第610話 探っているのは・・・

統一歴九十九年五月六日、午前 - 《陶片テスタチェウス》リクハルド邸/アルトリウシア



 一昨日の銃撃事件を最後に途絶えているが、ここのところアルトリウシア市民を、中でも特にアイゼンファウスト住民を震え上がらせていたセヴェリ川向こうのアルトリウシア平野からの聞こえてきていたダイアウルフの遠吠え……あれは実はハン支援軍アウクシリア・ハンからアルトリウシアに潜伏しているスパイとの接触を図っているのではないかという懸念は、ハン支援軍蜂起に背後で関わっていたリクハルド・ヘリアンソンにとってはもろに心当たりのありまくる話だった。ハン族がもしもアルトリウシアの誰かに秘密裏に接触を試みているとすれば、リクハルドである可能性が最も高い。


 だが、あれだけ派手に暴れてアルトリウシア中の怨恨を買って出て行ったハン族である。今更、アルトリウシアへ戻って来れるわけがない。それどころか、レーマ帝国への復帰すらあり得ないだろう。彼らは叛乱軍として討伐される運命にある。

 アルビオンニア侯爵家もアルトリウシア子爵家もどちらとも領民の保護と被害の復興に全力を注いでいるため、今のところはハン支援軍討伐の様子はないが、しかしリクハルドたちが知る限りでは侯爵家も子爵家もハン支援軍を叛乱軍として討伐することを諦めているわけではないことは確かだ。この状況で和睦わぼくを求めて仲介の労をと頼まれたところで引き受けようがないし、リクハルド自身にしても今更つきあうだけ面倒くさいだけのハン族に戻って来てほしいとは思わなかった。


 しかし、そもそも叛乱に否定的だったはずのイェルナクは現在サウマンディウムへ行っていることが明らかになっており、弟オクタルを殺された族長ムズクがリクハルドを頼って来るとも思えない。だとすれば、今リクハルドへ接触を求めてきているとすればディンキジクであろう。

 ディンキジクならダイアウルフの騎兵を直接指揮下に納めており、自らの意思で動かすことが可能だ。そして、ディンキジクは蜂起にもっとも積極的だった最右翼の幕僚である。今回の蜂起の計画を練った中心人物であり、間違ってもこの期に及んで和睦を乞うてくるような男ではない。その男がリクハルドに今更何の用があるのか?


 可能性として最も高いのは、今ハン族がこもっているエッケ島からの脱出……そのための支援であろう。聞くところによるとハン支援軍は『バランベル』号を失い、エッケ島から出るに出られなくなってしまっている。脱出するためには船が必要な筈だ。あるいは、安全に脱出するための情報か……


 レーマ帝国に反旗をひるがえした彼らがレーマ帝国へ復帰できる可能性は無い。つまり、彼らが生き延びるためにはレーマ帝国の版図の外へ逃げ延びねばならないのだ。それはすなわち、南蛮への脱出を意味する。

 リクハルドは元々南蛮出身だ。南蛮の南、アリスイ氏族の領域の向こう側まで行けば、ハン族が生きていくのに都合の良い無人の草原が広がっている……そう、彼らに教えたのはリクハルド自身だった。ちなみに、実際にはそんな草原なんか存在しない。アリスイ氏族の領土より南にあるのは、全部南蛮豪族の誰かが治める領地である。ハン族ごときが生きていける自由な草原など、世界のどこにも存在しない。レーマ帝国への従属を拒絶した彼らに残されているのは、滅亡だけなのだ。

 だが、その彼らが脱出のための手助けを必要としているというのなら、リクハルドにとってこれを利用しない手はない。


 いいぜ、ディンキジク……

 脱出したいって言うならいくらでも手を貸してやる。

 安心しろ、ハン族全員、一人残らず脱出させてやるぜ?

