第555話 森に迷い込んだ盗賊

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



「あ、あれ!?」

「なっ、何だ!?」

「真っ暗だ…」

「え!?…何かあったか?」

「何かって?」

「旦那、どこです?」

「ここだ、見えるか?」

「見えねぇ…何も見えねぇ…」

「声からすると、こっちか?」

「お、おい!ドコ触ってんだよ!?」

「ああっ、済まん!そんな近くにいるとは…」

「何でこんなに暗いんだ?」

「えっと、エンテっつったっけか?」

「ああ、ここだ。ここにいるぞ?」

「見えねぇ…クソッ、何でこんなに暗いんだ?」

「今日は月が出ていたはずだ…星だって…」

「星が一つも見えねぇぞ?」

「街の明かりもだ…火事になってたはずなのに、全然見えねぇ」

「繁みを抜けただけで何でこんなに暗くなるんだ?」

「わからねぇ…お、あれ?…これお前か?」

「あ?」

「何か居るのか?」

「…いや、人かと思ったら木だった」

「しっかりしろ、俺はこっちだ。」

「俺はここ…」

「クソ、すぐ近くにいるはずなのに…てか、自分の手さえ見えねぇ…」

「なあ、火ぃ点けるか?」

「点けられるのかよ!?」

「マッチくらい持ってるぜ?

 りんマッチじゃなくて、硫黄いおうマッチだけど…」

「よせ!森の外に兵隊がいたら見つかっちまうぜ」

「でもこんなに暗いんじゃ移動もままならないぜ、クレーエの旦那?」

「クソっ、あんまやりたくねぇがちょっと手ぇ伸ばせ。

 お互い手を繋ぐんだ。」

「マジかよ…」

「しょうがねぇじゃねぇかエンテさんよ、ほらアンタも手ぇ出しな。

 ああ…いたっ!これ、クレーエの旦那かい?」

「ああ、この手はレルヒェだな?」

「うん、そうだ…あ、ちょっと待って、銃が落ちそうだ…ヨイショっと…

 旦那、もっぺん手ぇ伸ばしてくれ」

「大丈夫か?」

「ああ、見つけた…これが、クレーエの旦那だな?」

「エンテさんよ、アンタどこだい?」

「お、俺はこっちだ…クレーエの旦那、どこだい?」

「お、おいっ!それは俺だよ!」

「ああ!?えっと、じゃあコッチか?」

「逆だ、ほら、えっと…こっち…」

「ああっ…悪いな…えっと、これがクレーエの旦那?」

「そうだ、これがエンテか?」

「ああ…で、どうするんだい?」

「どうするって言われてもなぁ…とりあえずお互いの確認をしただけで…」

「もういいかい?野郎同士で手ぇなんか結んでたかねぇや」

「もうちょっとこっち来い、お互いの位置が感覚で分かる程度に集まれ…手を放すのはそれからだ。」

「分かった…っと…これでいいかい?」

「なんか、足元に木の根っこがあるな…ちょっとここ足場が悪いんだ。

 どこかイイとこないか?」

「そうは言っても…何も見えねぇからなぁ…」

「こっちは駄目だぜ…なんか、でっかい大木が生えてらぁ…」

「この森にそんな大木なんか生えてたかぁ?」

「そう言われてもあるもんはしょうがねぇじゃねぇか…そっちはどうだい?」

「待ってろよ?

 こっちは…こっちもなんか、木の根っこがあるな…結構太いや」

「クソッ、どうなってやがるんだ?

 えっと、こっちは行けそうだ…このままゆっくり…手ぇ放すなよ?」

「ああ、ちょっと待ってくれ…足元に木の根っこが…」

「慌てなくていい、ゆっくりだ…」

「え?…これ木の根っこか?」

「多分、お前さんの言ってる奴、俺の後ろに生えてる大木の根っこだわ。

 丸太みたいだろ?」

「岩じゃなくて?こんなの生えてたか?」

「知らねぇよ、俺ぁこの辺の土地勘はねぇんだ…」

「言い争ってないで早くしろよ。」

「ちょっと待って…ヨイショっと…あれ?」

「おい、お前の脚が俺に当たってるよ!」

「ああ、済まない…えっと、じゃあコッチ向きで…」

「クソッ、ホントに何も見えねえな…」

「目ぇ開いてるのに何も見えねぇ…目が潰れっちまうとこんな風なのかね?」

「知るかよ…よし、やっぱりこっちは少し広いみたいだな…」

「ええ~…じゃあ、手ぇ放していいか?」

「ああ、えっと、その場に座ろうか?」

「なあ、やっぱり火ぃ点けねぇか?

 いくら何でも見えなさすぎらぁ…」

「マッチはあるとしてになるようなもん、あるのかよ?

