第1213話 騙された!?

統一歴九十九年五月十一日、朝 ‐ 『勇者団』ブレーブスアジト/シュバルツゼーブルグ



「ん……何だお前たちはヴァッ・サイッ・イァ・フェ・ロイタ!?」


 ドカドカと無遠慮な足音を立てて踏み込んできた男たちはティフたちの姿を見つけるや否やアルビオンニアなまりのドイツ語で話しかけてきた。人の気配には気づいていたがここは倉庫街……周辺を人足にんそくが行き来してはいるのは当然だし、誰も使ってないからアジトとして好きに使って良いと聞いていたからティフ達はどうせ人足たちは入ってこないだろうと完全に油断していたティフ達は、突然人の気配が建屋内に入ってきたことに驚いて身構えはしたものの、ほぼ完全に虚を突かれる形になった。


「?……何だお前たちはクァルス・ホミネス・エスティス!?」


 男たちが話すドイツ語が分からず、仲間たちを守ろうとティフやソファーキングの前に立ちはだかったスワッグが投げかけたラテン語の質問は、奇しくも男が投げかけて来たドイツ語の質問と意味が全く同じだった。

 男はドイツ語が通じないことに気づいて顔をしかめ、小さく首を振ると気を取り直したように今度はラテン語で問いなおす。


「それはこっちの質問だ。

 お前たちは何者だ!?

 何でこんな所にいる?

 そこで何をしていた!?」


 偉そうに腕を組んで尋ねる肌の黒い男はかなりな肥満体であり、背を反らせているのかそうではなくても普段から突き出ているのかわからない腹を揺すった。男たちの中で唯一頭に大きな袋のように見える帽子をベレー帽のように片耳を隠すようにかしげて被り、上半身は白いシャツ、緑のベスト、黒いジャケットをまとい、そして下半身は茶色い膝下丈のやけにゆったりとしたズボンを履き、膝と黒い革靴の間を白い布で覆っている。ティフ達の目にはかなりみすぼらしく見えるが、背後の男たちよりはずっと上等な格好である。鼻息が荒いのはここまで歩て来たからでも興奮しているからでもなく、おそらく太り過ぎが原因だろう。

 背後の男たちは太ってはいないがほぼ全員が屈強そうなマッチョマンであり、いかにも肉体労働者といった感じである。服装は随分とくたびれたプールポワンと黒や茶色の長ズボンといった格好だ。足元は一応靴を履いているが、何人かはサンダルである。帽子を被っている者は半数ほどか……いずれも鍔の短いフェルト帽だ。

 誰も武器のようなものは携帯しておらず、当初はレーマ軍が踏み込んできたか、はたまた強盗が押し込んできたかと警戒していたティフ達は、どう見てもただの人足にしか見えない男たちの登場に逆に戸惑いを隠せない。何が起きたか分からないと言った様子だ。

 状況が読み込めず何と答えたらいいか分からないスワッグの横にソファーキングが進み出て代わりに答えた。


「俺たちはここを整理してたんだ。」


「整理だと?」


 肥満の男がいぶかしむように顔をしかめる。


「そうだ、俺たちはこの倉庫を借りたんだ。

 この街で新しく商売をはじめるためにな。」


 新しく商売を始めるというのはもちろん嘘だが、倉庫を借りたというのは間違いない。クプファーハーフェンで見つけた支援者と相互支援の契約を交わした彼らは、シュバルツゼーブルグ周辺での活動の拠点としてこの倉庫を紹介してもらい、丁度空いていて誰も使わないからと借りたのだ。このアジトについて『勇者団』に後ろめたいことは何一つない。

 ソファーキングが自信たっぷりに言うと肥満の男は少し驚いたように目を丸くし、そのまま背後の男たちを右や左から振り返った。男たちは互いに目を見合わせ、無言のまま首を振る。

 肥満の男は正面を向いてムスッとした表情で吐き捨てるように言った。


「そんな話は聞いておらんぞ!?

 ここはヘーレン商会の倉庫だ。

 いったいいつ、誰と契約した?」


 今度はソファーキングたちが戸惑う番だった。互いに顔を見合い、男たちに向き直る。


「先月だ!

 クプファーハーフェンの大きな商館で……たしかヘーレン商会だったぞ!?

 ちゃんと契約したんだ!」


「ウソだ!」


「ウソじゃない!」


 ソファーキングは声を大にして訴えると、肥満の男はその巨躯きょくに相応しい野太い声を響かせた。


「先月契約したならワシが知らんはずがない!

 だいたいヘーレン商会シュバルツゼーブルグ支店を預かるワシの居らんところで、ここの賃貸契約なぞ出来るわけなかろうが!?」


「!?」


 予想外の話の展開にティフ達は狼狽うろたえ始めた。思わず半歩下がったソファーキングに替わり、今度はスワッグが前に出る。


「待ってくれ。

 俺たちは本当に契約したんだ。

 対価だって払ってる。

 クプファーハーフェンの港町にある三階建ての大きな商館で、地階が灰色の石積みで、一階から上はオレンジの壁で柱や窓枠は黒っぽい焦げ茶色、屋根は緑の銅板きの特徴的な建物だった。」


「ハンッ、そりゃ確かにヘーレン商会の本店の建物だな。」


 スワッグの言った建物は確かにヘーレン商会本店の建物の特徴そのものだった。軍隊が行軍すればその半分くらいだが、一般人が徒歩や荷馬車で移動することを考えればシュバルツゼーブルグとクプファーハーフェンは早くても十日以上、下手すると半月ちかくかかる距離である。途中『東山地』オストリヒ・バーグと呼ばれる山岳地帯を越えねばならぬこともあり、クプファーハーフェンとシュバルツゼーブルグを行き来したことのある人間は限られる。実際、この世界ヴァーチャリアに「観光旅行」などという概念は存在せず、一般人の九割は生まれ育った街や村から外へは一生涯出ることもないのが実情だ。

