第1225話 クレーエのたくらみ(3)

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ ブルクトアドルフ・皮なめし工房/アルビオンニウム



「ウソだ!

 うまくいきっこない!!

 たったの十数人で、五百人のレーマ軍とまともにぶつかれば一瞬で終わるぞ!?」


 エイーの必死の訴えをクレーエはせせら笑った。


「ハッ、そりゃそうだ。

 それが分かっていてまともにぶつかるわきゃねぇでしょ!?」


「じゃあどうするんだ!?

 やっぱり《森の精霊ドライアド》を利用するのか?

 お前、《森の精霊ドライアド》には頼らないって言ったじゃないか!」


 エイーもクレーエもブルグトアドルフの《森の精霊》の加護を受けている。強大な精霊エレメンタルの加護を受けているとなれば、それを利用しない手は無い。『勇者団』が本気になっても手も足も出ないほどの精霊なのだから、レーマ軍を撃退するくらい屁でもないだろう。クレーエは《森の精霊》にレーマ軍を撃退させようとしている……エイーじゃなくてもそう予想するのは当然だ。

 しかし問題がある。《森の精霊》はルクレティアを庇護する《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属であるということだ。そしてルクレティアはレーマ帝国の貴族であり、《地の精霊》もレーマ軍と通じている。ならば《森の精霊》はいつでもレーマ側に簡単に寝返ってしまう可能性が高い。そうなればクレーエもエイーもあらがい様がない。

 それが無かったとしても《森の精霊》はナイス・ジェークを捕えてレーマ軍に引き渡した敵側の存在だ。『勇者団』を撃退しているし、エイーを守ると言いながら一緒に居たペイトウィンのことは守ってくれなかった。何より、《森の精霊》のせいでエイーは『勇者団』内での居場所を失くしてしまったのだ。


 そうした認識がエイーの中で《森の精霊》に対する根強い不信感・忌避感となってわだかまり続けている。そのことをクレーエは気づいていた。

 昨日、『勇者団』からあえて離れることで自分の存在価値を確固たるものとし、誇りと自信を取り戻すべきだと助言してくれたクレーエが《森の精霊》を利用しないと言ったのは実はエイーを納得させるためについた嘘で、本当は《森の精霊》の力を利用するつもりなのではないか?


「ええ、ええ、言いましたし利用しやせんとも」


 クレーエは呆れを隠し切れなかった。それがエイーには嘲笑に見え、既に揺らいでしまっているエイーの自信をさらに不安定なものにしていく。


「じゃ、じゃあどうするって言うんだよ……」


 クレーエから顔を背け、やっと絞り出すようにエイーが口にした言葉はすぐ目の前にいるクレーエの耳に辛うじて聞き取れる程度の弱々しいものだった。その様子に周囲の盗賊たちも思わず不安を覚えざるを得ない。たとえ“神輿みこし”とはいえエイーをかついで良いものかどうか、眉をひそめて値踏みする。

 そうした盗賊たちの様子など気にもせず、クレーエはエイーだけを見て努めて軽い調子で言った。


「……話し合いやす」


「はっ、話し合う!?」


 エイーは顔をあげてクレーエを見上げた。


「ええ、レーマ軍の司令官に会って話をしてきやす。

 戦ったって勝てやしやせんからね、まずは話し合うんです」


「な、何て!?」


エイーの旦那ドミヌス・ルメオ『勇者団』ブレーブスから抜けたがっているとか?」


 エイーはクレーエを見つめていた目を剥き、口をへの字に結んで半歩下がると、次の瞬間顔を真っ赤にして怒り始めた。


「お、お前!

 やっぱり俺を売るつもりだな!?

 汚いぞ、裏切り者め!

