第378話 放たれた猟犬

統一歴九十九年五月五日、未明 - ブルクトアドルフ/アルビオンニウム



 先行したシュテファン・ツヴァイクの騎馬隊を追いかけ、第三中継基地スタティオ・テルティアからライムント街道の下り坂を駆け下りてきたセルウィウス・カウデクス率いる軽装歩兵ウェリテス百人隊ケントゥリアはブルグトアドルフの手前で一旦停止した。


「あいつ、いったいどこへ行ったんだ!?」


 セルウィウスの目の前には路上に投げ捨てられた松明たいまつが一本燃えている。

 セルウィウスの軽装歩兵ウェリテスたちが集結する前に飛び出して行ってしまったシュテファンは松明を掲げ、馬の割にはゆっくりした歩調でセルウィウスたちの前方を進んでいた。そしてブルクトアドルフの手前で一旦停止したのでてっきりセルウィウスたちを待ってくれているのだと思っていた。だが、セルウィウスたちが追い付く前に、シュテファンはブルクトアドルフへ突入していってしまった。誰か一人に松明を託して・・・おそらくそれは伝令か、あるいは土地勘のないセルウィウスたちのために用意した案内役かなんかだったのだろう。だが、その人物はシュテファンたちが突入するのを見送った後、セルウィウスたちが駆け付ける前に松明を放り捨ててどこかへ消えてしまった。


「家に帰っちまったんじゃないですかね?」


 セルウィウス直属の連絡将校テッセラリウスが息を弾ませながら、セルウィウスが誰に問うでもなく漏らした疑問に答える。


「家?」


「ええ、たしか…町から逃げてきたっていう通報者、あれ皮なめし職人コリアーリウスだって言ってたからから、町から離れたところに住んでるんでしょ。」


 皮なめし作業には大量の犬の糞や消石灰を使うため、皮なめし工房は悪臭被害を避けるため町から離れたところに建てられる。警察消防隊ウィギレスを呼ぶという役目を終えた皮なめし職人コリアーリウスが、家の被害を心配して町から離れた自宅へ戻る…考えられない事ではなかった。


「だが、それなら何で松明を持って行かないんだ?」


 セルウィウスは足元に転がる松明を拾い上げ、部下たちを振り返りながら問いかける。だが、その疑問にまともに答えられるものは居なかった。


「さあ…目立つから?」

「月が明るいから、松明無くても見えねぇこた無ぇもんな。」

「邪魔だった?」


 部下たちは口々に適当な答えを言ってみるが、どれ一つとして納得のいくものはなかった。セルウィウスはわけがわからんとでも言うように眉を上げ、顔をしかめて手に持った松明を見る。


 ピィィィーーーーーーッ!!


 その時、町の方から甲高い笛の音が聞こえた。


「「「「!?」」」」


 セルウィウスたちは一斉に町の方へ視線を向けて身構える。すると遠くで怒号とも喊声かんせいともつかぬ雄叫びのようなものが聞こえ、次いで馬のいななきが続く。


「何だ?」


 町の真ん中…右へカーブするライムント街道の曲がった先で大きな火が燃えているらしく、街道の左側の並んだ建物が右から降り注ぐ光でわずかにオレンジ色に照らされている。その光が作り出す影がわずかに揺らめき、やがて…


バンッ!ババババン!バンッ!バンッ!


 夜の静寂には不釣り合いな爆発音が連続して鳴り響いた。馬の嘶き声、悲鳴と怒号、そして歓声が続いて聞こえる。


「ケ、百人隊長ケントゥリオ、今の音!?」

「あの音はまさか!?」

「バカな」

投擲爆弾グラナータ!?」

「なんてこった」

投擲爆弾グラナータだったよな、あの音!?」


 投擲爆弾グラナートゥムの爆発音と短小銃マスケータの発砲音とは明らかに違う。本職の軍団兵レギオナリウスである彼らが聞き間違えるわけがない。

 だが、投擲爆弾グラナートゥムなんてものは民間で使うようなものではない。当然だが、治安維持を担う警察消防隊ウィギレスも持っていないし、地域を治める郷士ドゥーチェにも支給されていない。少なくともここアルビオンニアで持っているのは辺境軍リミタネイであるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの二つの軍団レギオークプファーハーフェン歩兵隊コホルス・クプファーハーフェンのみである。あと、アルビオンニアやアルトリウシアに来ているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアも持ってはいるが、彼らがここブルクトアドルフに来ているわけがない。

 他に投擲爆弾グラナートゥムを持っている可能性のある存在…それは今日の昼、中継基地スタティオを襲って武器を奪った盗賊たちに間違いなかった。

 セルウィウスは振り返って命令する。


「行くぞ!第四から第六までの十人隊コントゥベルニウムは町の右から、第七から第九までの十人隊コントゥベルニウムは町の左から回り込め!