 この世からな……


「カシラ?」


 一人黙ってほくそ笑み始めたリクハルドに、パスカルがいぶかしむように声をかけると、リクハルドは茶托の上から茶碗を拾い上げ、口元へ運んだ。


「おう、何でもねぇ。

 まあよ、ディンキジクの野郎がってぇんなら、話くれぇ聞いてやらねぇこともねぇや。どうせ、南蛮へ逃れる手伝いでもしろっていうんだろうからよ。」


 リクハルドはとっくに冷めていたお茶を一気にすすった。


「助けるんですかい?」


「人が困ってるってぇんなら、そこで一肌脱ぐのが侠客おとこってもんよ。

 この間ぁ、引導いんどう渡し損ねたんだ。今度はきっちり渡してやるさ。」


 伝六でんろくの間抜けな質問に答えると、リクハルドは飲み干した茶碗を茶托ちゃたくの上に勢いよく戻す。それを合図にするように、リクハルドは議題を次へ進めた。最初にラウリが一通り口にした概要から、次に思い出した件を催促する。


「次!……あ~、例のリュキスカだっけか?

 あの娼婦の事、キンナの野郎も調べてんのかよ?」


「ヘイ、それが……」


 ラウリは珍しく言いよどみ、俯いて首の裏あたりをボリボリと掻いた。


「何でぇ?

 リュキスカのこと調べろって言われたんだろ?

 キンナの野郎は何だってリュキスカに興味なんか持ってんだよ?」


「へぇ……それがキンナの旦那が言うには、リュキスカが上級貴族パトリキの仲間入りをしたってぇんですよ。」


「「上級貴族パトリキ!?」」

「マジかよ」


「へぇ、旦那が言うには、もう旦那もおいそれと口を利けねぇそうで……

 で、これからぁ上級貴族パトリキとして正式にお付き合いしなきゃいけねぇから、そのリュキスカの人となりとか、そういうの知っとく必要があるってぇんですよ。」


 突拍子もない話にたまげた一同を相手に、ラウリは言いづらそうに言った。ラウリ自身、未だ半信半疑なのである。リクハルドやパスカル、伝六たちが信じてくれなかったとしてもそれを責める気にはなれない。


「……へぇ、じゃあ例の御大尽おだいじんめとられたってぇ事かい?」


「そこまでは……でも、《レアル》神話のシンデレラのごとしだって、キンナの旦那ぁ言ってやした。」


 《レアル》世界の童話や民話などは歴代の降臨者たちを通じてこの世界ヴァーチャリアにも伝来している。それらは一般に「《レアル》神話」と呼ばれており、ヴァーチャリア世界全体で修めるべき教養の一つとされている。「シンデレラ」もまたその一つであり、知らない者はまず居ないと言って良いだろう。


「ヘッ、灰被りの下女が娼婦じゃ話が生々し過ぎらぁな。

 じゃあ例の御大尽が王子様ってことかぃ?

 いってぇ誰なんだよ?」


「そいつぁ旦那も教えちゃくれやせんでした。

 マニウス要塞カストルム・マニに居るのぁ間違いねぇんですが……

 ただ、あと二月もすりゃ発表されるだろうって」


 ラウリはバツが悪そうに言った。ラウリもこれまでに方々手を回しており、マニウス要塞に収容されている避難民たちで息のかかった者を使って探らせているのだが、リュキスカが居ると目されている要塞司令部プリンキピア陣営本部プラエトーリウムのあたりはいつになく警備が厳重で手が届かないでいる。そして、多分焦りが出てしまったのだろう、マニウス要塞を探っていることをアグリッパに気付かれ、釘を刺されてしまった。

 リクハルドは不満げに鼻を鳴らす。


「それまで内緒にしてろってぇのか?

