勇者団

テンプルム・ケレース事件の翌朝

第481話 聖女になった夜の翌朝

統一歴九十九年五月六日、朝 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 アルビオンニウムの朝は冷える。元々、アルビオンニウムはアルトリウシアよりも一か月くらい早く冬が来ると言われている。一か月は流石に言いすぎのような気がしないでもないが、東西を山で挟まれた盆地に近い地形では山から吹き下ろす寒風の影響から、冬の冷え込みはどうしても厳しいものになってしまうのだ。この世界ヴァーチャリアに正確な気温を測れる温度計は存在しないが、アルビオンニウムの冬の平均気温はおそらく山一つ隔てただけのアルトリウシアより五℃くらいは低いだろう。秋の深まりとともに急激に冷え込みの厳しさを増していくアルビオンニウムと、沖合を流れる暖流の影響で緯度の割に冬でも比較的暖かいアルトリウシアの両方を頻繁に行き来する人がいれば、たしかにアルビオンニウムの冬は一か月くらい早く到来すると感じられるのかもしれない。


 秋もかなり深まってきた南半球の五月上旬ともなれば、冬の足音もすぐ間近である。東山地オストリヒバーグの稜線に陽が昇り始める時間は一日の内で最も気温が下がる時間帯でもある。

 冷たくも清浄な空気を吸い、ルクレティアはパッと目を覚ました。


 明り取りの天窓から挿し込む外の光は、既に夜明け前の青白いものではなく、陽の昇った後の暖かさを感じさせるものになっていた。


 リュウイチに仕える聖女サクラとしての務めを果たすため、降臨以来ずっと夜明け前に起きるようにしていたルクレティアは自分がアルビオンニウムに来ていることも忘れていたため、思わずドキドキしてしまう。


 いけない、寝過ごした!?


 しかし、目を見開いて見渡した部屋の様子がマニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニの自室と違うことに気付き、ようやく自分がアルビオンニウムへ来ていたことを思い出し、安心した。


 ほぉぉ~~~~


 安堵の溜息をつくと、目の前がわずかに白くなる。そして色々と思い出してきた。


 そうだった…昨日は…


 昨夜は大変だった。盗賊団による陽動攻撃とそれに対応する軍団兵レギオナリウス、そして『勇者団ブレーブス』の襲撃。彼らはメンバーの中核であるはずのハーフエルフ自身を囮にして、こちらの全軍を…《地の精霊アース・エレメンタル》までをも引き付けておいて、背後からファドによる奇襲をしかけてきた。

 『勇者団』のファド…ただのヒトの身でありながら恐ろしい相手だった。ヴァナディーズ暗殺という目的こそ果たせなかったが、リウィウスをはじめとする武装したホブゴブリン兵を手玉に取り、ルクレティアが召喚した『鬼火』ウィル・オ・ザ・ウィスプ四体を苦も無く退しりぞけたうえ、途中から駆け付けた《地の精霊》による束縛魔法『荊の桎梏』ソーン・バインドから脱出し逃げおおせた。ヴァナディーズによれば聖貴族コンセクラトゥムではないそうだが、『勇者団』と行動を共にするだけあってのは確かだろう。


 『勇者団』が撤退した後もまた大変だった。

 おそらくファドが使役していたと思われる謎の黒い犬…アレによって負傷させられた兵士が十数人いたし、陽動のために起こされた火災による怪我人も何人かいた。盗賊団の迎撃に出た部隊にも犠牲者が多数生じてしまっていたのだ。


 神殿テンプルムの南側にいた盗賊団を追い払ったサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア第八大隊コホルス・オクタウァと南東から神殿への襲撃を試みる盗賊団を迎撃したアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軽装歩兵ウェリテスの戦闘はほぼ一方的なもので、盗賊団側が捕虜や死者を百人近く出したのに対し、こちら側は死者は無く負傷者も軽症者だけだった。

 しかし、西で起きた火災を消化しに行った二個百人隊ケントゥリアの損害は意外と大きなものとなった。《地の精霊》のにより敵が潜んでいて消火活動を妨害してくるであろうことは分かったうえで、戦闘準備を万端整えて行ったにも拘わらず、被害の発生を防げなかった。

 こちらの部隊が突入していくと側方や背後から小勢による一斉射撃や投擲爆弾グラナータの一斉投擲が行われる。そして、部隊が態勢を整えて攻撃を仕掛けてきた小勢に向けて反撃しようと突撃すると、そのタイミングで別の方向から攻撃が加えられる。それが繰り返され、部隊は出血を余儀なくされたのだった。驚くべきことに盗賊側は周到に幾重にも罠を重ねるように人を配置し、有効な遅滞防御戦術を展開して見せたのである。

 しかし、レーマ軍正規兵の身にまとっている防具は強力である。全員が着用している鎧下イァックは麻布を二十七枚重ね、その間に適度に綿を詰め込んだものだが、刀剣による斬撃に対しては十分な効力が期待でき、限定的ながら防弾性能も有していた。鎧下の上に着た鎖帷子ロリカ・ハマタと合わせれば短小銃マスケートゥムから発射される散弾や投擲爆弾の破片ぐらいならある程度防ぐことが出来る優れモノだ。短小銃から放たれたのは散弾ではなく、強力な一丸弾だったが、それでも威力をある程度減じることができ、当たり所が悪くない限り即死は防ぐことができる。

 彼らにとって幸運だったのは、今回は即死さえしなければルクレティアの治癒魔法を受けることができ、後遺症どころか傷跡も残さず完璧に治癒してもらえると言う事だった。残念ながらルクレティアのもとへ担ぎ込まれる前に落命した兵士が六人ばかりいたが、それ以外の負傷者は全員が元気に朝を迎えることが出来ている。

