峠を目指す者たち
第1207話 遅延
統一歴九十九年五月十一日、早朝 ‐ シュバルツゼーブルグ近郊/シュバルツゼーブルグ
刺す様に冷たいくせに妙に空気が湿っているように感じるのは、先ほどまで立ち込めていた濃密な朝霧のせいだ。ありとあらゆるものが白っぽく染めていた霜は朝日を浴びて急速に溶け、景色は徐々に元の色を取り戻しつつある。
昨夕の仮眠の後、ブルグトアドルフ近郊の山荘を発ったティフ・ブルーボール率いる
何でこんなに遅くなってしまっているのか……理由は馬の体力の限界と、彼らが道に迷ったせいだ。
これまで彼らは馬を酷使し続けて来た。魔法で強化したり回復したりしてやれば、普通の馬だって結構な無理が効く。が、昨日まで無理させ続けて来た馬たちはティフたちの魔力を浴び続けた結果、
魔獣化は何も悪いことばかりではない。野生動物が魔獣化すると人間を襲う危険な存在になってしまうが、事前に飼いならされた家畜を魔獣化した場合は非常に強力な労働力となることもあるからだ。戦前は調教済みの馬を意図的に魔獣化させ、バトルホースとかウォーホースと呼ばれる軍用馬として戦場に投入するのが流行ったこともある。
バトルホースは通常の馬より一回りも二回りも馬体が大きく、力もスタミナもあり、それでいて通常の物理攻撃が通りにくい強靭な肉体を持ち、裸馬でもひとたび暴れ始めれば完全装備の重装歩兵を蹴散らしてしまうほどの存在だった。戦時中、バトルホースを駆る騎士が戦列歩兵に向けて突撃を慣行、マスケット銃の一斉射撃を浴びて騎手騎馬共に被弾し騎手が死亡。死亡した騎士はその場で落馬してしまったにもかかわらず馬だけが突進を継続、戦列歩兵の眼前まで迫ったバトルホースは二度目の一斉射撃でようやく突進を止め、最後に槍でとどめを刺されたという逸話も残っている。そのバトルホースは全身に数十発の弾丸を受けて突進を止めた後、血まみれのままヨロヨロと振り落としてしまった主人の元へ戻り、主人の亡骸に鼻を寄せて臭いを嗅いで悲し気に鳴いたという美談が語られることもあるが、真偽のほどは定かではない。
そうした出どころの怪しい美談も手伝ってか、騎士や騎兵に限らず王侯貴族の間でバトルホースは
馬は元々
これが魔獣化したバトルホースとなるとさらに大変だ。魔獣化した動物は魔力をエネルギー源とするが、ただでさえ巨大な馬体を維持し、なおかつ通常の馬を遥かに凌駕する体力を発揮する以上、それだけ膨大なエネルギーを必要とするのだ。
テイム契約によって誰かと主従関係を持ったバトルホースなら主人から魔力供給を受けることで
そうならないためにも十分な餌を与えねばならない。マナ・ポーションを与えることが出来ればそれが一番簡単なのだが、マナ・ポーションはただでさえそれなりに高価なのに、大量に調合できるゲイマーが居なくなってしまった戦後は希少でそもそも手に入らない。かといって飼料では通常の馬の数倍を要するうえに、仕事量によっては栄養価の高い穀物を与えても間に合わないことがある。時に肉を与えて不足分を補わねばならないこと出てくるが、バトルホースは肉を与え続けると狂暴化するとも言われており話は簡単ではない。
もとより膨大な魔力を誇る聖貴族の『勇者団』ならば、バトルホースを一頭テイムしたからといって魔力欠乏に陥る心配はない。が、馬に常に魔力を消費され続けられてはイザという時に魔力が不足して戦力を発揮できなくなる可能性もあるため、安易にバトルホースをテイムするわけにはいかない。モンスター・テイマーのペトミー・フーマンならば
こうした理由から馬たちの魔獣化は避けねばならなかった。魔獣化しそうになった馬は山荘で交換したとはいえ、馬たちが予想より短い期間で魔獣化寸前になってしまったことを考えれば今までのように容赦なく支援魔法や回復魔法をかけて馬を酷使しつづけるのは控えた方がいいだろう。
モンスター・テイマーのペトミーが居ない状況では再び馬が魔獣化しそうになっても気づけないかもしれなかったし、魔法使いのソファーキング・エディブルスが一昨日から支援魔法や回復魔法をひっきりなしに使い続けたせいで魔力の回復が間に合わないと言い出したことから、ティフ達は馬を魔法で強化するのを控えていた。おかげで今までのような速度は出せなくなってしまっている。
そして彼らは道に迷ってしまった。いや、迷ったという表現は正確ではないかもしれない。
昨日、グナエウス峠からブルグトアドルフの山荘まで来るのに彼らは森の中の間道を通った。昼間、人通りが少なくなっているとはいえライムント街道を通るのは目立ちすぎる。まして彼らは魔獣化寸前の馬を連れていて、馬に乗って移動することが出来なかったから、人目を避けねばならなかったからだ。
だが夜中なら街道を通っても目立たないだろう。交換した馬は乗って走らせても問題はないから、街道を進んでもしレーマ軍のパトロールに見つかっても逃げることができるはずだ。ただでさえ見通しの利かない森の中の間道を夜中に強行する必要は無いだろう。
そこで彼らは山荘からひとまずライムント街道を目指したわけだが、途中の間道が塞がっていたのだ。森の真ん中で道路が大きく盛り上がり、馬では到底乗り越えられないような土塁が作られていた。
それは一昨日の夜、ペイトウィン・ホエールキングを負うグルグリウスが逃げ道を塞ぐために作った魔法
土塁は道を塞いではいたが、道路を外れて森へ分け入って回り込めば避けられないわけではない。しかし、土塁に残されていたかすかな魔力の残り香のようなモノから地属性の高位の
その道を通ればライムント街道へ出てそのままグナエウス街道の方へ進むことも出来たはずだったが、回り道を余儀なくされたティフ達は結局森の中の間道を進むこととなる。魔法で強化してない馬で森の中ではさすがに速度は通常よりもずっと遅いものにならざるを得ず、しかも朝が近づくにつれ濃密な霧が立ち込め始め、視界は完全にふさがれて身動きが取れなくなってしまった。
知ってる道とはいえ視界が数メートルほどしかない霧の中では安易に動くことなど出来ない。暗視魔法を使えば暗闇は見通せるが、さすがに霧までは見通せないのだ。無理に進めば味方とはぐれてしまうことだって考えられるだろう。
結局彼らは森の中で馬を降り、霧が晴れるまで待つほかなかった。寒さと湿気で仮眠をとるのもままならず、山荘の盗賊たちから巻き上げて来た固焼きパンで早めの朝食にしたのだが、ビスケット並みに堅いパンの不味さは、彼らの意気を消沈させるには十分だったかもしれない。
「結局こんなところまで来ちまった……」
もっと早くライムント街道へ出るつもりだったのに、既にシュバルツゼーブルグは目と鼻の先である。
なんか……上手くいってねぇな……
ここのところ、することなすこと全て上手くいっていない気がする。昨日、グナエウス街道から見下ろしたのと同じ鮮やかすぎるシュバルツゼーブルグの街並みがやけに虚しく見えるのは、多分霧に濡れながら食べた固焼きパンがクソ不味かったせいだ。
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