第1335話 開き直り

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ・裏/アルトリウシア



「“証拠”が残らぬわけはありますまい!」


 ルキウスを見下ろし、唖然としていたアルトリウスが口をへの字に結んだと思いきや次の瞬間に発した言葉は叱責に近かった。ルキウスは表情を険しくし、舌打ちでもするように顔を背ける。


「通常の手段では得られる情報をリュウイチ様からもたらされ、それを基に我々が何らかの行動を起こせば、いくら“証拠”そのものが残らずとも必ず不合理な点が出て来ます!

 養父上ちちうえ! いけません!!」


 ねたような態度を示すルキウスにアルトリウスが続けると、ルキウスはスッとアルトリウスへ向き直った。


「そうはなるまいよ。

 お前だってたった一つの情報を基に軍団レギオーを動かす様な真似はすまい?

 それとも、お前はリュウイチ様の申されたことなら全て鵜呑うのみにするのか?」


 シトシトと振り続けていた雨が急にサァーッと強くなる。ルキウスは頭に被っていた外套パエヌラのフードを被りなおした。雨脚が強まったのは一瞬で、すぐにまたシトシトとかすかな雨音を立てるだけの弱い雨に戻ったが、ルキウスは要塞司令部プリンキピアへの歩みを再開する。


「こんなところでいつまでも立ち話を続けるくらいなら、向こうで続けよう。

 ここは冷えてかなわん!」


 アルトリウスは自分の頭や顔に付いた雨粒を右手で払い落し、自身も外套のフードを被ると小走りでルキウスを追った。杖を突きながらいつもの半分の歩幅で歩くルキウスには、アルトリウスの小走りなら数歩で追いつく。ルキウスは振り返りはしなかったが、すぐ横にアルトリウスが並んだことに気づくと歩きながら話を再開した。


「一つの情報で全てを決するわけがない、そうだろ?

 必ず他の情報と照らし合わせ、整合性を確認するはずだ。

 リュウイチ様がもたらしてくださる情報だって、信用に足るとは限らん」


「リュウイチ様が嘘をつかれると?」


「そうは言っておらん」


 ルキウスは小さく笑った。


「リュウイチ様が使役しておられる精霊様エレメンタルは、数の概念を理解できんそうではないか。

 おまけに御興味の無い只人ただびとについては、誰が誰やら判別すらなされん。

 アルビオンニウムやブルグトアドルフの情報でも、敵味方の勢力がどの程度かはこちらで推測するしかなかっただろう?」


 精霊は一般に数の概念を理解できない。単独か複数か、あるいは多いか少ないかは理解できるし伝えることも出来るが、正確に数を数えていくつというような話は出来ないのだった。ブルグトアドルフやアルビオンニウムで起きた戦いの状況をリュウイチに中継してもらった時も、敵味方の各部隊の人数は正確には伝わってきていない。幸い、自軍部隊の人数はあらかじめ正確に分かっていたのと、自軍部隊なら部隊単位で……基本的には百人隊ケントゥリア単位で動くはずだという前提の下に、それと比較して敵部隊の人数を推測しつつ現地の情勢を判断していたに過ぎない。

 おまけに魔力を持たない人間に対して特別興味を持たない精霊は、ゲイマー以外の人間やリュウイチと近しい人物以外の名前を憶えてくれない。実際、アルビオンニウムからルクレティアと同行しているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの指揮官がカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子であることが判明したのは《地の精霊アース・エレメンタル》からの念話によってではなく、現地からの早馬タベラーリウスが齎した報告書が届いたからだった。

 数字という要素が欠落している情報は、正直言ってあまりアテにできない。情報の伝わり方によっては、少人数による偵察行動を敵主力の攻撃だと勘違いしてしまうかもしれないし、その逆もあり得る。特定の個人以外は種族と性別ぐらいしか判別できないというのも問題だ。報告の対象となっている相手が何者なのか……それが不明では迂闊うかつな判断など下せないではないか。正体不明アンノウンを正体不明なままで対応できる範囲は限られるのだ。


