第611話 探り返し

統一歴九十九年五月六日、午前 - 《陶片テスタチェウス》リクハルド邸/アルトリウシア



「カシラ……まさか、ヘルマンニ卿に仕掛けるんですかい?」


 天井を見上げ、顎をさすりながら不敵な笑みを浮かべたリクハルドにラウリが不穏な質問を投げかけた。

 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアのクィントゥス・カッシウス・アレティウスとかいう新任の大隊長ピルス・プリオルを通じてアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子よりリュキスカ誘拐事件の揉み消しを依頼され、リクハルドたちはそれを引き受けていて既に報酬も貰っている。

 リクハルド・ヘリアンソンはアルトリウシアのリクハルドヘイム地区を任されたれっきとした郷士ドゥーチェではあるが、元は海賊であり真っ当な下級貴族ノビレスとは言い難い素性の持ち主だ。貴族ノビリタスの末席に加わった今でも、裏では色々と悪さを働いているのは事実である。しかし、それでも主君である子爵家から受けた仕事をないがしろにするような無分別な真似はしない。

 その彼が引き受けた仕事を邪魔する存在がいる。揉み消さねばならない事件に首を突っ込まれたのでは、いつまで経っても仕事が終わらないではないか。余計な手出しをして来ないよう、何か手を打たねばならない。


 だが、ヘルマンニに対抗すると聞き、パスカルと伝六でんろくは顔色を変えた。


「まさか!セーヘイムとを構えるんですか!?」

「おお、やんのかい!?」


 ヘルマンニは同じ下級貴族で郷士ドゥーチェではあるが、リクハルドとは格が違う。

 セーヘイムはレーマ帝国がアルビオンニアに版図を拡げる前からブッカたちが定住していた町であり、アルトリウシア周辺に住むブッカたちにとっての首都と言って良い存在である。そして、アルトリウシアの海運の中心であり、アルビオンニウム放棄後の今ではアルビオンニア属州の表玄関の役割さえ果たしている港町だ。アルトリウシア住民の食を支える台所でもあり、経済規模ではリクハルドヘイムを圧倒する。ヘルマンニ個人とリクハルド個人を比較しても、財力も兵隊の動員力でも倍以上はあるだろう。

 実力では上級貴族パトリキに匹敵するのだ。まともにぶつかって勝てる相手ではない。だからこそ、リクハルドはヘルマンニには常に一目置いた付き合いを続けていた。


「まさか!」


 リクハルドは二人の手下の反応に逆に驚いたようにおどけて言った。だいたい《陶片テスタチェウス》の街だってセーヘイムから仕入れた食料がなければ回らないのだ。食い物を握られている相手に喧嘩を売れるわけがない。

 手下たちはそれぞれフゥーと溜息を吐いて乗り出した身を引いた。


「だが、このまま良いようにされっぱなしってなぁいけねぇや。」


 そう言ってリクハルドは肩透かしを食らって「なんだ」と呆れたように脱力する手下たちの注意を再び引き付ける。


「じゃあ、セーヘイム相手にどうするっていうんで?」

「そうだぜカシラ、ヘルマンニ様が相手じゃいくら何でも分が悪過ぎらぁ」

「セーヘイムだけじゃありません。

 リュキスカのこと調べてるのはスパルタカシウス様だって一緒ですよ?」


 先ほど驚かされたばかりの手下たちは口をそろえてリクハルドをたしなめた。悪ふざけが過ぎる……リクハルドはたまに自分の部下をこうやって驚かすことがあった。ただ、始末に悪いのはたまにそれがただの冗談ではないことがあるのだ。だから手下たちはいつまでも「また冗談だろ」で片付けることができない。

 手下たちの意外な反発に、特にパスカルの小言にリクハルドは少し大きく反応する。


「バッカお前ぇ、上級貴族パトリキなんか敵に回せっかよ!?

 スパルタカシウス様にゃあ、こっちから売り込むんだよ!」


「売り込む!?」


「おうよ!

