第483話 芽生える気持ち

統一歴九十九年五月六日、朝 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「む…朝食か…」


 レーマ軍に捕まってしまった『勇者団ブレーブス』の聖騎士ジョージ・メークミー・サンドウィッチは、女性神官から敵将カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子からの朝食への招待を伝えられ逡巡した。


「はい、なにぶん旅先の事ですから御用意できるものは限られますが、伯爵公子閣下の御威光の及ぶ限り最高の御馳走を御用意するとのことにございます。」


 メークミーはこの旅路であまり良い物を食べてはいなかった。それは旅先の宿や夜の街で御馳走なんか食べれば目立ってしまうかもしれないという心配があったからだし、アルビオンニアに渡ってからは野宿続きで簡素な食材しか手に入らなかったという理由もある。

 だが、だからと言ってそれに不満があったわけではなかった。そうした旅先で食べる簡素な野外料理はむしろメークミーにとっては新鮮であり、英雄譚の主人公たちみたいでむしろ楽しかったくらいだ。そんな彼のことであるから、食事が御馳走かどうかはどうでもよかった。それどころかこんな辺境でまともな料理を期待しようという発想すらない。

 彼にはもっと別の気になることがあった。


「その、朝食には…ル、ルクレティア・スパルタカシアも同席するのか?」


「は?」


 メークミーは口ごもりながら小さい声で尋ねたため、女性神官には聞き取れなかっただけだったのだが、メークミーは揶揄からかわれた様な気になって思わず立ち上がって反発する。


「は?ではない!

 その朝食にルクレティア・スパルタカシアも同席するのかと訊いている!」


「しっ、失礼しました。」


 突然怒り始めたメークミーに神官は慌てて謝罪する。そして頭を下げたまま説明を始めた。


「お、おそれながら!

 レーマでは家族以外の男女は食卓を共にしないのがならわし。

 ですので、スパルタカシア様は既に朝食を済ませてございます。」


「む……そ、そうか…」


 メークミーは落胆を隠せなかった。ストンとベッドに腰を降ろし、ため息をついてしまう。


「それで、お返事の方はいかがなさいましょうか?」


 女性神官の言葉につい自分が無防備な姿を晒してしまった事に気付いたメークミーは座ったまま胸を反らせ、虚勢を張った。


「けっ、今朝はまだっ…その…魔力が回復しておらず、体調がすぐれん!

 は、伯爵公子閣下にはそのように伝えよ。」


かしこまりました。では、朝食はこちらへお運びいたします。」


「う、うむ…苦しゅうない。」


 メークミーがそう言うと神官たちは一斉に頭を下げ、持ってきたメークミーの着替えと替えのオマルナイトポッド以外の一切合切いっさいがっさいを抱えて退室し始めた。配下の神官たちが退出した後、リーダーの女性神官は最後に室内を見回して忘れ物などの過不足がないかを確認すると、退出前にメークミーに「失礼します」とお辞儀する。

 メークミーはその女性神官を呼び止めた。


「ま、待て!」


「はい?」


 メークミーは呼び止めたもののどう言うべきか言葉に詰まり、行き場を失った気持ちのやり場を探して部屋の隅に向けて目を泳がせながら、しばらくしてやっと口を開いた。


「そ、そのっ…ル、ルクレティア・スパルタカシアとの…めっ、目通りを、しょしょしょ、所望する!」


 赤い髪の毛と赤い髭の間にある顔を赤く染め、目を明後日の方向へ向けながらルクレティアに逢いたいと言うメークミーにどう答えるべきか、女性神官には分からなかった。彼女は神官ではあったがルクレティアの配下ではなく、サウマンディアから派遣された神官スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルの配下だったのだ。


「は、はい…あの…それは…」


 女性神官の反応に自分の言動が今更ながらに恥ずかしくなったメークミーは慌てて言いつくろい始めた。


「ごっ、誤解するな!

 その、さ、さ、昨夜は、その、見事な治癒魔法で助けてもらった。

 その礼を、ひ、一言、言いたいのだ。ちょっちょっちょっ直接…


 だ、ダメか?」


「いえ、ダメかどうかは私では…ですが、お会いできるかどうかはお伺いしてまいります。」


 神官のその返事を聞くとメークミーはあからさまに安堵の表情を浮かべた。


「そ、そうか…頼む…あっ!」


 メークミーは慌てて自分の身体をまさぐり、それから部屋中を見回すと、脇に置かれた自分の衣類に気付き、それをガサゴソと漁りはじめた。


「あの…どうかなさいましたか?」


「い、いやっ…」


 メークミーは探し物が見つからず、落胆したようにベッドに腰を降ろす。


「す、すまんな…そなたにチップをと思ったのだが…今は何もないのだ。」


 メークミーの荷物や装備は取り上げられたままだった。返してもらえたのは昨日着ていた衣類…腰巻、シャツ、キュロット、ストッキング、そして鎧下ジャックだけで小物類は何もない。