 だが、リュキスカの素性を教えろってあっちこっちから言われてるぜ。

 もう貴族ノビリタスどもはみんな知ってそうな勢いじゃねぇか?」


「そんなに多いんですかい?」


 怪訝けげんな表情を浮かべて逆に訊き返すラウリに、横からパスカルが答えた。


「侯爵家と子爵家に連なる方々ばかりですが、アルトリウシアの主だった貴族ノビリタスからは軒並み調査の依頼が来ています。

 逆に依頼して来ていない貴族ノビリタスの方が少ないでしょうね。軍団幕僚たちトリブニ・ミリトゥムとアンブーストゥス卿とアイゼンファウスト卿、それとスパルタカシウス家ぐらいです。ああ、あとはキリスト教会か……

 このうち例のカッシウス・アレティウスクイントゥスからの依頼が軍団レギオーからのだとすれば、軍団幕僚はもう依頼してきているようなものです。

 そしてスパルタカシウス家は、街を巡回する神官たちを使って独自に調べているようですね。」


「何だそりゃ?みんなリュキスカのこと知ってるってことか!?

 てことは、貴族ノビリタスでリュキスカのこと知らねぇのは……」


「キリスト坊主どもと俺ら郷士ドゥーチェだけって事さ…」


 驚くラウリの後をとってそう言うと、リクハルドは腕組みして天井を見上げた。


「クソッ、面白くねぇぜ……

 オレッちの庭で起きたことだってぇのに、蚊帳カヤの外かよ?」


 忌々いまいまし気にリクハルドが毒づくと、ラウリと伝六はリクハルドを見たまま揃ってフーッと溜息をついて上体の力を抜いた。


「いえ、さっき挙げた貴族ノビリタス以外にも、どうやら知ってる節があります。」


「「!?」」

「どういうこったい?」


 パスカルが言うと全員が姿勢はそのままで目だけをパスカルに向けた。


「ここんとこ、《陶片テスタチェウス》でリュキスカのこと嗅ぎまわっている奴らを調べていたんです。スパルタカシウス家の神官と、あとセーヘイムの魚売り女どものようです。」


「魚売り女ぁ?!」

「ああ、そういや『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナのヴェイセルもそんなこと言ってたな。」

「ああ、俺んトコの店でも魚売り女だった。」


「てことは、ヘルマンニの爺さんか!」


 ヘルマンニはリクハルドたちと同じくセーヘイムを治める郷士ドゥーチェだが、同時に侯爵家お抱えのアルトリウシア艦隊クラッスス・アルトリウシアを束ねる提督プラエフェクトゥスでもある。そう言う意味ではリクハルドたちとは別格の存在であり、侯爵家にも近いため知っていてもおかしくない。

 だが、アタリを付けたリクハルドに対してパスカルは苦笑いを浮かべた。


「いや、それが魚売りと言ってもネストリのところのなんですよ。」


「ネストリ?」

「セーヘイムの網元あみもとのか?」

下級貴族ノビレスじゃねぇが、結構な大店おおだなだな。」

「なんでセーヘイムのネストリがリュキスカの事なんか調べるんだ?

 アイツだってブッカだろ!?」

「誰かに依頼されたとか?」

「俺たちみてぇにか?」


 話しながら自然と前のめりになり、気づけば互いに額を突き合わせるようにして声も低くなっていた。


「だとするとやっぱりヘルマンニの爺さんじゃねえか?

 確か、ヘルマンニの息子のサムエルの嫁がネストリの娘だろ?」


「いや、だったら自分のトコの人間使いませんかね?」


「いや、ヘルマンニ卿のトコの行商人は俺らの店にゃ降ろしてねぇぜ?

 ヘルマンニ卿の行商人どもはだいたいティトゥス要塞城下町カナバエ・カストリ・ティティを縄張りにしてっからよ。」


「ああ、《陶片テスタチェウス》にはあんまり来てねぇはずだ。」


 確証は無いが、リクハルドに断りも無くリュキスカの事を調べているのはヘルマンニである可能性が高いと考えていいだろう。リクハルドは上体を起こし、右の口角を引きつらせた。


「何でぇ、水臭ぇじゃねぇか爺さんよぉ?

 筋も通さずに勝手されちゃあ、こっちだって面白くねぇぜ」

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