第3話 神殿の異変

統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿内/アルビオンニウム



 目の前が真っ白に光って頭上から轟音と衝撃が降ってきたのは、全身の毛が逆立つようなゾワゾワした感触に気付いた直後のことだった。


 何が起こったのかわからない。


 突然暗闇に閉ざされた視界が徐々に明るさを取り戻につれ、身体を竦めて目を瞬かせながら辺りの様子をうかがう二人の兵士が見えた。

 何か口を動かしているようだが何も聞こえない。そういえば動いてるのに具足の音も足音も風の音も聞こえない。いや、何か耳鳴りのようなキーンという音が聞こえている。


 神殿テンプルムの方を振り返ると、ちょうど玄関ホールウェスティーブルムの中からもう三人が出てくるところだった。やっぱりひどく驚いた様子で身を竦めているが、ネロたちと目が合うと足早に外へ出てきた。


 三人は神官の居住区角の方へ行ったはずの連中だった。

 居住区角は部屋数が多くてこんなに短時間で点検が終わるはずがない。本当なら彼らが一番遅く出てくる筈だったのに今出てきたってことは多分、全室点検してこなかったんだろう。


「何ですかぁ今の音は?」

「大丈夫か、大将?」


 二人は何か話しかけてるようだったが相変わらずキーンという変な音しか聞こえない。どうも耳がバカになってるようだった。


「何だって!?よく聞こえない!」


 ネロは大声でそう答えたが、その自分の声もどこか普段と違って変に聞こえた。


「ああ、耳が聞こえねぇんか・・・おい!そっちもか?」


 三人の内で一番年配のリウィウスが先に出て来ていた二人に話しかける。ネロは次第に聴力が回復して麻痺していた耳がようやく聞こえるようになってきた。


「何だったんだ、今のは?」

「おい、大丈夫か?」

「雷じゃねえか?」

「どこに落ちた?」

「わからねぇ、神殿でなきゃいいが・・・」

「目は見えてるみてぇだな、耳は?聞こえるようになったか?」

「ああ、大丈夫だ・・・まだ少し調子悪いが」


 どうやらここにいる六人は大丈夫そうだった。


「今のが落雷なら火事になるかもしれん。一応、もう一回巡回する。」


 ネロがそう言うと、五人は「またか・・・」という顔をしてネロを見る。


「リウィウスとロムルスとアウィトゥス、三人で神殿の外を一周して来い。雷が落ちた場所を探すんだ。

 神殿に落ちてなければそれでいいから・・・残り二人は私と一緒に内部を見て回る。

 建物に被害が無いか確認するのと、まだ帰ってきてないカルスとオトの安全を確認する。行くぞ!」

 ネロは部下たちの不平顔を無視してそれだけ言うと一人でスタスタと神殿へ戻っていった。


 彼らにとってネロは少々真面目過ぎる、困った上官だった。毎度毎度、こういう風に無駄に仕事を増やしてくれる。


 「大将がああ言ってんだ、しょうがねえ行こうや。」


 ネロが神殿内に姿を消してもなお動かない仲間を見たリウィウスがそう呼びかけると、四人はようやく動き出した。



 カルスは突然の轟音に驚いて思わずその場に立ち尽くしていたが、部屋から出てきたオトに声を掛けられて我に返った。「行こうぜ」と言われ、オトと一緒に神殿から出ようと中庭アトリウムまで来たところでネロとばったり出くわした。


 ネロは二人の無事を確認すると、落雷があったようだから念のためもう一度建物に被害が出てないか確認するよう命じ、自らは居住区角の方へ消えて行った。


 しょうがない、まあ確かに自分たちが帰った後で火が出たんじゃ後から何を言われるかわかったもんじゃない。

 二人はさっき点検したばかりの棟へもう一度戻り、手前の部屋から順に点検し始めた。


 前回は魔法陣とか足跡とかが無いか確認するだけだったから床だけを見ればよかった。なので二人は一人ずつ別々に点検していたが、今度は建物に異常がないか確認しなきゃいけない。

 建物の被害の点検なんて勝手がわからないから今回は二人で一緒に見て回ることにした。


 さっきはろくに見てなかった壁や天井も点検する。と言っても、実際のところカルスは点検をオトに任せっきりにして、ただオトの後をついて歩くだけだ。オトは色々念入りに見てるが、カルスは部屋の何を見るべきなのかよくわからないのだった。

 こういうのは分からない奴が下手にやるより、分かる奴にやらせた方が良い。

 オトもそんなカルスに対して文句を言ったりしない。カルスはまともな教育を受けてこなかったから何も知らないだけで、出来ない事を無理にやろうとはしないが、出来ることは積極的にやる真面目な少年だという事をよく理解していたからだ。



 二人がさっきの倍以上の時間をかけて割り振られた棟の点検をすすめ、ようやく一番奥の部屋に近づいた時、カルスは人の気配を感じオトの肩を掴んで立ち止まらせた。

 驚いて振り返るオトに一言も発することなく、カルスは指を唇にあてて静かにするようジェスチャーで伝える。


 オトは黙ってうなずいた。


 耳を澄ませると、一番奥の部屋から誰かの話声が聞こえる。


 誰もいる筈のない・・・さっきカルス自身が点検したばかりの部屋だった。この棟で一番広い部屋で、真ん中に台があって、その上にでっかい水晶玉がぶら下がってる変な部屋だ。


