第1224話 クレーエのたくらみ(2)

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ ブルクトアドルフ・皮なめし工房/アルビオンニウム



 アジトの山荘へ向かう途中でペイトウィンとエイーがグルグリウスに遭遇したのはここよりずっと南だ。東山地オストリヒバーグからアジトの山荘を経てブルグトアドルフ近郊の第三中継基地スタティオ・テルティアのある丘へと続くなだらかな尾根の向こう側であり、直線距離でも三キロ近くあるだろう。

 エイーはそれを聞くと安堵するのと同時に、不用意に動揺してしまった自分が恥ずかしくなった。気まずそうに口を結んで俯ぎ気味に視線を逸らせる。


「ともかく、今日のところは安心です。

 一応、念のために山荘アジトの方は一度引き払いやした。

 そのままレーマ軍が来てもおかしくありやせんからね」


「こっ、ここは大丈夫なのか?」


工房こっちに興味を持ち始めるのは、早くても明後日以降でしょう。

 山荘アジトには罠を仕掛けておきやしたから、引っ掛かればそっちに意識を集中するはずでさ」


 エイーは目を剥いた。


「そんなことしたらあの山荘がアジトだってバレちゃうだろ!?」


 何てことしてくれたんだ!……エイーは慌て始めるがクレーエはハハッと軽く笑い飛ばす。


「そんなのどうしたところでバレますよ。

 立地が良くて立派な建物が無人のまま放置されてんだ。

 レーマ軍がを付けねぇわけがねぇ。

 ましてペイトウィンホエールキン様が魔法を使った痕跡が南の森にあるんだ。

 そこに一番近い怪しい建物……真っ先に疑われるでしょうな」


 自分たちが安全だと思っていたアジトが実は危ない物件だったと知らされ、エイーは愕然とした。一度は反論しようとも思ったが、クレーエの言い分に妙に説得力を感じてしまい。ムムッと唸るだけで終わってしまう。


「しかし、そうだからこそ逆に利用のし甲斐もある。

 誰も居ないはずの怪しい建物に馬の蹄や人間の真新しい足跡がたくさんあり、おまけにあるはずのない罠まで仕掛けられてたとなりゃ、連中はここが旦那様方ドミナエのアジトだと確信するでしょうなぁ。

 そうならしめたもの。

 連中、しばらくの間は山荘の周辺にかかりきりになりまさぁ」


 得意げに話すクレーエにエイーは反発を募らせた。山荘が危険だというのはまだ納得は出来る。『勇者団』のメンバーがムセイオンで高度な教育を受けたとはいえ世間知らずである点は否めない。学べる知識と社会経験とは違う。それはムセイオンを脱走して以降の旅でエイーも思い知らされた。無知で無力で愚かなNPCの盗賊といえども、エイーには無い彼らなりの知恵と知識を持っている。無法者の知恵と知識を持たないエイーたちには、軍や役人から身を隠すという点においては、盗賊どもにも劣るのだ。しかし、それでもクレーエにこうも得意げになられると面白くない。


「しかしそれはレーマ軍をあの山荘に釘づけることになるんだろう?

 じゃあ工房こっちにも来るんじゃないのか?

 ペイトウィンホエールキング様が戦った南の森からここまでは遠くても、あの山荘からここまではそれほど遠くないだろう?」


「そりゃもちろん!」


 クレーエをいい気にさせないための牽制のためにエイーがした指摘は、クレーエをむしろ面白がらせてしまったようだ。まるで期待以上の回答を示した出来の悪い生徒を見る教師のようにクレーエは笑う。


「ここだって安全じゃありやせん。

 いや、絶対に安全な場所なんてもなぁ無いんですよ。

 今日は安全でも明日は危険かもしれない。

 だが、逆に今日は危険でも明日は安全になる場所もある。

 そういうのを見極めるのがアタシらの稼業の秘訣でね」


 エイーは笑いかけるクレーエに無言のまま苦笑いを返した。


「まあ、安心してください。

 アタシらにゃ《森の精霊ドライアド》様の御加護があるんだ。

 レーマ軍が近づいてきたらすぐにわかります。

 安全な逃げ道もね」


 《森の精霊》のせいで自分の立場を悪くし、『勇者団』から距離を置かざるを得なくなったエイーは《森の精霊》の世話になるのが面白くない。思わず舌打ちしそうになるのを辛うじて堪える。


 ……話題を変えよう


「それで、これからどうするんだ!?

 まさかずっと逃げ隠れし続けるつもりか?

 俺たちはあのレーマ軍を押しとどめなきゃいけないんだぞ。」


 そっぽ向いたままエイーがつまらなそうに尋ねると、クレーエはフフンと小さく笑いをかみ殺す。


「もちろんでさ。

 こっちからレーマ軍にチョッカイ出して、ブルクトアドルフから離れられねぇようにしねぇといけやせん」


 エイーは今更ながら己が耳を疑うようにクレーエを見た。

 こっちは二十人にも満たない盗賊ども、対するレーマ軍は今朝見ただけで五百人を超える軍勢。エイーの考え得る限り勝負にならない。昨日、クレーエに言われた時は何とかなるかもとも思えたし、だからこそクレーエの口車にも乗った。だが実際にレーマ軍の五百人という部隊を目の当たりにすると、それが以下に非現実的なホラ話だったかがよくわかる。今のエイーなら昨日のクレーエの話を真に受けたりはしないだろう。

 おそらく『勇者団』ブレーブスが本気で支援したところで、数えるほどの盗賊どもなんてレーマ軍にほんの一当たりしただけで霧散してしまうに違いない。それなのにこちらから手を出してレーマ軍をブルグトアドルフから離れられないようにするなどという大言壮語を口にされてはさすがに正気を疑わざるを得ない。


「正気か!?」


「?……そりゃもちろん?」


 そのつもりで来たんじゃないんですかぃ?……クレーエは思わずキョトンとした様子で首を傾げるが、エイーの目にそれはクレーエの自信の現れに見えた。

 たったの十数人で五百人のレーマ軍をこの地に釘付けにする方法なんてエイーにはどう考えても出てこない。


 そんな上手い方法なんてあるわけがない。

 それとも、あのアルビオンニウムでの戦いで西側に配置した盗賊どもを指揮し、レーマ軍とぶつかりながらほとんど損害を出さずに撤退して見せたというクレーエこの男ならではの軍略があるということか?

 いや、クレーエコイツはNPCだぞ!?

 きっと頭がおかしくてたまたま運の良く成功したのを自分の実力だと勘違いしてるんだ。

 俺としたことが、こんな奴の口車に乗って……


 エイーは悔しそうにクレーエの顔を睨み上げながら口をギュッと噛みしめた。

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