第782話 グナエウシア・マイヨルの役目

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア庭園ペリスティリウム/レーマ



 調査のために人をる……レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの説明を受け、グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルは同席している謎の貴族たちをサッと見渡した。


 では、この方たちが!?


 見たこともない服装、整いすぎた顔立ち、帝国で最高位であるはずの皇帝インペラートルが敬語を使っていた事、そして何より真ん中の少年はヒトとは思えないほど耳が長く尖っていることからしてハーフエルフであることは疑いようがない。

 降臨があった場合に最終的に対応するのはムセイオン。そしてムセイオンにいるのはゲイマーガメルの血を引き、強力な魔力を有する聖貴族コンセクラトゥム……であるならば、聖貴族の特徴を兼ね備えた彼らがその当人であろうことは想像に難くない。


 え、どうしよう……そんな貴い人たちに私、まだ挨拶してない……


 礼儀作法、それは社交界におけるルールだ。一つしくじれば、その時点で社交界から追放の憂き目にあうことすらあるのだ。貴族のそれはまさに死活問題であり、一般人プレブス同士の社交辞令などとは重さがまるで違う。だからこそ大グナエウシアグナエウシア・マイヨルもレーマに来るまで徹底的に叩き込まれたし、今でも所作しょさや立ち居振る舞い言葉遣ことばづかいのトレーニングを欠かした日は無いほどだ。その中でも挨拶は基本中の基本であり、ましてや相手が自分より上位の者ならば仕損じなど許されることではない。

 彼らがムセイオンの聖貴族ではないかということは察してはいたが、今まで皇帝も紹介しなかったし彼らもあえて何も言ってなかった。だから多分、とか何かの都合で身分を隠しているのだろうとは思っていた。であるならばことさら鯱張しゃちほこばった挨拶をするのは却って相手に悪いだろうとは思っていたのだが、こうして間接的にではあっても紹介されたなら挨拶すべきではないだろうか?

 だが既にタイミングを逸している。皇帝が紹介したとはいっても厳密には程度であり、正式に紹介したわけでもない。


 どうしよう、今からでも挨拶すべき?

 でもまだ御身分を明らかにされておられないし……

 


「それで、協力してもらえるかね?」


「はっ!?え!?」


 挨拶すべきかどうか、どう挨拶すべきかで頭の中がいっぱいになっていた大グナエウシアにマメルクスの声はあまりにも唐突すぎた。思わず頓狂とんきょうな声をあげて身体をビクンと跳ねさせてしまう。


「うん、だから、アルトリウシアの話を聞かせてもらえるかな、子爵令嬢?」


 話を聞いてなかったのか……マメルクスは内心で苛立いらだちながらも口角を持ち上げて笑みを浮かべる。

 大グナエウシアはマメルクスのその顔を見て頭から血の気が引いて聞くのを感じていた。もし、彼女がハーフコボルトで全身も顔も体毛で覆われて居なかったら、顔色が蒼くなっているのが周囲に丸わかりだっただろう。


 不味い、陛下の御機嫌を損ねちゃう!!


「はいっ!もちろんです陛下!」


 胸を突き出すように背筋をピンと伸ばし、元気よく答える大グナエウシアの歳相応の少女らしい反応にマメルクスは苦笑いを浮かべ背もたれに背を預ける。


「そうか、ならば良い。」


「それで……あの……」


 マメルクスが満足そうな笑みを浮かべたのを見た大グナエウシアは言いにくそうにチラリと、同席している聖貴族たちへ視線を走らせる。


「何だ、まだ何か?……ああ……」


 大グナエウシアの視線からマメルクスは彼女が客人たちを意識していることに改めて気づいた。


 人見知りというわけではないだろうが、やはり得体の知れない人物を前に話はしづらいということか……。


 貴族ノビリタスの子弟、特に領主貴族パトリキの子弟ともなると、社交の場では領国の宣伝広報といった役割を担うのは普通のことだ。大グナエウシア自身も、出身地であるアルトリウシアの成り立ちや地理、人口や産業などについて淀みなく説明することができるよう、レーマに来る前に散々叩き込まれた。だが、領国を紹介する貴族や貴族の子弟は、誰に対しても知っていることを同じように話せばいいというものではない。

 たとえばアルビオンニア属州では銀や銅、鉛といった鉱物資源が主な輸出産業となっているが、多少の羊毛も輸出している。そしてお隣のサウマンディア属州の最大の産業は牧羊であり、帝都レーマに入ってくる羊毛の大半がサウマンディア産だ。もしこの場にサウマンディア貴族が同席していて、その目の前で大グナエウシアがアルビオンニア産の羊毛を皇帝にアピールしたりすれば、サウマンディア貴族の心証は悪くならざるを得ないだろうし、ひいてはアルビオンニアとサウマンディアの友好関係にヒビが入ってしまうかもしれない。

