第482話 メークミー・サンドウィッチの目覚め

統一歴九十九年五月六日、朝 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 北側が海に開けているとはいえ東西を山岳に挟まれたアルビオンニウムの朝は非常に冷える。南半球の五月上旬となれば秋も深まっており、気候に慣れない旅行者は眠っていても寒さで目を覚ましてしまうほどだ。ジョージ・メークミー・サンドウィッチもその一人だった。


 彼は昨夜、マッド・ゴーレムたちとの戦闘に敗れ、撤退する際に殿しんがりを務めた結果、逃げ遅れて捕まってしまった。軍団兵レギオナリウスたちが彼を見つけた時、彼は二体のマッド・ゴーレムに抑えつけられ、身体中に足枷蔓ファダー・ヴァインが絡みつき、そのうえ無数の沼スライムスワンプ・スライムたかられて魔力欠乏で意識が朦朧もうろうとしている状態だった。


 その後、軍団兵たちに回収された彼は魔力欠乏で身動きできないまま身包みぐるみを剥がされ、スライムを除去してもらい、ルクレティアに治癒魔法と浄化魔法をかけてもらった。


 あの美少女が…あれほどの魔法を…


 寒さで目が覚めてしまった彼が昨夜の顛末を思い出し、そして最初に思ったのはそれだった。治癒魔法も浄化魔法もムセイオンでは、特にゲーマーの血を直接引く聖貴族たちにとっては珍しいものではない。もちろん、使える者は非常に限られているのだが、彼ら特別な血統の持ち主はある意味非常に過保護な環境に置かれており、怪我や病気になればすぐにそうした魔法をかけてもらえるため、物珍しさを感じようが無いのだ。だが、それでもそうした魔法がごく限られた人物にしか使えないという事は理解している。


 あの魔法を…あの美少女が…

 ひょっとしてあれが、噂に聞いたルクレティア・スパルタカシアか…


 この辺境の地で数少ない聖貴族の末裔とは聞いていた。スパルタカシウス一族…降臨者スパルタカスの血を引く最も古い血統を誇る、レーマ帝国でも有数の聖貴族だ。だが、降臨者スパルタカスは同じ降臨者でもゲーマーではない。しかも古すぎる降臨者だ。代を重ね血が薄まった結果、彼らからは血統に見合うだけは魔力を失われたと聞いていた。ルクレティア・スパルタカシアに大した魔力は無い…それが事前に聞かされていた情報だった。


 とんでもない誤報だ。一体誰がそんな出鱈目でたらめを…

 あれは、ゲーマーにも匹敵する魔法使いだ。あの治癒魔法、多分エイーなんかより優れているぞ…


 フィリップ・エイー・ルメオは『勇者団ブレーブス』の一員であり、今回の旅に加わっている唯一のヒーラーだ。治癒魔法を使うだけなら、聖騎士であるメークミーも使えるし、同じ聖騎士で『勇者団』のサブリーダーを務めるスモル・ソイボーイも使える。が、エイーは治癒魔法の修行に専門的に打ち込んだだけあって、メークミーやスモルなんかよりもよっぽど強力で多彩な治癒魔法が使えた。だが多分、そのエイーよりもルクレティアの治癒魔法の方が強力だったように、メークミーには感じられたのだ。


 あの治癒魔法…おそらくママのと同じか…すごい…


 メークミーや他の『勇者団』たちがママと呼ぶ存在…それは実母のことではない。彼らの育ての親の事だ。


 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリンコベイト・ミルフ…大戦争前のゲーマー、ロリコンベイトの娘として生まれた彼女は大戦争中にルード・ミルフというゲーマーに魅入られ、結婚し、その子を産んだ。ゲーマーの娘でゲーマーの子を産んだ数少ない事例の一人であり、現在も存命の唯一の女性である。ゆえに、あらゆる聖母マグナ・マテルの中で唯一、『大聖母』という特別な称号を冠されている。

 その実力は本人も、その息子も共にゲーマーに優るとも劣らぬと言われており、現在聖貴族の頂点に君臨している。そしてそうであるがゆえに、現在はムセイオンでゲーマーの子弟たちの育成に尽力していた。膨大な魔力を誇るゲーマーの子を力づくで抑えつけて言うことを聞かせることが出来るのは、彼女を置いて他にないからだ。

 そして、それだけの実力にふさわしく、メークミーはもちろん数多くの聖貴族から実の母同然に慕われている。少なくともメークミーにとってフローリアは慈母そのものだった。


 ママと同じ魔法を使う美少女…あんなに若いのに…


 どうしようもない寒さで目が覚めてしまった時はまだ薄暗い青白い光りに満たされていたはずの室内は、窓が締め切られているため今も薄暗くはあったが、それでも戸板の隙間から差し込む光の色は気付けば昼の日の色に近くなっている。何もない殺風景な部屋の中で、少しずつ色を変えていく壁を、ベッドに横たわったまま見るでもなく眺めていたメークミーの思考は、気づけばずっと堂々巡りをしていた。