 そんな中で実際にクプファーハーフェンの街にある商館の特徴を言い当てられれば、それだけでも結構な説得力が出てくる。少なくとも目の前の少年たちはクプファーハーフェンに行ったことがあるのだろう、もしかしたらヘーレン商会の商館で誰かと契約をしたというのも嘘ではないかもしれない……肥満の男はそう考え始めていた。が、ヘーレン商会の内情を知るこの男がそんな契約のことなんか聞いたことも無いということは、本当に正式に契約が結ばれたわけではないのだ。おそらく、どこかで行き違いか勘違いがあるのだろう。

 肥満の男は少し態度を柔らかくしつつも、相変わらずの顰めっ面で続ける。


「だが対価だと?

 いくら払ったってんだね?」


 ソファーキングはスワッグと、次いでティフと顔を見合わせると答えた。


「金は払ってない。

 代わりにレシピを渡したんだ。」


「レシピぃ~?」


 聞いた途端に肥満男の顔が胡散臭うさんくさそうに歪む。


「薬のだ。

 ムセイオンの、最新の薬だぞ?

 俺たちの仲間にムセイオンで錬金術を学んだ奴が居るんだ。

 それをアルビオンニア属州内で独占的に生産し、販売する権利をヘーレン商会に渡し、代わりにここと、あと何か所かの建物と馬と資金を手配してもらった。

 俺たちが新しい商売をするのに必要な手助けを、他にも色々してもらうことになってる。」


 肥満男はソファーキングの話を聞くと、スーッと鼻で大きく息を吸いながら仰け反り、そしてフンッと鼻を鳴らすと首を振った。


「そりゃ何かの間違いだ。

 ヘーレン商会うちは薬なんか扱っちゃいない。」


「そんな!」


「本当だ。

 ヘーレン商会はクプファーハーフェン男爵の御用聞きだ。 

 だから色々手広くやらせてもらっちゃいるが、薬はあきなっちゃいないんだ。」


 話が見えなくなり、途方に暮れてしまったティフ達に男は今度は憐れむような表情を見せた。どうも何か心当たりがあるようだ。


「商館の中で契約したと言ったな?」


 肥満男が尋ねるとスワッグとソファーキングはそろってティフを振り返った。契約をしたというのは、二人は話に聞いていただけで契約の場にいたわけではない。その場にいたのはリーダーのティフとサブ・リーダーのスモル・ソイボーイ、そして付与術師エンチャンター錬金術師アルケミストのスマッグ・トムボーイの三人だけだった。

 NPCと話なんかしたくなくて男たちとのやりとりをスワッグとソファーキングに任せていたティフだったが、二人では対処しきれなくなったと判断するとフゥーと小さく溜息をつき、いかにも仕方ないという風に答えた。


「ああ、商館の一階の奥の部屋だった。

 それなりに立派な部屋だったぞ?」


 だが今度は肥満男の方が溜息をついた。


「一階は取引先や出入りの業者たちが使うために無料で貸し出している部屋があってな、いつでも誰でも使えるんだ。」


 肥満男が低く、穏やかな声で説明するとティフの頬がピクリと痙攣する。


「たまにいるんだ。

 何も知らない奴をそこへ連れ込み、いかにも自分はヘーレン商会の人間ですってつらしてな、『ここでしばらくお待ちください、すぐに商会長が参ります。お荷物はこちらで預かりましょう。』なんて言って荷物を預かってな、いなくなるんだ。

 連れ込まれた方は商館の雰囲気にのまれてすっかりし信用し、商会長が来るもんだと思って荷物を預けたまま大人しく待つんだが、待てど暮らせど商会の人間は誰も来ない。

 その間にそいつは巻き上げた持ち物を持ったままトンズラ……気づいた時は手遅れって寸法さ。」


 いわゆる「篭脱かごぬ詐欺さぎ」というやつだ。ヘーレン商会に限らず貴族の御用商人は金貸しなども営んでいる。このため商館は人の出入りは多いし、出入り業者や取引先業者ら同士が商談することもあるため、商館の一部を無料で貸し出すことも多かった。そのシステムを利用した詐欺事件は、特に貿易などで人の出入りの多い都市では珍しくなかったのである。


「お、俺たちは何も盗られてない!!」


 同情するように肥満男が言うとティフはムキになって反論した。だが肥満男の表情は暗く、残念そうだった。


「薬のレシピを盗られたんだろう?」


「むぐっ!」


「ともかく、お前さんたちがしたという契約は嘘だ。

 お前さんたちは騙されたのさ。」


 肥満男の残酷な結論にティフは言葉に詰まり、スワッグとソファーキングの表情は驚愕に染まる。


「まあ、ヘーレン商会ウチとしてもウチの看板を詐欺に利用されたとあっちゃ面白くねぇ。

 見つかるとは思えんが、ソイツを手配するだけはしてみよう。

 お前さんたちが契約したって奴、顔とか名前とか、分かるか?」


「な、名前はたしか、ベトリューガーって、名乗ってた。」


 茫然としたままのティフが記憶をたどりながらたどたどしくそう答えると男たちは一斉に目を丸くし、一瞬の沈黙の後で笑い出したのだった。

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