第612話 補給問題
統一歴九十九年五月六日、午後 -
「補給が難しいとはどういうことですか!?」
豪華な調度品で飾られた執務室にアロイスの声が響きわたる。
アルビオンニウムへ向かったルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの護衛部隊長セルウィウス・カウデクスからの早馬により
アロイスはシュバルツゼーブルグに到着し、
「
アロイスの義兄、シュバルツゼーブルグの長ヴォルデマールは申し訳なさそうに首を振った。
シュバルツゼーブルグはかつて豊富な食糧生産量を誇るアルビオンニアで有数の穀倉地だった街だ。周囲の森を切り開き、農地を拡げ続け、数十年の歳月をかけてそこまで成長させている。だがそれも一昨年のフライターク山噴火で状況が大きく変化した。
食料の豊かなシュバルツゼーブルグにはアルビオンニウムから大量の難民が押し寄せた。その数は一時は三万人にまで達している。元々の人口が三万人だったのに、一挙に倍増したのだ。食料供給力だけを考えれば決して養えない人数ではなかったが、働きもせず仕事も無い難民を三万人も収容し世話をするとなると食料だけを与えればよいと言うような単純な問題ではなくなる。食料の他に水も要るし、住む場所も要る。衣類や医薬品等も必要になって来る。そして三万人が食えば三万人が排泄もする。それらの諸々の処理は到底間に合うものではなかった。
次々と流れ込んで来る難民を更に他所へ移動させるなどして何とか負担軽減を図ったが、結局今でも推計二万人の避難民がシュバルツゼーブルグ周辺の農地にバラックを築いて住み着いている。住んでいるのは休耕地だが、休耕地はあくまでも休ませている土地であって使わない土地ではない。年が変われば作物を植えるなり放牧するなりしなければならないのだが、難民によって汚染され、踏み固められた休耕地は土壌そのものが変質し、麦の作柄に悪い影響を及ぼした。おかげで今年は農作物の生産量が目に見えて落ちこんでしまっている。
「待ってください。
たったの一個大隊ですよ?
総勢で五百人ほどです。その食料すら都合が付かないんですか!?」
「先月の
これから冬だと言うのにここで本格的な軍事作戦を起こされたら、シュバルツゼーブルグは少なからぬ餓死者を出してしまうよ。」
冬になれば
「では我々もすぐに出て行けと!?」
「そうは言っておらんよ、アロイス」
突然一大勢力を構成し始めたシュバルツゼーブルグ周辺の謎の盗賊団、それをどうにかしてくれと頼んでいたのはヴォルデマールの方だった。アルトリウシア救援へ向かう途中でシュバルツゼーブルグへ立ち寄ったアロイスは、ヴォルデマールから直接頼まれたのだ。だがその時、事態に急を要するのはアルトリウシア救援の方だった。盗賊団もその時はどうやら一つに集まりつつあるらしいという程度のことしかわかっておらず、本格的に暴れ出すような兆候も見えてなかったため、アロイスもヴォルデマールも盗賊団に対し抱いていた危機感はそれほど切迫したものではなかった。だからアロイスは後回しにしていた。ヴォルデマールもその時は特に切実に要請していたわけでもなかった。
それがアルトリウシアでリュウイチの降臨を知らされ、
なのに何故!?
五万人分の食料備蓄がある街で五百人分の食料を融通できない!?
納得できずに感情を
「大隊はシュバルツゼーブルグに居てくれてもかまわん。
五百人分の食料を融通するくらいは出来るさ。」
「じゃあ何で補給に応じてくれないのです!?」
「輸送ができないんだよ。
五百人分の食料、一日何タレントになるね?」
「一日十八タレント(約五百二十八キロ)です。」
「他に飲み物や弾薬も必要だろう?
補給物資は一日あたりどれほどでしたかな?」
「通常、一日七十タレント(約二トン)……武器弾薬を除いて……」
アロイスからその答えを導き出すと、義弟に対する義兄のものだったヴォルデマールの態度は軍団長に対する郷士のそれに改められた。
「七十タレント!
そう、一日に荷馬車が二、三台は必要ですな。それとは別に武器弾薬も……
先ほども報告しましたが
馬が一頭で曳ける荷馬車の積載量がだいたい三十~三十五タレント(約八百八十~千二十六キロ)だから、ヴォルデマールの言う通り大隊が一日に必要とする物資は荷馬車四~五台なければ運べない。
アロイスはアルビオンニウムまで行って盗賊を掃討するつもりだったから、補給用の荷馬車はシュバルツゼーブルグとアルビオンニウムを往復させる必要がある。本来なら片道一日で移動できる距離だが、途中の
馬は力があるがその分よく食べる。働かせない時はそれほど多くは食べないが、仕事をさせればさせた分だけ栄養豊富な穀物を与えねばならない。そして、馬車馬として使われる大柄な重馬は一頭で人間の八倍以上の穀物を飼料として消費する。その馬が二十頭と御者が二十人必要になるから、一日で百八十人分の穀物が必要になる。そこへ更に荷馬車の護衛も付けねばならない。
レーマ軍の騎兵の最小単位である騎兵小隊は八騎で編成される。補給部隊一隊に騎兵八騎ずつつけたとしても、それだけで食料・飼料は新たに二百八十八人分必要になる。合計で必要となる穀物は毎日四百六十八人分……アロイスの部隊五百人がアルビオンニウムで活動するためには、何やかやでもう五百人分もの食料が毎日必要となるのだ。
「まあ、食料をズィルパーミナブルクから融通していただけるのなら、出せないこともありません。ですが、シュバルツゼーブルグに新たに輸送部隊の護衛に割ける兵力はもうありません。
街の治安維持だけで手一杯なのです。
そもそも荷馬車だって二十台も余裕はありません。アルトリウシアへの建築資材の輸送を止めて良いのなら……その上で閣下の兵力の一部で護衛していただくのなら構いませんが?」
「……いや、それはできない。
それでは正面戦力が足らなくなるし、建築資材は冬が来る前に輸送を終えねばならん。」
仮に輸送部隊一体につき一個小隊を護衛につけたら、それだけで大隊戦力の三分の二を割かねばならなくなってしまう。それでは三百人と見積もられている盗賊団に対して数的優位を保てない。相手は素人の盗賊だが、アロイスが引き連れて来た部隊も素人同然の新兵ぞろいなのだ。数的優位を保てない状態でぶつかるわけにはいかない。
また、アルトリウシアへの建築資材の輸送も、グナエウス峠が雪で通行できなくなる前に運び込んでしまう必要があった。残された期間はあとひと月あるかどうかと言ったところであり、中断させるわけにはいかない。
アロイスは予想外の事態に頭を抱えた。シュバルツゼーブルグからの支援をあてにしていたのに、それが得られないとなると当初想定していたことがほとんどできなくなってしまう。
「では、我々はどうすればいいのだ!?
アルビオンニウムへ行くなと?!
ルク……スパルタカシア様はアルビオンニウムへ行かれたのだぞ!?」
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