようになっている。

 つまり、治癒魔法をかけるとかける側も魔力を消費するが、魔法をかけられた側も魔力を消費してしまうのだ。このため、あまりにも消耗しきった状態の患者に治癒魔法をかけると、魔力枯渇に陥って死んでしまう。

 体力を消耗すれば、その回復のために魔力も自然と失われるので、極端に体力が失われた人間に魔力が残っている事などほぼあり得ない。ルクレティアの見たところ、赤ん坊は体力を極端に消耗しており魔力も残っていない。治癒魔法に堪えられる可能性はゼロだった。


「せめて母親か父親の腕の中で死なせてあげなさい。」


「そうさせていただきます。」


 オトは沈痛な面持ちでルクレティアから赤ん坊を受け取った。


「この子の親は近くにいるの?」


「え!?ええ・・・まあ、割と近くに・・・」


「そう、じゃあせめて私が付き添ってあげるわ。」


 ルクレティアの善意の申し出に周囲の男たちは我に返った。いや、慌てだした。


 そうだ、赤ん坊は見つかったがリュキスカが見付かったわけじゃない。今からでも事態の収拾は出来るはずだ。


「いや!スパルタカシアルクレティア様それには及びません!」


 クィントゥスが声をあげたのを皮切りにオト以外の男たちが急に騒ぎ出す。


「そうでさぁ、すぐ近くですから、わざわざスパルタカシアルクレティア様にお出ましいただくにゃあ及びやせんや。」


「ほらオト!とっとと行くぞ!?」


「そうだ、ルクレティア!君にちょっと相談があるんだ。

 今から少し時間をくれないか!?

 そう、アルトリウス宿舎プラエトーリウムへ今から行こう!」


「ちょ、ちょったアナタたちどうしたの!?

 すぐ近くなら私も行くわよ!

 アルトリウス、あなた相談なら急ぐ事ないでしょ!?

 何でわざわざアナタの陣営本部プラエトーリウムまで行かなきゃいけないの!?」


「「「まぁまぁまぁ」」」


 アルトリウス、クィントゥス、リウィウスの三人がルクレティアを宥めて気を反らそうとする間にオトとネロがその場を離れようとするが、長持アルマリウムを抱えたネロと赤ん坊を抱えたオトが陣営本部プラエトーリウムの奥へ向かうのに気づいたルクレティアが追いかけようとする。


「まぁまぁじゃないわよ!

 待ちなさい、アナタたち!私も行くわ!!

 何で奥に行くのよ、奥にいるの!?」


「いや、彼らは裏口ポスティクムから近道するだけですよ。」


「この先の裏口ポスティクムの先はアルトリウスの陣営本部プラエトーリウムじゃない!」


 口から出まかせの説明でクィントゥスが墓穴を掘るとリウィウスが咄嗟にフォローを入れる。


「いやいや、隣の陣営本部プラエトーリウムとの間には隙間がありやすから!」


「そこは排水路でしょ!?

 そんな汚いところに赤ちゃん連れてくつもり!?」


「ああ、あ、そうだルクレティア、こっちの応接室タブリヌムを借りよう。

 さあ行こう!」


 見かねたアルトリウスがルクレティアの腕を掴んで強引に引っ張った。


「ちょっとアルトリウス!

 どうしたの!?

 え!?ちょっ、何であの二人庭園ペリスティリウムの方へ行くの!?」


 ネロとオトが公的エリアの東側の広場フォルム(田の字の右下部分)から左へ折れて庭園ペリスティリウムの方へ入っていくのが視界の端に映ったのをルクレティアは見逃さなかった。


「いや、気のせいですよ!」


「忘れ物じゃないっすかね!?」


「ちょっと、放して!痛いわアルトリウス、放して!!

 わかったわよ!応接室タブリヌムへ行けばいいんでしょ!?」


 ルクレティアが観念してアルトリウスが手を放すと、ルクレティアはしばし無言でアルトリウスらを睨みつける。


「もうっ!」


 ルクレティアはプイっとそっぽを向くと、アルトリウスが連れて行こうとした応接室タブリヌムの方へ歩き出した。そこは公的エリアの西側ブロック(田の字の左下部分)の北側にある。

 ルクレティアは大人しく応接室タブリヌムに入るとそのまま反対側のドアを抜けて中庭アトリウムへ出ると庭園ペリスティリウムの方へ走り始めた。


「あっ!待てルクレティア!!」


 アルトリウスは気づいて追いかけ始めたが遅かった。足首まであるストラをまとったルクレティアの脚は走ったところで速さはたかが知れているが、応接室タブリヌムから庭園ペリスティリウムまでの距離はそんなに長くはない。アルトリウスに追いつかれる前にルクレティアは庭園ペリスティリウムへたどり着いてしまった。

 アルトリウスはソコへは入れない。この陣営本部プラエトーリウムの私的エリアはリュウイチの聖域であり、アルトリウスであろうとルキウスであろうとクィントゥスであろうと、外部の者が主であるリュウイチの承諾なしに勝手に入るわけにはいかないのだ。

 例外的に入っていいのはリュウイチの世話をする巫女見習いであるルクレティアと、リュウイチの奴隷たち、そしてリュウイチに居住を認められたヴァナディーズとルクレティアの侍女たちだけだった。



「フェリキシムス!!」


 響き渡る若い女の声にルクレティアは思わず足を止める。その視線の先にはオトが抱えてきた我が子との対面を果たす若い母親の姿があった。


 だ、誰!?


 目をく鮮やかな緋色の髪スカーレット・ヘアー。それに負けないくらい鮮やかな色合いの、シンプルながら遠目にも豪華なドレス。ボリューム満点の胸と、その割に細く締まった腰つき。化粧っ気の薄い割に目鼻立ちの整った派手めな顔。

 あんな服を着ている以上は上級貴族パトリキか相当財力のある下級貴族ノビレスに違いないが、ヒト種の貴族であんな女神像がそのまま服着て歩いているような美女など、ルクレティアの知る限りではサウマンディアにもアルビオンニアにもいないはずだった。


「フェリキシムス!フェリキシムス!?」


 最初、愛おし気に我が子を抱きあげた美女だったが、我が子の様子に気付いた途端にその表情は悲痛なものへ変わってい行く。


「ああ、フェリキシムス!どうして!?フェリキシムス!!

 昨日はあんなに元気だったのに!

 ちょっと!アンタたちフェリキシムスに何したんだい!?」


「いや、俺らが受け取った時にはそんなだったんです、奥方様ドミナ

 朝から急に体調を崩されたらしくて・・・」

「薬はマリアンヌとかいう方が飲ませたそうなんですが、お乳は飲ませようとしたけど飲んでくれなかったそうで・・・」


 一時、ネロとオトに勢いよく詰め寄った美女リュキスカは、ネロの口からマリアンヌの名を聞くと急に大人しくなった。

 マリアンヌは『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』の娼婦でリュキスカの親友だった。その名を告げられれば、リュキスカはネロとオトの話を信じざるを得ない。

 美女リュキスカの顔が絶望の色に染まっていく。


「そんな・・・ああ、フェリキシムス!しっかりして!目を開けて!!

 ほら、かあちゃんだよ!?」


 美女リュキスカは赤ん坊を大事に抱え込みながらその場にへたり込んでしまった。


「フェリキシムス・・・こんなことなら商売なんか再開しなきゃよかった・・・

 ああ、フェリキシムス、お前だけがアタイの希望なのに・・・」


 ルクレティアが駆け寄ろうとしたところで奥から騒ぎを聞きつけたのであろう、奥からリュウイチが姿を現した。

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