 カルスは腰をかがめると息を殺してその部屋に向かった。


 オトに向かって手のひらを向けて『動くな』と合図し、何一つ音を立てずにゆっくり歩く。同じロリカを身に付けてるのに、同じ軍靴カリガを履いているのに、何でカルスだけが音を立てずに歩けるのか、オトにはわからなかった。



 カルスはアルビオンニウムの貧民窟で生まれ育った。

 両親の顔も知らない孤児だった。何でそうなったのか、いつからそうだったのか、誰も知らない。実は彼自身、自分の年齢はおろか自分の本名すら知らなかった。


 今名乗ってるカルスという名前は、軍団レギオーに入る時の審査を担当していた百人隊長ケントゥリオがつけてくれたものだ。


 幼い孤児は生きていくために物乞いもかっぱらいも何でもやった。

 世話してくれる人はいたが、決まった誰かではなかった。普段は誰からも追い払われることがほとんどだったが、何か気分が良かったり、逆に悲しみに沈んでる大人がその時々の気まぐれで食べ物や衣類を恵んでくれたりした。


 だが、そんな幸運はホントにたまにあるくらいで、普段は残飯を漁るぐらいしか食べ物の入手方法は無い。誰かの被保護民クリエンテスにでもなれたなら保護民パトロヌスから毎朝『贈り物スポルトゥラ』を貰う事もできたかもしれないが、どこの誰とも分からない薄汚い孤児を被保護民にしてやろうなんて物好きな大人などいる筈も無かった。


 だからいつも腹を空かせていた。

 体つきは今でも痩せたままだし、字もろくに読めない。


 だが、そんな生活をしていたせいか大人の顔色を窺ったり気配を消したりするコツは自然と身についた。


 彼に転機が訪れたのは一昨年のことだった。


 火山が噴火してアルビオンニウムの放棄が決まり、貴族も平民も貧民も全部逃げる事になった。彼もその時、他の貧民たちと一緒にボロボロの貨物船クナールに載せられ、アルトリウシアへ運ばれた。


 アルトリウシアはアルビオンニウムに比べればずっと小さくて粗末な町だった。

 ただでさえみんなが財産も仕事も失ってた状況では獲物なんて見つかるわけもない。第一、土地勘のない場所では盗みもかっぱらいも物乞いも上手くいきっこない。


 だが幸いなことにそんなことを気にする必要はなくなっていた。避難した貧民向けに配給があったから、むしろ以前よりも食べ物に困らなくなった。


 何回目かの配給を貰いに行ったとき、軍団へ入隊するよう言われた。


 だから入隊した。


 軍団はいいところだった。


 そりゃ訓練は厳しいしキツイこといっぱいやらされるが、食べ物に困ることはなかったし服もくれるし金まで貰える。今まで野良犬のようにしか扱われたことは無かったのに、ここでは人間として扱ってもらえる。


 彼は軍団に入隊することで、生まれて初めて風呂テルマエを経験した。

 屋根があって壁に囲まれた部屋で、しかも自分専用の寝台レクトゥロの上で眠れるなんてそれまで想像すらしたことなかった。


 訓練や遠征で外で寝なきゃいけない時でさえ、軍団なら野宿じゃなくてテントを張って寝れる。集団行動って奴は今でも苦手だが、彼は軍団での生活が気に入っていた。ヘマしてばっかりなのにあんまり怒らない十人隊コントゥベルニウムの仲間のことも気に入っていた。


 だからやることは全部やる。



 部屋の扉へは十歩でたどり着いた。


 中からたしかに、小さくだが話声が聞こえる。どうも、カルスの知ってる言葉ではないようで何を話しているのかわからないが、一人分の声しか聞こえない。男の声みたいだ。


 カルスは中腰のまま軽装歩兵ウェリテス用の円盾パルマを腹ぐらいの高さで観音扉の左側の戸に押し当てるように構え、円盾の上側から右手を回して扉をそっと押した。


 音を立てない様にゆっくりと押すと、扉が少しずつ開いていく。


 わずかに開いた扉の隙間から、部屋の中央の寝台に真っ黒な甲冑を着けた大男が座っているのが見えた。大男の前には火が燃えている。


「!?」

 カルスは思わず息を飲んだ。


 炎が何もない空中で燃えていて、今までいなかったはずの大男がいて、その空中で燃えている火に向かって何か話をしている。


 何だあれ?誰なんだ?いつ、どこからどうやって入った?


 そんな疑問が浮かんで、息を殺したまま部屋を見回す・・・床中が砂だらけだった。よく見れば真ん中の台の上も砂が積もってる。

 上を見ると、天井から吊られていた筈のバカでかい水晶玉が無くなって、水晶玉を吊っていた鎖だけが残されていた。



 カルスはオトの方をゆっくり振り返ると、再び口に指をあてて「静かに」と合図してから指を上に向け、手の甲を見せて手招きした。

 オトはそれを見て頷くと、なるべく音を立てない様にゆっくりと扉の方へ向かう。


 カルスほど忍び足が上手くないオトは多少の足音は立てたが、それでも部屋の中にいる大男に気付かれなることなく、カルスとは反対側の右扉の前まで来ることが出来た。


 カルスはオトと目を合わせると、もう一度指を口に当て「静かに」と念を入れ、今度は部屋の中を指さした。

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