 他は街道沿いに進むぞ!

 多分、家の中に賊が潜んでいる!全部狩り出せ!!小さい町だ!我々だけでも人数は十分だろう。

 敵は投擲爆弾グラナータを持っている!短小銃マスケータだって持ってるかもしれん。賊だと思うな!敵だと思え!

 今から弾を込めろ!見つけたら容赦なく撃て!」


「でも百人隊長ケントゥリオ!もし住民だったら…」


「住民は集められて縛られてるって話だから大丈夫だ!

 一応声はかけても良いが、住民を名乗ったとしても油断するな。

 賊が住民に成りすまして逃げようとしているかもしれん。

 ぶん殴って気絶させとけ!

 今、この町で自由に動けてる奴は全員敵だ!かかれ!!」



 この世界ヴァーチャリアの歩兵の戦い方は基本的に戦列歩兵せんれつほへい戦術を採っている。銃を持った歩兵が横隊を組んで一斉射撃をする戦法だ。

 戦列歩兵は銃弾を浴びて歩兵がたおされるのは前提としている非情な戦術であり、味方兵が斃されたことで空いた穴にはすぐに次の歩兵が入り込んで埋める。一発の砲弾で大きな穴が開かないよう、ある程度兵士同士の間隔を保つことが重要であり、そして被弾し犠牲者を出しながらも緊密な集団行動をとり続けることが求められる。

 しかし、レーマ軍の場合は銃砲弾を急減速させる魔法効果を付与された大盾スクトゥムを装備しているため、《レアル》近世で見られた戦列歩兵戦術とは若干異なり、最前列に大盾スクトゥムを持った歩兵が壁になって立ちはだかる。銃弾や砲弾は大盾スクトゥムによって防ぐことが出来るため、むしろ大盾スクトゥムによる防御の隙間を作らないように兵士の間隔は狭い、ファランクスほど密集しているわけではないが、横の兵士との間隔は一ピルム(約一・九メートル)に満たないくらいである。


 ただ、どちらにしても言えることはどれだけ正確な隊形を保つかが戦力発揮の肝であり、そうであるがゆえに機動力でどうしても劣ってしまう。身軽な盗賊を追いかけるのは、陣形を保ちながらでは無理なのだ。

 

 が、それはレーマ軍の重装歩兵ホプロマクスの話だ。どれだけ優れた攻撃力を発揮できようと、どれだけ優れた防御力を持とうと、機動力の劣った戦列歩兵は機動力に優れた敵の前に翻弄されてしまう運命にある。ゆえに、攻撃力や防御力にあえて目をつむって機動力を優先した戦力が必要になる。その代表例が騎兵エクィテスだ。だが騎兵エクィテスは維持するだけでも金がかかる上に、馬を乗りこなせるようになるには長い年月をかけて修練を重ねる必要があり、戦力を拡充するだけでも大変である。おまけに戦場では目立ちすぎ、鉄砲が普及した世界では活躍できる場面が限られる。


 そこで登場するのが軽装歩兵ウェリテスだった。陣形をつくらず、少人数ごとにバラバラに散って遊撃的に戦う軽装歩兵ウェリテスは、戦列歩兵と戦場でまともに正面からぶつかればほぼ確実に負けてしまう。だが、戦列歩兵同士が戦っている脇からチョコチョコと嫌がらせのように攻撃し、敵戦列歩兵の陣形運動を乱し、隊列を崩すには有効な戦力だった。

 そして少人数ごとに分かれて戦う散兵戦術さんぺいせんじゅつを基本とする軽装歩兵ウェリテスは、今回の様な盗賊討伐を最も得意とする兵科でもあった。


 セルウィウスが率いてきたのはその軽装歩兵ウェリテス一個百人隊長ケントゥリオである。八人からなる十人隊コントゥベルニウム短小銃マスケートゥムを装備した四人の銃兵と、円盾パルマ投槍ピルムを装備した白兵四人とで編成されており、戦場では十人隊コントゥベルニウムごとに遊撃戦を展開する。

 通常、百人隊ケントゥリアは十個の十人隊コントゥベルニウムから成るが、セルウィウスの隊はネロたちの十人隊コントゥベルニウムが強制除隊になったまま補充されていないので九個の十人隊コントゥベルニウムで編成されていた。それが三隊ずつに分かれ、一斉にブルグトアドルフへ潜り込んでいく。

 軍と同じ武器を持っていると言っても所詮は盗賊アマチュア本職プロとまともにやりあえるわけがない。冷たい月光に照らされた夜の町で、まさに一方的な狩りが始まろうとしていた。

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