第783話 明かされた客人の正体
統一歴九十九年五月十日、昼 ‐
「プッフフフフ……
オーッホホホホホホ」
一瞬の沈黙の後、
彼の息子ルード・ミルフ二世も笑いたいのを堪えている様子を見せつつ、母を困ったような視線を向ける。そして彼らの付き人としてついて来ていたロックス・ネックビアード、そしてこの場のホストである
わ、私そんなおかしいこと言ったかしら?
壮麗な法衣を
羞恥と反発で顔が耳まで熱くなるのを感じながらも、不用意にも不器用な発言をしてしまったことを悔い、そして自分を責めずにはいられない。気づけば彼女は肩を怒らせながら俯き、身を縮こませながら太腿の上に置いた両手をギュッと握って唇をかみしめて居た。もし、彼女が全身を体毛に覆われたハーフコボルトでなければ、その顔は火のように真っ赤になっていたことだろう。
「
さすがに目に余ったのかルードがフローリアを
「ああ、そうね……ごめんなさい、せっかく私たちを
まだ少し、笑いを残したままフローリアはそう言いながら目元を拭った。そして改めて
「失礼をしてしまいましたね。ごめんなさい。
でも、ラテン語で大丈夫よ。
私は本国ではないけど、レーマ帝国の出身なの。
それにこの子たちもラテン語は話せるから、そのままでいいわ。
貴女のラテン語は訛りも無くて、聞き取りやすくてよ?」
見知らぬ
英語は
ムセイオンでもそれは同じで、なんといってもムセイオンの最高権威たるフローリアがラテン語話者なのだから英語と共にラテン語を学ぶのは常識だったのである。しかし、そのようなことは大グナエウシアは知らない。彼女は英語を降臨者が話す神聖な言語でムセイオンでも話されている共通語と考えていたし、ムセイオンに留学の経験がある者たちもムセイオンの内部のことはあまり話さないのが普通だったからだ。
「いえ、私こそ申し訳ありません。
大グナエウシアの心がフローリアの謝罪で晴れたわけではなかったが、聖貴族に謝らせておいてそれを受け入れないなどというような無礼は
彼女はフローリアたちのために慣れない英語で話した方がいいだろうかと気を使ってくれた。思いやってくれたのだ。なのに、フローリアはそれを笑ってしまった。別に悪気があって笑ったわけではない。誰もが揚げ足を取られないように常に一歩引き、本心を隠してうわべだけを飾る貴族同士の会話が当たり前な世界でこうも純真な存在を目の当たりにし、いつの間にか貴族たちの虚飾に満ちた感覚に慣れ切り、こんないたいけな少女相手に身構えていた自分に気づき、それが可笑しくなって笑ったのだ。
しかし、それで思いもかけず少女を傷つけてしまった。大聖母などと大袈裟な称号を貰い、人々から崇められている間にどこかで人として当たり前な思いやりを忘れてしまったのかもしれない。フローリアは大グナエウシアに対して素直に済まないと思ったし、同時に反省もしていた。
「そうね、このまま自分の身分に甘えて失礼を重ねていては良くないわ。
これから貴女にはお話を聞かせていただかなくてはならないんだもの。
私の名はフローリア・ロリコンベイト・ミルフといいます。」
「「!?」」
「
「ママ!!」
フローリアが名乗ったことで一同は一斉に驚いた。
「この名を御存じだと嬉しいのだけれど?」
優しく微笑むフローリアを皿のように丸くした目で凝視しながら大グナエウシアはフルフルと震えた。
「ぞ、存じております、
まさかその名を知らないわけがない。「
ムセイオンの聖貴族だとは気づいていたが、よもやその頂点に立つほどの大人物とは思わなかった。口をパクパクさせながらガタッと椅子を鳴らし、大グナエウシアは慌てて横に飛びのくとサッと
「ま、まさか
ご無礼の段、平にご容赦を!!」
礼をするために俯き、地面に向けられた大グナエウシアの目は大きく見開かれ、震えていた。
貴族社会では身分は絶対だ。自分より高貴な人物、上位の人物には間違っても阻喪があってはならない。だからこそ、貴族たちは皇帝や王、皇族・王族といった頂点に君臨する人々の肖像画や彫像を買い求め、我が家に飾るのである。たとえこれまで縁が無く会ったことが無かったとしても、これから会うかもしれない。その時にその人だと気づけず、礼を失するようなことがあっては身の破滅、いや一族郎党の破滅に繋がりかねないからだ。帝国の公的な施設や各軍団の
当然、アルトリウシア子爵家でも皇帝や皇族などの有力者の肖像画や胸像は飾られている。代替わりをするたびに、新しい物を買いそろえるのだ。そして、それは皇帝や皇族のみならず、ムセイオンの有力者たちの肖像画や胸像も同様である。その中にムセイオンの長、聖貴族の頂点に立つ大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフの肖像が入っていないわけはない。
大グナエウシアだって家に家族でも先祖でもない“偉い人達”の肖像や胸像が飾られている理由を知らなかったわけでは当然なかった。むしろレーマに滞在中、まかり間違って無礼を働いてはならぬと毎日欠かさずにそれらを眺め、有名人の顔や特徴などしっかりと頭に叩き込んでいたくらいなのである。
そんな、何で、なんで今まで大聖母様って気づかなかったの!?
そういえば、隣のハーフエルフ様も大聖母様の絵で見てたわ!
ということは、同席していらっしゃるのはルード・ミルフ二世様!?
ああ、なんてこと!
そんな有名人に、世界で最も高貴な方を目の当たりにして気づけないなんて!!
大グナエウシアにとっては大失態と言っていいだろう。あまりのことに思わず自分を信じられなくなりそうな大グナエウシアだったが、しかしフローリアたちの正体に気づけなかったのは大グナエウシアの責任というわけでもなかった。
あくまでも“お忍び”でここへ来ていたフローリアたちは大グナエウシアに正体を知られて大騒ぎにならないようにするため、一種の隠蔽魔法によって正体を隠していたのである。それは幻術の一種で被術者に対し意図的にゲシュタルト崩壊を起こさせ、それによって自分に向けられた注意力や関心を逸らせて「自分が存在することは認識できるのに自分の正体は見抜くことができない」という状態に陥らせるものだった。大グナエウシアがフローリアを目の当たりにしても大聖母本人だと気づけないのは当たり前だったのである。
「そんなに
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