 トントン


 突然戸が叩かれ、メークミーは驚いてビクッと跳ね起きた。


「な、何だ?」


 跳ね起きて扉の向こうへむかって返事をしたが、重ねていた毛布を跳ねのけ、冷たい外気に身体が晒されたことで思わずブルっと震える。昨夜、身包みを剥がされた後で一応着せてもらった貫頭衣トゥニカ一枚では寒すぎる。いや、そもそも毛布を重ねていてすら寒くて目が覚めてしまったのだ。それなのに毛布を跳ねのけてしまったのだから当然だろう。


「手洗いの水と御召おめし物を御用意いたしました。

 入ってもよろしいでしょうか?」


「う、うむ、入れ。」


 メークミーは扉の向こうから聞こえてきた女性の英語にドギマギしつつ返事をした。毛布を羽織ろうかとも思ったが、一応貴族としての体面を考えて諦めた。寒いのを我慢してベッドに腰かけたまま胸を張る。

 扉を開けて入ってきたのは普通の神官だった。立ち居振る舞いはちゃんとしてはいるが聖貴族どころか貴族ですらないのであろう、見ると顔に痘痕あばたがあり、顔つきもどこか貧相な印象だった。それを見てガッカリしたメークミーはフーッと長くため息をつきながら肩の力を抜いた。


「失礼いたします。」


 女性神官は入口から入ってすぐのところでメークミーに向かって恭しく頭を下げ、続いて配下の神官たちを招き入れる。いずれもヒトの女性神官ではあったが、二人を除き全員に顔に痘痕があった。


 この世界ヴァーチャリアでは天然痘てんねんとうは撲滅されていない。このヒトにだけ感染する疫病への対処法として《レアル》から牛痘接種法ぎゅうとうせっしゅほうは伝わっていたが、この世界では成功しなかった。代わりに人痘接種法じんとうせっしゅほうが世界中で用いられており、死亡率自体は低く抑えられているものの、病気そのものを消すことは出来ていないかったのだ。

 そして天然痘は治癒ポーションを使うことで丘疹きゅうしんの発生を抑えることが出来るため、ポーションを十分使いさえすれば治癒後に痘痕が残ることは無い。だが高価な治癒ポーションを一定期間連続投与するにはそれなりの財力が必要であり、平民や貧民にはそうした対処は出来なかった。このため、痘痕の有無は相手の身分を知る一つの指標になっていたりする。そして同時に、醜い痘痕はメークミーを含めゲーマーの血を引く聖貴族が、そうではない人間をNPCなどと呼んで見下し、毛嫌いする理由の一つにもなっていた。ゲーマーの血を引く聖貴族の多くがそうした感染症に対する耐性を持っており、彼らはそうした病気の心配すら必要なかったからだ。


 女性神官たちはおごそかな調子でメークミーの前の円卓の上に磨き抜かれた真鍮製の洗面器を置き、神官の一人が洗面器の外側から手を当てて温度を確認しながら、二つの水差しから湯気の上がるお湯と水を交互に注ぎ込んだ。

 メークミーがそれで顔を洗うと、脇から神官から布巾を差し出される。それをとって顔を拭くと、リーダーらしき女性神官が問いかけた。


御髪おぐしはいかがいたしましょうか?

 髪油は伯爵公子閣下よりお分けいただいたものが御用意できますが…」


「いや、いい。」


 痘痕面あばたづらの神官に髪を触られるのを想像したメークミーは咄嗟に断ってしまった。が、貴族としての体面を保つためには髪の毛を乱したままというわけにはいかない。

 メークミーは別の神官が掲げてくれている真鍮鏡を見て髪の毛が乱れているのを確認すると、顔を洗った後の洗面器で手を濡らしてから、手櫛てぐしで自分で髪の毛とヒゲを整える。


「御召し物はこちらに御用意いたしました。

 御着替えをお手伝いいたします。」


「いや、大丈夫だ!

 手伝いは必要ない!!」


 やはり痘痕面のNPCに手伝ってもらうことに対する反発から、咄嗟に否定してしまう。メークミーはだが手を拭きながら拒絶してから、失敗した…というような表情をした。それを見て女性神官が改めて手伝いを申し出る。


「ですが…」


「い、いや、ホントに、ホントに大丈夫だ。

 確かにいつも使用人に手伝わせていたが、旅に出るにあたって着替えくらい一人で出来るように練習したのだ。だから…だから大丈夫だ。」


 やっぱり手伝ってと言うのは恥ずかしい。メークミーは意地を優先した。

 彼が一人で着替えられるというのは間違いではない。貴族は普通、一人では着替えられないものだ。だが、彼は先ほど自分で言ったように、今回の旅に出るにあたって自分一人で自分の身の回りの世話ができるように特訓しており、実際に旅に出てからはほとんどのことを一人でやっていた。

 女性神官は大丈夫かなとは疑問に思いはしたが、当人がこうもかたくなでは、身分の差もあってそれ以上踏み込むことは出来ない。女性神官はメークミーの意思を尊重することにした。


かしこまりました。

 では、伯爵公子閣下より『朝食を御一緒にいかがですか?』とお伺いするよう承っております。御返事はいかがなさいましょうか?」

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