第1206話 グルグリウス着任

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



「それで、何でお前がここにいる?」


 朝食を終え、あがわれた自室へ戻ったペイトウィンは、そこで待っていたグルグリウスの姿に不機嫌な態度を露わにした。


「おや、カエソー伯爵公子閣下からお聞きではありませんでしたかな?

 吾輩わがはいが貴方様の御面倒を見ることになったのですよ。」


 薄暗い室内の中でも目立つ明るいグレーのジャケットと真っ白なズボン、真っ白なシャツと輝くような銀のベストに身を包み、人間とは思えぬ明灰色の肌と赤く光る目を持つ長身巨躯ちょうしんきょくの偉丈夫は、まるで名誉ある役目を担っているのだと誇るように胸を張った。

 含み笑いの浮かんだグルグリウスの顔を忌々しげに睨んだペイトウィンはケッと舌打ちすると、プイッと身体ごと向きを変え、その先にある寝椅子クビレに向かってズカズカと歩き始める。


「聞いてるさ。

 俺が訊いたのはそのことじゃない。

 今まで何をしていた?」


 苛立ちも露わに言うと、ペイトウィンはドッカと寝椅子の真ん中に腰を下ろし、腕組みして背中を背もたれに預けた。


「何をとは?」


 とぼけているのか本当に困惑しているのかよく分からないグルグリウスの問いにペイトウィンはフンッと鼻を鳴らすと右足を大きく上げて左膝に乗せ、脚を組む。


「お前が俺の世話を任されたのはいつだ!?

 昨日の事だろ!

 ならすぐに挨拶に来なきゃだろ。

 なのに今までどこをほっつき歩いてた!?」


 ペイトウィンが偉そうに説教をしながら組んで浮いた右足をフラフラと揺らすのを見ていたグルグリウスはスンッと小さく鼻を鳴らした。


「まぁ吾輩わがはいもすべきことが色々ありまして……」


「だーかーらっ!

 その色々って何してたんだよ!?

 俺の世話を命じられたくせに俺を放置して、お前は仕事をする気があるのか!?」


 グルグリウスは驚いたように両眉をあげた。


「おや、吾輩わがはいが居ないことで何か困ることでもありましたか?」


 キッとグルグリウスを睨んだペイトウィンはギリッと歯を食いしばり、組んだ脚を解いて両足で踏ん張るように前屈みになって叫ぶ。


「ない!!

 あってたまるか!!!」


「……なら良いではありませんか?」


 呆れた様子を隠そうともしないグルグリウスにペイトウィンはチッと小さく舌打ちし、再び背もたれに背を預ける。


「そういう問題じゃないだろ!」


「ではどういう問題なのです?」


 グルグリウスはペイトウィンが座る寝椅子の対面に置かれた椅子の後ろまで歩いて来て尋ねた。

 ペイトウィンは先に椅子に座ることで自分の方が立場が上だと見せつけた。そして自分の方が立場が上だと感じられるよう、座ったまま上体をらせてグルグリウスを見下ろせるようにしていた。が、グルグリウスが応接セットのすぐ向こう側まで近づいてきたことでそれも難しくなる。寝椅子に座ったペイトウィンが二メートルほど先に立つ長身のグルグリウスをためには、かなり仰け反らねばならない。もう顔を真上に向けねばならぬほどだ。ペイトウィンは再び右足を高く上げて脚を組んだ。組んで浮いた右足のつま先が再びピクピクと振れ始める。


「俺の世話をする責任者になったのだろう?

 なのに俺をほったらかして、俺に何かあったらどうする!?」


「何か?

 何があるというのです?」


 グルグリウスはあからさまに顔を顰めた。突拍子もないことを言われて理解できないといった様子だ。


「貴方様の怪我はもう魔法で治しました。

 健康そのものです。

 そもそも魔力の高いハーフエルフだから病気にもならない。

 この周囲はレーマ軍が警備し、賊の侵入する隙もありはしません。

 部屋も神官たちが整えたばかりだから瑕疵かしなんてないでしょう?

 この状況で貴方様のいったい何を心配しろと?」


 ペイトウィンは忌々し気に口をへの字にし、右足の貧乏ゆすりの速度を倍加させて低く唸ると脚を組むのを止め、右足でダンッと床を鳴らした。


「お、俺の気が変わってだっ、脱走とか試みたらどうするんだ!?

 俺は魔導具マジック・アイテムや武器が無くったって、レーマ軍を蹴散けちらすくらい出来るんだぞ!」


 グルグリウスはヤレヤレとばかりに首を振って溜息をつく。


「そうなる前に貴方様は《地の精霊アース・エレメンタル》様に取り押さえられてしまうことでしょう。」


「グッ……」


 ペイトウィンは言葉を失うと、グルグリウスから視線を外して何もない床を睨みながら歯噛みする。そしてしばらくしてフンッと鼻を鳴らし、再び背もたれに上体を預けて脚を組んだ。


「で、お前は昨夜俺と別れてから今まで何をしてたんだ?」


 今度は何を言うつもりですかな?……グルグリウスは目の前で椅子にふんぞり返るペイトウィンを片眉を持ち上げたまましばらく見下ろすと、ペイトウィンが待ちきれなくなる直前になってようやく答えた。


「散歩です。」


「散歩だとぉ?」


 ペイトウィンは耳を疑った。気づけば貧乏ゆすりも止まっている。


「砦の周囲の地形を確認していたのですよ。

 吾輩わがはいが人目を避けて空を飛びまわれるのは、夜の間だけですのでね。」


「何でそんなことをする!?