 このまま好き勝手探られたんじゃ隠せるものも隠せなくなっちまうじゃねぇか。だから、リュキスカのこと探りを入れんなぁやめてもらう。そんかし、こっちから知りたい事調べますよって持ち掛けんだよ。」


 ニヤニヤと悪戯いたずらっぽく笑うリクハルドにパスカルは半笑いを浮かべながら「なるほど」と小さく応えた。


「じゃ、じゃあヘルマンニ卿にも売り込みゃいいんじゃないんですかい?」


「ああん?」


 パスカルの向かい側に座っているラウリが言うと、リクハルドは「何言ってんだ?」とばかりに大きく身体を揺らしてラウリの方を向いた。ラウリはリクハルドのその反応に「あれ、変な事言ったか?」と思いつつ、叱られた小僧のように身をすくませた。


「どう言ってヘルマンニの爺さんに売り込むんだよ?」


「「「???」」」


 リクハルドの質問の意味が分からず、手下たちは互いの顔を見合った。


「あんなぁ、忘れたのかお前ら?

 俺たちぁリュキスカのこと隠さなきゃいけねぇんだぜ?

 魚売り女どもを使って探りを入れてんのがヘルマンニの爺さんだって、間違いねぇんなら売り込みもかけられっけどよ。ヘルマンニの爺さんじゃなかったらどうすんだよ?」


「「「あ」」」


 いつの間にかリュキスカの事を調べているのはヘルマンニだと決めつけ、そうではない可能性を忘れていたことに手下たちは気づいた。


「ヘルマンニの爺さんがリュキスカのこと知らなかったら、わざわざ知らせちまう事になっちまうじゃねえかよ。

 このアルトリウシアで神官ども動かせんのはスパルタカシウス様だけだ。だから神官どもを使って調べてるのは、スパルタカシウス様で間違ぇねぇだろうぜ?

 だが、魚売り女ども使えるのはヘルマンニの爺さんだけじゃねえんだ。

 多分、ヘルマンニの爺さんだろうがよ、まだ確証がねぇ。

 ひょっとしたら、ネストリの野郎が何かの拍子にリュキスカの事知っちまって、それで興味を持って探ってるだけかもしれねぇだろ?

 だからスパルタカシウス様にゃ売り込むことも出来っけどよ、ヘルマンニの爺さんにこっちから売り込むことなんか出来ねぇよ。」


「ああ……なる…ほど……」

「「・・・・・・」」


 ラウリは考えが及んでいなかった事に気付き、頭をボリボリと掻いた。その様子を無言のまま見ていたパスカルと伝六も無意識にポリポリと首やら顎やらを掻く。リクハルドはラウリの顔を覗き込むように乗り出していた上体を引っ込め、キセルに煙草の葉を詰め始めた。


「では、セーヘイムについてはどうするんです?」


「ん~~……ひとまずはこっちから探りを入れるしかねぇなぁ。」


 煙草の葉を詰めたキセルの先端を煙草盆の上の炭火に近づけ、火を点けながらリクハルドはパスカルの質問に答えた。


「何人か送り込め、そんでネストリと、あとヘルマンニの爺さんを洗うんだ。

 リュキスカのこと探ってる黒幕は誰なのか……できれば、リュキスカのことを探ってる理由もだな……ふぅ~~~」


 天井に向かって盛大に煙を吐き出す。ラウリが「へぃ、手配しやす」と応じると、リクハルドはそのまま天井を漂う煙を見上げながらパスカルに向けて命じる。


「あと、スパルタカシウス様に目通りできるよう……いや、その前に子爵公子アルトリウス閣下だな。」


「子爵公子閣下ですか?」


「おうよ、一応秘密にするって約束なのにこっちから秘密バラしに売り込みにかけんだ。貴公子様にゃあ断り入れといた方がいいだろうよ?」


「承知してくれやすかねぇ?」


 パスカルとの会話に横から割り込んできた伝六にリクハルドは笑った。


「スパルタカシウス様ぁもう知ってんのにかぁ?

 どうせ繋がってんだろうから駄目たぁ言わねぇだろうよ。

 だが、どうしても駄目って言われるようなら、じゃあスパルタカシウス様に探り入れんの止めるよう、子爵公子閣下から言ってもらうさ。」

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