「あぁ…それはどうかお気になさりませぬよう。

 私どもは神官フラーメン、神に仕える身です。

 そのようなお気遣いは無用に願います。」


「そ、そうか…すまない…」


「他に御用が無ければ失礼いたします。」


「う、うむ…引き留めて悪かった。下がって良い。」


 神官たちは退室し、メークミーは一人取り残された。力なくベッドに腰を降ろし、両手で顔を覆う。その姿には先ほどまでの威厳も虚勢もどこにもない。


「変な事言っちゃったなぁ…どうしたんだろ、俺…」


 手の位置はそのままに、グゥゥッと背を反らせて手から顔を上げる。そのまま両手で顎髭を撫でてから、手を膝の上にポンッ叩きつけるように降ろし、背を伸ばした状態から力を抜いてフーッと息を吐く。


 いや、助けてくれた人に礼を言うのは当たり前じゃないか。

 だから直接会って礼を言いたい。そのために逢いたい。

 何もおかしくはないぞ?

 うん、普通だ。変な事なんか言ってない。


 メークミーはフンッと鼻を鳴らすと、先ほど自ら散らかしてしまった衣類に目を落とした。昨夜、彼自身が着ていて捕まった後に脱がされた物である。だが、手に取ってみるといずれも昨日着る前よりもずっとキレイになっていた。


 スンッスンッ…


 そっと鼻に当てて臭いを嗅いでみるが、おかしな臭いは何もしない。メークミーは他の衣類を手に取り、次々と臭いを嗅いだ。どれもごく普通の…綿、麻、絹、羊毛などの素材のニオイがわずかにするばかりである。メークミーは安心した。


「ふぅ…よかった。

 レーマでは小便で服を洗うって聞いたけど、大丈夫みたいだな。」


 〇〇では尿で服を洗濯している…これは割とどこででも囁かれているデマだった。もちろん、尿のアルカリを利用して衣類を洗濯していたのは歴史的事実である。だが、それはどの国においても遥かな昔の話であり、大戦争の時代よりもずっと前に廃れた習慣だった。そのため、自分たちの国でそんなことをしていたという事実が忘れられていることも多い。ちなみに現在では貴族などの富裕層では石鹸を使い、貧困層では灰汁を使って洗濯をしている。

 しかし、敵対する陣営を貶めるために、レーマ帝国では啓展宗教諸国連合側では今でも…とか、連合側ではレーマ帝国では今でも…などと、全く同じ噂が意図的に流されていた。メークミーはムセイオン育ちではあったが、生まれは連合側であり、連合側出身の側近たちによってそうした良からぬ噂をいくつか吹き込まれていたのである。


「しかし、これは石鹸の匂いすらしない…

 ということは、浄化魔法か…」


 浄化魔法…今のこの世界ヴァーチャリアで使える者はごく限られている。無論、聖貴族にしか使えない。そして、そんな魔法が使える聖貴族は一般人のために魔法を使ったりしない。自分自身や自分の親しい者のためにのみ使うだけであるため、一般人の中には汚れた物をキレイにする魔法が存在していることなどほとんど知られていない。もし知られたら、洗濯くらいいくらでもしてあげるからウチの子の病気を治してくれと言って来るような人間はいくらでもいるだろう。だからそういう魔法があることをわざわざ人に教えることもないのだ。

 だからメークミーのようなムセイオンで温室育ちの者でなければ、魔法という答えにたどり着くことさえ出来ないだろう。


 『勇者団』では浄化魔法は唯一フィリップ・エイー・ルメオのみが使える魔法であり、おかげで彼は旅の間中、仲間の汚れ物の処理を任されていた。最初は綺麗すぎる服を着ていると周囲から貴族か何かだろうとバレてしまい、注目を集めてしまう可能性を考慮して、あえて宿泊した町の洗濯屋に洗わせてみたりもしていたのだが(もちろん、事前に小便で洗うわけじゃないと確認したうえで)、任せた服が妙にゴワゴワになったり変な臭いがついたりしたので、そのうちエイーの浄化魔法に頼るようになってしまったのだ。外套だけ汚していればさほど人目は引かないだろうということで、外套だけはあえてそのままにしたが…。


 とまれ、こうして出された衣類を見ていると心なしかエイーが浄化魔法をかけた物よりも綺麗になっている気がした。


 浄化魔法も人によって違いがあるんだろうか?

 治癒魔法は相性があるから、浄化魔法もあるかもしれない…


 メークミーやエイーが使っている治癒魔法は水属性や地属性の魔法だった。それらは精霊エレメンタルの力を借りるため、術者、被術者、そして精霊のそれぞれの相性によって効果が違ってくることがある。

 これに対してルクレティアが使ったのは聖属性魔法だった。精霊エレメンタルを介さずに行使できるため、精霊との相性は全く関係なかったし、術者と被術者の相性も関係はない。相性は全く関係ないのだが、精霊系の魔法しか使えないメークミーは、魔法には相性が影響すると思い込んでいたし、見事な治癒魔法と浄化魔法を目の当たりにしたメークミーはルクレティアとの相性を確信し、その出会いに勝手に運命を感じて一人で盛り上がっていた。

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