 それが俺の傍に控えているより大事なことだったのか?」


 組んだ脚を解き、再び前のめりになったペイトウィンの顔はまるで薄笑いでも浮かべているかのように奇妙に引きつっていた。グルグリウスはペイトウィンが時折浮かべる奇妙な表情が、実は別に何かが可笑しくて笑っているわけではないらしいことに気づき始めていた。が、その心情について察するには至らない。ゆえに、おそらく自分の役目を放置して散歩へ出かけてしまったグルグリウスの落ち度を見つけ、そこを追及してやろうとほくそ笑んでいるのだろうと予想し、逆に手痛いしっぺ返しを食らわせてやろうと意地悪く笑って言った。


「貴方様が逃げ出しても、すぐに見つけられるようにするためですよ、ペイトウィン・ホエールキング二世様?」


 ついさっき、グルグリウスは逃げても《地の精霊》が居るから逃げられっこないと指摘したばかりだ。それなのにペイトウィンが逃げ出した場合に備えて周囲の地形を確認していたなど、嫌味以外の何物でもない。


 コイツ……


 ペイトウィンは頬を引きつらせ、口角を捻り上げる。ニィッと笑ったように見えるその表情は、実際に笑っているわけではない。


 ペイトウィンは上下関係でしか人間関係を計れない。だから少しでも相手より優位に立とうとする。相手より優位にならなければ安心できないからだ。だからこの部屋でグルグリウスと再会した時、少しでもグルグリウスより優位に立とうとグルグリウスに難癖をつけた。グルグリウスの落ち度を指摘し、グルグリウスに引け目を感じさせることで少しでも自分の立場を優位にしようと試みた。が、その試みは結局全て空振りに終わってしまった。

 しかも、「俺が脱走したらどうするつもりだ」と責めておきながら、逃げてもすぐに捕まえられるように地形を確認していたなどと返されたら、ペイトウィンとしてはそれ以上何も言えない。《地の精霊》が居るから逃げられっこないのに、グルグリウスはペイトウィンが逃げ出すことに備えていたなどとなれば、それはグルグリウスの落ち度どころの話ではないのだ。


 ペイトウィンは再び脚を組み、そっぽを向いて貧乏ゆすりも再開した。


「それでっ!

 この後はどうなっているのだ?

 今後の予定だ、知ってるんだろう!?」


 不利を悟ったらとっとと方針転換してしまうのはペイトウィンの特性の一つだ。潔いといえば潔いかもしれない。ただ、素直に負けを認めないから周囲は彼を意地っ張りで気まぐれだとしか評価してくれない。グルグリウスは小さくため息をついた。


「お昼ごろからカエソー伯爵公子閣下が貴方様を御取り調べになられます。

 それまでは特にありません。

 外に出なければ御自由にしていただいてかまいません。

 御取り調べの前にお昼をいただきたければご用意いたしましょう。

 何かご注文はございますかな?」


 そう言われたペイトウィンの貧乏ゆすりがピタリと止まる。そしてしばしの沈黙のあと、ペイトウィンは何かを思い出したようにポツリと言った。


「ナイスとメークミー……」


「……は?」


 ペイトウィンは脚を組むのをやめ、グルグリウスに向き直る。


「『は?』じゃない!

 ナイスとメークミーだ、会えないか?」


「ナイスとメークミーと言われましても……」


 グルグリウスは二人のことを知らないので何のことだか分からない。


「とぼけるな!

 ナイス・ジェークとメークミー・サンドウィッチ……俺より先に捕虜になった『勇者団』ブレーブスのメンバーだ!

 居るんだろう!?

 この敷地に居るはずだ、魔力を感じるから間違いないぞ!」


「お待ちください」


 先ほどまでにない勢いにグルグリウスは思わず両手をかざしてペイトウィンを押しとどめた。


吾輩わがはいはその二人のことを存じ上げません。

 ゆえに、吾輩わがはいには何とも申せません。」


 ペイトウィンは腕組みした両手をギュッと握りしめた。


「それに貴方様をこの部屋からお出しすることはできません。

 それはおそらく、その御二人も同じでしょう。

 同じ捕虜だというのなら、扱いも同じでしょうから……

 いずれにせよ、カエソー伯爵公子閣下に直接お訪ねすると良いでしょう。」


 チッ……ペイトウィンは不満げに舌打ちすると、再びそっぽを向いた。

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