 嘘つきめ!!」


 地団駄を踏みながら怒り狂うエイーの様子を見て、気配を消していた《木の小人バウムツヴェルク》が我慢しきれず不安そうに尋ねてくる。


『大きいヒト、コイツ押さえた方が良くないか?』


 いや、魔法を使おうとしない限りギリギリまで待ってろ……


 クレーエの見立てではエイーは《地の精霊》を恐れ、その眷属の《森の精霊》に対して忌避感を抱いている。《森の精霊》があれだけ好意を示しているのに受け入れようとしないのはそのためだ。そしてその《森の精霊》の加護を素直に受け取り、『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアに留まらずこうして《木の小人》までさずかったクレーエに対しても強い警戒感を抱いてしまっている。

 それでもエイーがクレーエを信じて頼っているのは自信を失っているからだ。自分自身を信じられず、不安にさいなまれ、それから逃れるために頼れる指標を探し、誰彼構わず無意識に頼ろうとしてしまっているからに過ぎない。もしもクレーエ以外にエイーを力強く導いてくれる存在が現れたら、エイーはすぐにでもそちらへなびいてしまうだろう。

 幸い、今はこの場にはクレーエ以外には盗賊どもしかいない。クレーエ以外の盗賊たちは聖貴族という存在をどう扱っていいか分からず距離を置きたがっているからクレーエに成り代わってエイーをどこかへ連れ去る危険は無い。唯一の気がかりだったのは『勇者団』のメンバーとの接触だったが、それは昨日遮断に成功した。今後、新たに導き手となる者が現れる前に、エイーをクレーエに依存させてしまわなければならない。そのためには《森の精霊》や《木の小人》の魔法でエイーを強引に押さえつけるようなことは避けねばならないのだ。

 クレーエは癇癪かんしゃくを起しているエイーをいい加減面倒に思いつつもグッとこらえた。エイーがこうして子供のように癇癪を起しているのは、まだ自信を回復できずに誰かに依存したがっているからこそなのだ。エイーの情緒が安定しないのはクレーエの計略が上手く行こうとしている兆候そのものなのだから、ここは我慢するしかない。

 クレーエは意識してニコやかに宥める。


「違いますよエイーの旦那ドミヌス・ルメオ、さっき言ったのはレーマ軍を騙す計略です」


「計略だと!?」


「ええ、レーマ軍をペテンにかけるための嘘ですとも……

 いいですか?

 考えてごらんなさい。

 レーマ軍は旦那方ドミナエを捕まえたがってるんだ。

 わざわざ海峡を渡って隣の属州まで来てるんだから相当ですぜ?

 そのレーマ軍が、『勇者団』ブレーブスの一人が仲間から抜けてムセイオンに帰りたがっているって話を聞いたらどうなります?」


 エイーは怒り狂うのを止めた。フーフーと荒い息をしながらも喚き散らした際に口元から零れた涎を拭い、クレーエに言われた通り考えようとするが、まだ興奮が冷めきらないのか考えがまとまらない。


「ど、どうなるんだ?」


「そりゃ何とか穏便にその手を取ろうとするでしょうよ!

 そして交渉のテーブルに付いてる間、レーマ軍は部隊を動かせない。

 下手に動かしたら、交渉相手のエイーの旦那ドミヌス・ルメオが席を立って交渉がオジャンになっちまいますからね。」


「……それで、時間を稼ぐのか?」


「その通り!!」


 御名答!!……喜悦に満ちたクレーエの表情だったが、それを見るエイーの表情は一度は落ち着きを取り戻していたというのに再び悔しさ悲しさといったものに染まり、歪んでいく。


「お、俺には……そんな真似、できない……」


 思いもかけず子供のように鼻を鳴らして泣き始めるエイーにクレーエは少しばかり慌てたように宥めた。


「大丈夫ですよ旦那ドミヌス

 交渉はアタシがやりやすから! だいたい、旦那ドミヌスが直接行ったりしたら、そのままとっ捕まっちまうに決まってるじゃないですか!?

 旦那ドミヌスは隠れて様子を見てりゃいいんだ。」


「お、お、お前なんか……

 レーマ軍の将軍が、お前なんか相手にするわけないだろ!?」


 クレーエは痛いところを突かれた……といった様子を装い、両手を広げてお道化どけて見せる。そして愉快そうに笑いながら姿勢を戻すとエイーの指摘に答えた。


「ええ、確かに今のままならそうでさ。

 だから旦那ドミヌスにゃ一つやってもらいたいことがあるんでさ。」


「な、何だよ?」


 鼻をグズグズ言わせながら半ば警戒しつつエイーが尋ねるとクレーエはニッと笑いかける。


「アタシらをですね、旦那ドミヌスの正式な従者にしてほしいでさ。」

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