 硫黄マッチなんだろう?」

「ああ、タバコがある。紙巻きタバコ…」

「何でそんなもん持ってんだよ?」

「さっき、街でたんだ…店だったみたいでさ…あ、あれ!?」

「どうしたんだよ?」

「いや…あ、あった…点けていいか?」

「ああ、こんなに暗くて街の明かりも見えねぇ…

 てことは、こっちで明かりをつけても街から見られるこたぁねえだろ…」

「ありがてぇや」

「なあ、タバコ…俺にもくれよ…」

「火ぃ点けてからにしてくれよレルヒェの旦那」

「俺に“旦那”は要らねぇよ、レルヒェって呼んでくれ」

「火ぃ点けるのはいいけど、すぐに消せるようにしてくれよ?」

「分かってる…俺だって捕まりたかねぇや」

「タバコがじゃ勿体ねぇや、何か落ち葉とかねぇのかよ?」

「こっちは…なんか苔ばっかりだなぁ…あ、コレは落ち葉かな?」


 南から突然襲来したアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの隙を突き、ブルグトアドルフの街を脱出して南の森へ駆けこんだ盗賊三人は、森の外縁を囲む繁みを突き抜けた途端に別世界へ突入してしまったようだった。日が沈んだ後も夜を明るく照らしていたはずの月や星は唐突に輝きを失い、今や文字通り一寸先は闇である。目は開いているし見えている筈なのに、顔のすぐ前に持ってきた自分の手が見えない。盗賊たちは三人ともランツクネヒト族で肌が黒いが、もちろんそれは理由ではない。本当に光が無い真の暗闇…彼ら自身、それほどまでの漆黒の闇を経験したのは初めてのことだった。

 三人は先述のような会話を経て互いに手を握り合い、ひとまず手探り足探りで開けた場所に来ると地面に腰を下ろした。そして、エンテがブルグトアドルフの街から盗んできた煙草で一息つくべく、手探りで火を起こし始める。ゴソゴソと小さな音を立てながらエンテが硫黄マッチを取り出している間に、クレーエとレルヒェは手探りで自分の近くの落ち葉や枯れ枝などを集め始めた。


 硫黄マッチというのは一般に知られているりんを用いたマッチが登場する前に主流だった原始的なマッチである。木の棒の先に硫黄を塗り付けただけのもので、もちろんこすっても発火しない。硫黄マッチだけでは火を起こすことはできないのだ。

 じゃあどうするのかというと火打石ひうちいしを使うのである。火打石を火打金ひうちがねに叩きつけて火花を発生させ、その火花を火口ほくちと呼ばれる襤褸切ぼろきれなどに受けて火種ひだねを用意する。そしてそのわずか数秒で消えてしまうような小さな火種に硫黄マッチを押し付けると、マッチ棒の先端に付けられた硫黄が燃え始めるという代物だった。

 この世界には燐マッチが既に普及していたが、硫黄マッチもまだすたれてはいなかった。理由は単純に値段である。燐マッチが高価というわけではないが、硫黄マッチの方が安いのは間違いない。そしてマッチに使われる燐の品質が安定せず、湿気の多い地域では湿気しけって使えないことも多かったし、また自然発火してしまう事故もあるなど燐マッチの信頼性が高くないのも硫黄マッチが廃れず使い続けられている理由だった。


「よし、行くぞ?」


 手探りで火口箱ほくちばこから道具一式を取り出し、胡坐あぐらをかいた膝の上に火口を広げたエンテは一言そういうと、火打石やら火打金を打ち付けた。カチッカチッと二度三度と火花を起こすと、その内火口に小さな火種が出来る。エンテは火種に気付くと火打石を持っていた手の指に挟み込むように持っていた硫黄マッチを急いで近づけた。


「「「おお~…」」」


 硫黄マッチに引火し、ポオッと火が燃え上がると三人は一斉にため息をつく。


「おい、焚きつけ焚きつけ!」

「おおっ!こっちだ、ここっ、ここっ」


 手に持ったマッチ棒が燃え尽きる前に火を移せるものをエンテが要求すると、クレーエとレルヒェは揃って両手にかき集めていた落ち葉や枯れ枝を目の前に積み上げた。そしてそこにエンテがマッチを突っ込んで火を移すと、三人で仰いだり息を吹きかけたりして火を少しずつ大きくしていく。


「ふぅ~…ようやく点いたな…」

「ああ…あ~~~っ、灯りっていいなぁ」

「それよりもタバコくれよ。」

「ああ、ちょっと待ってくれ…」


 人心地ひとごこちつくとレルヒェはさっそくエンテに煙草を要求し、エンテはポーチから盗んできた紙巻き煙草を取り出し、用意を始める。この世界ヴァーチャリアの紙巻き煙草は基本的に手巻き煙草だ。最初から巻かれた状態で売られている紙巻き煙草など一部にしか存在せず、自分で煙草の葉を紙で巻かねばならない。

 煙草セットから紙を取り出して広げ、その上に煙草の葉を筋状に置くと、その紙で煙草の葉を巻いていく。最後に筒状に巻いた紙がほどけないように舌先を使って紙を唾液で湿らせて張り付け、巻いた紙煙草の一端を潰して吸い口にし、もう一端に火をつけると完成だ。エンテは自分の煙草に火を点けると、隣で舌なめずりしながら待っているレルヒェに煙草セットを預けた。レルヒェは待ってましたとばかりに紙を一枚取り出して広げ、同じように煙草の準備を始める。

 エンテとレルヒェが煙草の準備をしている間、クレーエは一人、焚火たきびの明かりに照らされた周囲の様子を見回していた。


「…なあ、ここってこんな森だったか?」


 目に映るのはまるで自分が巨人の世界にでも紛れ込んだのではないかと疑いたくなるほどの巨木が生い茂った、見たことも無い森だった。

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