 そして、ルクレティアによって治癒魔法をかけられて助かった中には、昨夜捕虜となった『勇者団』の一人、メークミー・サンドウィッチも含まれていた。


 大変だったなぁ…


 昨夜遅くの出来事を思い出すと胸がドキドキしてくる。


 助けた…たくさん、助けることが出来た…


 そう、ルクレティアは多くの負傷者を治癒魔法で治癒することが出来た。それによってたくさん感謝もされた。ルクレティアは自分が子供の頃から憧れていた聖女に成れた事を、昨夜実感することができたのだ。

 リュウイチの下を離れているため、今彼女は急いで起きる必要がない。それどころか、侍女たちが起こしに来るまではむしろ寝ていなければいけないくらいだ。それなのに、目が覚めてもう昨夜の興奮が歓びと共に湧きあがって来てジッとしていられない気分になってしまう。


『起きたか、娘御むすめごよ。』


「あ、《地の精霊》様!?」


 突然、《地の精霊》から話しかけられ、ルクレティアは飛び起きた。


「お、おはようございます!《地の精霊》様!!」


 ルクレティアは目の前に浮かび上がった緑色に光る半透明の小人の方を向き、慌ててかしこまった。


「ど、どうかなさいましたか?」


『う?…うん…』


 どうも精霊エレメンタルという奴は魔力を持っていない人間に対して関心を示さない。この《地の精霊》もその通りで、ルクレティア以外とは話をしようとしないし、ルクレティアに対しても自分から積極的に話しかけようとしない。本当に必要最小限のことしか話しかけてこないのだ。その《地の精霊》が話しかけてきた…ということは、何か大事な事に違いない。


『娘御が寝ておる間に主様あるじさまから連絡があってな。』


「リュウイチ様から!?」


 ルクレティアはベッドの上で飛び上がらんばかりに驚いた。


「いったいどうやって!?」


『あ?…いや、普通に念話でだが?』


 ルクレティアが何故そこまで驚くか理解できず、《地の精霊》は首を傾げる。


「ね、念話なんてできたのですか!?

 こんな遠くなのに!?」


 ルクレティアの認識では念話とは、発せられた言葉に込められたの意味を思念から読み取るコミュニケーションの方法だったはずだ。つまり、言葉を発しなければ思念は送れず、必然的に声の届く範囲の相手としか会話は出来ないことになる。


『いや、出来るぞ?…ワシと主様は魔力で繋がっておるし…』


「そ、そうでした!…その、御見逸おみそれしました。」


 オロオロしながら間抜けな質問をしてしまった自分を恥じつつ、ルクレティアは頭を下げた。そう言えば《地の精霊》はリュウイチが召喚した精霊で、リュウイチからの魔力供給を受けて魔法を使ったりしていたのだ。ルクレティアはそれを思い出し、《地の精霊》がリュウイチと居ながらにして念話できることを初めて理解した。


 え!?…じゃあ、連絡しようと思ったらいつでも連絡できたってこと!?


『それで主様がの?』


「は、はい!?」


 パッと顔を上げ、《地の精霊》をまっすぐ見つめる。何かは分からないが、《地の精霊》はどうやらリュウイチから言伝ことづてでも授かっているに違いない。


『昨夜随分魔力を使ったので何かあったかと気にしておった。』


「うっ…」


 ルクレティアの顔から血の気が引いていく…そう言えばルクレティアもまたリュウイチから魔力を分けて貰って魔法を使っているのだ。昨夜あれだけ魔法をバンバン使ったのだからリュウイチが気づかないわけがない。


 お、怒られる?


 ルクレティアは昨夜ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムですらできないほどの大量の魔法を調子に乗って使ってしまったのだ。貧乏人が他人の金で大盤振る舞いしてしまったようなものである。


「…そ、それでリュウイチ様は何と?」


『う?…うん、ワシから事情は説明しておいた。

 主様は娘御が無事だと知って安心しておった。』


「そ、それだけですか!?」


 心配していたについての言及がなく、却って心配になったルクレティアは思わず少し大きな声を出して前のめりになって尋ねた。が、《地の精霊》は飄々ひょうひょうとした様子で動じるでもなく首を傾げる。


『それだけとは?』


「その…魔法を…使いすぎたとか、そういうお咎めは?」


『無いぞ、娘御が魔法をたくさん使って敵を追い払い、怪我人を治したと言ったら喜んでおった。「励め」と言っておった。』


「そ、そうですか…よかった…」


 ルクレティアは《地の精霊》の答えに、どこか拍子抜けしたように浮かせかけていた腰をストンと落とした。


 怒られるかと思ったけど、怒られなかった…でも、「励め」って…その通りに受け取って良いのかしら?


 貴族同士の会話だとたまに言葉の意味が字面と異なることがある。貴族同士の会話では常に言葉を裏読みすることを求められる。それに慣れすぎてしまっていたルクレティアは、特に自分の落ち度を自覚している時は言葉を素直に受け止めることができなかったし、即座に安心することができなかった。精霊の念話では言葉に裏の意味を持たせることなど出来ないのだが、精霊との念話に慣れていないルクレティアが精霊の言葉を素直に受け止められるようになるのは、もう少し後になってからのことである。

 拍子抜けしたルクレティアに対し、《地の精霊》は言葉をつづけた。


『それと、盗賊どもを討伐するために、アルトリウシアから援軍が出発したからと言っておった。』

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