 だから、同じ領国について宣伝をするにしても、貴族の場合は同席している人によって話す内容や言い方を工夫することが求められる。そして、そうであるがゆえに、正体の分からない人物が同席することを貴族はあまり好まない。何を話すべきか、どう話すべきかが分からず気が気でなくなってしまうからだ。特にレーマ帝国の場合、貴族は公明正大、正々堂々としていることが求められる風潮もあることから、身分を隠す人物の同席は嫌われる傾向にあった。


「ああ……彼らは……」


 マメルクスは隣にいる大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフ、その息子ルード・ミルフ二世、そして彼らと同じくムセイオンの聖貴族ロックス・ネックビアードを大グナエウシアの視線を追うように見回して言葉をにごす。


「既に察しはついているだろうが、ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムだ。

 ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥム・ムセイオニスについては、こちらから身分を訊いてはならんのは、知っておるな?」


 ムセイオンの聖貴族……すなわちゲイマーの血を引く貴族については、相手側が自発的に名乗らない限り詮索をしないのがこの世界ヴァーチャリアの暗黙のルールとなっていた。

 彼らの父祖であるゲイマーは大戦争中にそれぞれの陣営で活躍した英雄ではあるが、それは同時に敵側にとっては許すべかざる大悪人ということでもある。大戦争から百年も経っているし聖貴族は本人ではないのだからと思えなくはないが、世の中にはそうした理性を働かせることのできる人間ばかりではない。ムセイオンの中には高度な教育を受けた者たちしか入れないし、そうした先祖の歴史上の行為を理由に不当な暴力行為などが行われることは無いのだが、外では別だ。特に大戦争で活躍したゲイマーほど、敵側では現在でも悪魔に例えられることも多く、下手にそういった場所で、あるいはそうした地域の出身者がいる場所で身分を明かすと、どのようなトラブルが起こるか分かったものでは無い。

 また、父祖のゲイマー共々そうした害意とは無関係であったとしても、何せ彼らはゲイマーの血を引く聖貴族である。彼らに取り入り、あわよくば縁を結ぼうとする者も後を絶たない。

 ゆえに、ムセイオンの聖貴族たちはムセイオンの外では身分を明かさないのは常識となっていたし、また彼らの身元を探ろうとしないのがいつしか世界共通の暗黙のルールとなっていたのだ。


「はい、それは、教わっております。

 ですが……その……」


「何だ、まだ何かあるのか?」


 さすがにマメルクスは眉をひそめた。

 マメルクスは常識を説明したはずだった。そういう常識と呼ばれるものを身に着けていない者は、本来ならそのまま社交の場から追われることになるのが貴族社会だ。普通ならわざわざ教えてやったりはしない。誰からも何も教えてもらえず、本人は訳も分からないままいつの間にか社交界に居場所がなくなるものだ。だから貴族の子弟は最低限の常識が備わるまでは社交界にデビューさせてもらえないし、またデビューさせる前に徹底的に“常識”というものを叩きこむのが貴族だ。

 にもかかわらずマメルクスが大グナエウシアにご丁寧に説明してやったのは、彼女がまだ若い少女だと思えばこそであり、また今日は彼女からアルトリウシアやアルビオンニアの話を訊かねばならないからこそだった。


 こいつは……貴族としての素養に問題があるようなら……


 マメルクスも決して暇な身分ではないし、誰彼構わず付き合える身分でもない。政敵は少なくないのだ。下手に常識の無い者を傍に近づければ、その者のミスによって自分が思わぬ巻き添えを食うことになるかもしれない。貴族たちが“常識”をわきまえない人物を嫌うのは決して意味の無いことからではなく、生き馬の目を抜くような権力闘争を生き延びるためには非常識な人間、不用心な人間とは距離を置く必要があるからだった。


 領国の説明をするという領主貴族パトリキとして最低限の役目も果たせず、理由を聞いても納得しない。そんな社交界の常識も理解できないような愚か者なら、こいつはもう二度と近づけることはできん。

 下手したら今日、『黄金宮』ここにムセイオンの貴族が居た。皇帝と一緒に話をしたなどと外で吹聴されてしまうかもしれん。


 早くも大グナエウシアを見限ろうとしていたマメルクスの懸念は幸いなことに杞憂きゆうに過ぎなかった。マメルクスは大グナエウシアがフローリアたちの正体が分からないので話しづらいのだろうと予想していたが、彼女が気にしていたのはフローリアたちの身分ではなかったのである。

 大グナエウシアはモジモジとしながらも、覚悟を決めて思い切って確認する。


「あのっ!……え、英語でご説明すべきでしょうか!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る