第556話 二人の別離
統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム
アイジェク・ドージ【Aijeke dauge】…『
矢を撃ち出す力は注ぎ込んだ魔力に比例していくらでも上げることができるうえ、
その性能はヴァーチャリア世界の戦場の主役となった火砲にも決して劣ることはない。むしろ、射程、威力、命中精度、速射性、機動性、そして汎用性において絶対的な優位を保っていると言っていいだろう。ただし、それは魔力がありさえすればの話だ。
「クソォッ!クソクソクソクソォーッ!!
エイー、走れ!いそげぇ!!」
後ろから押し寄せて来る
だが、それはすべて魔力…すなわち射手であるナイス自身の生命エネルギーそのものである。それだけ連射を続けていればおのずと体力も消耗していく。フィリップ・エイー・ルメオは自分を守るために無茶な攻撃を続けるナイスに忠告する。
「ナイス!撃ち過ぎだ!!
森から脱出するまえに魔力欠乏で死んじゃうぞ!?」
「そう思ったら早く行け!
クソッ、しょうがねぇコイツを使うか…」
ナイスはそう言うと矢筒の中から矢を一本取り出した。街道を進むランツクネヒトを見た後、もしかしたら使うかもと思って爆裂の魔法を込めていた矢だ。作戦中止の合図としてブルグトアドルフ上空で爆発を起こさせたのと同じものである。
矢を番え、マジック・アローの連射で
「エイー!目と耳を閉じてろよ!?」
エイーが
矢はマジック・アローに比べれば格段に遅い。だが、距離は二十メートルと弓の名手であるナイスにとっては目の鼻の先と言ってよいほどに近く、目標も動くとはいえ人間よりはるかに大きい巨木である。矢は
ザザザザザザザザザァーーーー・・・・
森全体にざわめきが広がる。矢が命中したトレントは死ななかった。爆裂魔法を込めた矢は音と光は凄いが、威力自体はナイス自身も言ったように手投げ爆弾と同程度であり、巨木をなぎ倒すほどの力はない。
だが、衝撃は凄まじかった。思わぬ攻撃を受けたトレントは後ろへ
「よし!今だ、逃げるぞエイー!!」
ナイスはしゃがみ込んで両耳を塞いでいるエイーの腕を掴み、強引に立ち上がらせ、二人は地面にのたうつように張り巡らされた木の根を乗り越えながら駆け始める。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」
「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ…」
二人は一言も発することなく無言のまま走り続けた。
「ま、まて…待ってナイス!
俺たち、また登ってる!!」
「え!?…ああっ!?」
今や地面を覆うように伸びた木の根は人間の腰ほども太くなっており、それを乗り越えるのは陸上競技のハードルなみに足を高く上げなければならなくなっている。そのせいで気づかなかったが、彼らはいつの間にか再び斜面を登っていた。それまで斜面をずっと下っていた筈なのに…
二人は立ち止まり、肩で息をしながら周囲を見回す。
「クソッ、何でまた!?」
「俺たち、方向感覚を狂わされてるんだ。
きっと、まっすぐ走ってるつもりだけど、曲がってるだよ…」
エイーは意外と冷静だった。自分が素人であることを自覚していた彼はこれまでの判断をほぼすべてナイスに任せていたからだろう。自分の責任ではないことに対し、人間は意外と冷静を保つことができる。いわゆる
だが、当事者はそうではない。自分で考え、自分で決めたことで失敗すると…特にそれによって仲間や第三者に害が及ぶとなると平静を保つのは難しくなる。ナイスは苛立って言った。
「そんなのは分かってる!
だけど、だけど…どうすりゃいいんだ!?どうすれば…」
「……ひとまず、ひとまず落ち着こう…
幸い、トレントたちは
エイーの言う通り、まるで津波のように押し寄せつつあったトレントの気配は感じられない。木の根のせいで本来のような速さで走れない今の彼らでも、しばらくは追いつかれずに済むだろう。
だが、森のザワザワというざわめきは遠巻きにではあるが、彼らのほぼ全周から聞こえている。いずれにせよこの森は敵のフィールドであり、今彼らは敵に囲まれているのだ。このまま走っていてもいずれ見つかるし捕まるだろう。いや、もう見つかっていてここに押し寄せている最中なのかもしれない。
二人はそのまま黙りこむと、呼吸を整えることに集中した。そして、一人で目を閉じ、短時間
「エイー…ここで別れよう。」
「ええ!?」
事情が分からずエイーは混乱する。
「待ってくれ、俺は山には素人なんだ!
