第1223話 クレーエのたくらみ(1)

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ ブルクトアドルフ・皮なめし工房/アルビオンニウム



クレーエが来たぜクレーエ・エスト・ゲッコメン!」


 美味くもない昼食をボソボソと物静かに食べていた盗賊たちは見張りの報告に色めき立った。ドイツ語の分からなかったエイーも、クレーエの名と盗賊たちの様子に反応する。


「クレーエか!?」


 腰を浮かせたエイーにレルヒェがラテン語で「へぇ、そのとおりでイータ・エスト」と答えると、エイーは食べかけの昼食を放り出して外へ向かい始める。盗賊たちも全員がすぐに後に続いた。

 エイーと盗賊たちが外に出た時、クレーエはまだ到着していなかった。森の小路からちょうど出て来たばかりで、皮なめし工房のある丘への緩やかな昇り道を登っている最中だったのである。

 馬に乗ったクレーエは、やはり馬に乗ったダックスに先導されながらユルユルと近づいてきている。その後ろには背中に荷物を背負った馬を曳く盗賊たちが続いていた。その姿にその場にいた者たち全員が安堵する。


 やっとこの状況から抜け出せる……盗賊たちの安堵の理由はそれだ。一人でイライラを募らせる聖貴族様エイーの傍は、彼ら盗賊にとってあまりにも居心地が悪すぎたのだ。だがクレーエが来てくれればエイーのイライラも解消されるだろう。エイーのイライラの原因は何をしたらいいか分からないからだ。何をどうすればいいか、それはクレーエが知っている筈……。

 現状の認識は盗賊たちのそれと同じなはずなのに、しかし当のエイーは必ずしも落ち着きを取り戻したわけではなかった。クレーエが現れたことでエイーも盗賊たちと同様に安堵はした……しかし、自分をこうも不安と焦燥に駆らせたのはクレーエである。エイーは不安や焦燥から一時的に解放されたからこそ、その元凶であるクレーエに対して無性に腹を立て始めたのだ。


「クレーエっ!!!!」


 突然、エイーが大声で叫んだのはそうした理由からである。だが、それはあまりにも不用心だったと言わざるを得ない。工房からブルグトアドルフの街まで徒歩で一時間~一時間半の距離しか離れていないのだ。普通に話す分には問題ないが、大声で叫べば木霊だって響くし、条件が良ければブルグトアドルフの住民に気づかれもするだろう。


旦那ドミヌス!」


 レルヒェは慌ててクレーエに飛び掛かり、その口を押えた。エイーは一瞬驚いてよろけたが、すぐにレルヒェを振りほどく。


「離せ無礼者!!

 何のつもりだ!?」


 エイーが『初級魔法使いの杖』ビギナー・ウィザーズ・ワンドを抜き放ち、突き放したレルヒェに突きつけると、レルヒェも他の盗賊たちも驚いて一斉に飛び退いた。怒るエイーをレルヒェは顔を青くいて両手をかざし、震える声でなだめる。


「お、お許しを、旦那様インニョッシェ・ドミヌス

 でもさっきみたいな大声は出しちゃいけねぇ。

 あれじゃレーマ軍にも街の住民にも見つかっちまいやすぜ!?」


 ワンドを突きつけたままレルヒェをにらみつけていたエイーだったが、レルヒェの詫びの言葉から自分の不用心に気づくと小さく舌打ちし、気まずそうに顔を背けながら杖を降ろした。


「わ、悪かった……」


 盗賊たちは一斉に胸をなでおろす。エイーが『勇者団』ブレーブスの他のメンバーと違うのはこういうところだった。差別的な態度が全く無いわけではないが、それでも盗賊どもを一応人間として扱ってくれるし、間違ったところがあればちゃんと謝ってくれる。

 そのうちひづめの音が高く聞こえ始め、気が付くとクレーエがすぐそばまで来ていた。エイーが出した大声をあげ、その後すぐにレルヒェとエイーが揉め始めたことで異変を察したクレーエは、案内役のダックスを追い抜いて急いできたのだった。


「何事です!?

 何か異常事態ですか?」


 エイーの近くまで来て馬を止めたクレーエが馬上から尋ねる。エイーはクレーエをやぶにらみに見上げながら「何でもない」とねたように言い、すぐにまた視線をらす。

 クレーエがレルヒェの方を見ると、レルヒェはレルヒェで気まずそうにクレーエを見返し、すぐに視線をエイーへ戻した。クレーエはフゥと溜息をつくと、馬から降り始める。


「何でも無いは無いでしょう?

 さっきみたいな大声は控えていただかにゃなりやせんな」


「レッ、レーマ軍が……来たんだ」


 散々待たせてくれたクレーエを責め立てるつもりだったのに、逆に責められる立場になってしまったエイーは、まるで悪戯いたずらの言い訳をする子供のようにボソッと言った。丁度馬から降りて背中を見せていたクレーエはそのままフゥっと溜息と共に肩を落とす。なんだそんなことか……クレーエの背中はそう言っているようだ。

 エイーとしては重大なことを軽く流されてしまったような、焦りとも悔しさともつかぬ感情が沸き起こる。


「聞いているのか!?

 レーマ軍が来たって言ったんだ!

 今朝、アルビオンニウムから来て、ブルグトアドルフへ着いたんだぞ!?

 五百人ぐらいの……?!」


 わめき始めたエイーだったが、クレーエが馬を手下に預けてくるりと振り返ると口ごもってしまう。口をへの字に結び、救いを求めるように目を泳がせてクレーエの左右の目を交互に見るエイーにクレーエは落ち着いた様子で語り掛ける。


「分かっていますよ。

 《森の精霊ドライアド》様が教えてくださいやした、コイツでね」


 そう言うとクレーエは腰のベルトから『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを引き抜いて軽く振って見せる。エイーはそれを見るとへの字に結んだ口をゆがめた。エイーはまだ、《森の精霊》との距離を縮めることに抵抗を感じていたのだ。

 クレーエはエイーの表情の変化に気づきながらも無視して続ける。


「しばらくは大丈夫でしょう。

 予想通り、奴らはシュバルツゼーブルグへは行かねぇようだ。

 少なくとも今すぐはね」


「な、何で分かる!?」


「奴らすぐに馬を出して周囲の偵察を始めていやす。

 随分と旦那様方ドミナエに御執心のようだ。

 ここらに旦那様方ドミナエが残ってないと確信するまではしらみつぶしに探すつもりでしょう」


 それを聞いたエイーは目を丸くし、顔も体も伸びあがらせた。


「大変じゃないか!

 ここにも来てしまうんじゃないか?!」


 顔色を変えたエイーにクレーエは苦笑しながら首を振る。


「そいつぁ大丈夫。

 偵察と言っても、ペイトウィンホエールキン様とグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスの戦闘跡を見に行っただけでさ。

 昨日、中継基地スタティオ警察消防隊ウィギレスがいくつかの戦闘跡を見つけてたんでね。

 レーマ軍の司令官はその報告を受けて興味を持ったんでしょうな」

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