こんなところで一人にされちゃ「落ち着け」…」
慌てふためくエイーを黙らせると、ナイスは手に持っていた弓を小脇に挟み、自分のグローブを外しながら話し始めた。
「エイー、聞いてくれ…
敵は
《
「ち、違わないけど…」
「《地の精霊》やドライアドはともかく、トレントは脚が遅い。
なのに、行く先々に現れる。先回りされているのか、それとも俺たちが
ナイスの予想はエイーが考えていたことと同じだった。視線で同意を求めるナイスに、エイーは黙ったままコクリと頷く。
「精霊が、離れたところからでも俺たちの居場所を探り出すとしたら、それは多分俺たちの魔力を探ってるんだ。犬がニオイを頼りに獲物を探るように、奴らは俺たちの魔力を頼りに俺たちを探してるんだ。」
そう言うとナイスは自分の指から二つはめていた『
「ナイス…まさか!?」
「ああ、そのまさかだエイー。これを付けるんだ。」
「待ってくれナイス!
そんなことしたら君は!?」
今、二人とも『魔力隠しの指輪』を二つずつ付けている。一つは自分ので、もう一つは今回の作戦のために仲間から借りたものだ。指輪をつける個数を増やせば、どうやら精霊は自分たちの魔力を感知できなくなるらしいことはこれまでの作戦でも確認されている。もし一人で三つつければ、確かに発見される可能性は格段に低くなるだろう。だが一方が三つつけるということは、もう一方は指輪一つだけになってしまい、逆に精霊に見つかりやすくなってしまう。
ナイスはフッと笑った。
「俺はレンジャーだ。山の中で鬼ごっこさせたら、俺は『勇者団』で最強だぞ!?
山の中ならファドにだって負けないさ。」
そこまで言うとナイスは作り笑いを消し、真剣なまなざしで続ける。
「お前と一緒にいるよりは一人の方が俺は自由に動けるようになる。
そして、俺が精霊どもを引き付けてやる。
その間に、お前はコイツで気配を消して逃げるんだ。」
「待ってくれ!待ってくれナイス!
俺は…一人でなんて無理だ!
俺は山には素人なんだ」
「大丈夫だ!
この山は狭い。いや、山じゃなくて丘だ!
本当ならまっすぐ一時間も歩かないうちに西の川にたどり着くはずなんだ。」
「で、でも…」
「ああ、まっすぐ進んでるつもりがまっすぐ進めないって言うんだろ?
俺たちが斜面を下るとトレントに先回りされる、そして慌てて方向を変える…それで方位を見失って同じところをグルグル回る羽目になる。
でも、気配を消して先回りされないままでいれば、今よりはマシな筈だ。
大丈夫、森中のトレントを俺が引き付けてやる。
お前は先に脱出して、それでみんなを連れて助けに来てくれ…」
言っている理屈は分からないではないが、夜中の山を一人で
なんとかナイスのこの考えを諦めさせなければ…
だがナイスを説得する時間はなかった。頭の中で言葉を探している間にトレントが迫ってきたのである。ザワザワという枝葉の成る音と、ズズズズと重たいものを地面に引きずるような重低音が近づいている。
「クソッ!もう来やがった!?」
ナイスは音のする方を見てそう毒づくとエイーの手を取り、指輪を強引に握らせた。
「時間がない!
じゃあコレ付けて逃げろよ!?頼んだぞ!?」
「あ!?待って!ナイス待ってくれ!!」
だがエイーの制止を振り切り、ナイスは飛び出してしまった。
「ほーらウドの大木ども!!
節穴の目じゃ俺を探すのも一苦労か!?
俺はコッチだ!悔しかったら追いついてみやがれ!!」
わざと挑発するように笑い、マジック・アローを放つ。
「ナイス!ナイスやめてくれ!まってくれ!!」
「早く指輪を嵌めろ!
頼んだぞ!?」
ナイスはそのまま暗闇の向こうへ駆けだして行った。
おお、おおおおおー---っ
風か、それともトレントの声だろうか…おぞましい声が聞こえ、エイーは慌てて手に握らされた指輪をはめる。
「ナイス、ナイス…勝手な事を…」
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