「しかし……リュウイチ様が嘘をつくか……それも無いわけではないだろうな」


 フードに隠れて表情は見えなかったが、ルキウスのその声は笑っているようだった。


「……養父上ちちうえ


「嘘かどうかはともかくだ、どのみち他の情報と照らし合わせにゃならんのは事実だろう?」


「それは……確かにそうです」


 一つの情報だけを頼りに全体を判断するのは危険だ。たとえば敵の通信文を入手し、その内容を解読できたとしても、そこに書かれていることを全面的に信じて良いわけはない。敵を騙すために偽の書類を死体に抱かせて海に流し、敵に拾わせるような偽装工作が成された事例だってあるのだ。情報は常に他の情報と照らし合わせ、何らかの罠ではないか、誤情報ではないかは常に確認する必要がある。そしてそれはリュウイチが齎す情報であったとしても同じだろう。特に精霊から得た情報はルキウスが指摘したように数的な情報が欠落しているため、多くの部分を推測によって補わねばならない。


「つまりだ。

 確認、すり合わせのための情報収集は常に行わねばならんのだ。

 第一報がリュウイチ様によって齎されたものだったとしても、他の情報が揃うまではどうせその情報の扱いを保留することになる。

 その段階で、《レアル》の恩寵おんちょう独占をとがめられることの無いよう細工すればよい。

 リュウイチ様の情報が決定的な役割を果たしていたわけではない……そう言い得る状況を、作り出すのだ」


 前をまっすぐ見ながら歩くルキウスの呼吸は乱れ始めていた。一週間、寝たきりだったのだから体力が落ちているのだろう。それが無かったとしても腰痛のために身体をあまり動かさない生活を十年以上続けていたのだから、元々体力が弱いのだ。フーフーという鼻息が水気の混じった足音と共に狭い通路に響いて聞こえる。


「……養父上ちちうえ


 沈痛そうなアルトリウスの呼びかけは、彼が同意しきれないことを現していた。


「それはやはり、今からでは難しいでしょう」


 ルキウスの足が止まる。もう要塞司令部プリンキピアの裏口は目と鼻の先だ。


「何が難しい!?」


 荒い息遣いと共に吐き出されたその声には、アルトリウスに対する憤りが色濃く滲んでいたが、しかしそうした養父の反応は予想し覚悟していたのだろう。アルトリウスは今度は狼狽うろたえなかった。


養父上ちちうえが先に情報が知りたいと申し出てしまいました。

 これ以降、リュウイチ様が我々に何か御報せいただけたとしても、それは養父上ちちうえの要請を受けてのものととられるでしょう」


 カツンッ!!……ルキウスが手に持っていた杖で石畳を突き、甲高い音を立てる。


「あの場にいたのは私とお前とリュウイチ様だけだ!

 他の奴隷セルウスたちは全員、お前の被保護民クリエンテスだろうが!?」


 つまり、全員関係者だからいくらでも口止めができるだろうということだ。被保護民と保護民パトロヌスは理想を言えば無条件に協力し合う運命共同体である。その被保護民に言うことを聞かせられないとすれば、それは保護民にとって恥でしかない。みっともない泣き言を言うな……ルキウスの言いたいのはそういうことだった。

 言いたいことは分かる。だが理想と現実は必ずしも合致しない。そもそもあの奴隷たちは軍命に背いたからこそ奴隷に堕ちたのだ。保護・隷属契約クリエンテラより強力なはずの軍命に背いた彼らの被保護民としての信義フェデスがどれほどのものか……アルトリウスはそれを無条件に信じるほどお人好しではない。が、それを言ったところで泣き言にしかならない。保護民は被保護民に対し、保護・隷属契約パトロキニウムを結んだ時点で無条件に信義を尽くしてやる義務が生じるからだ。

 閉口しながらもルキウスの叱責に明らかに納得してない様子のアルトリウスに、ルキウスは語気を抑えながらも続けた。


「大体、お前は既にリュウイチ様からアルビオンニウムやブルグトアドルフの状況を教えていただいたのだろう?

 既にやっておるではないか。

 それを続けようというだけの話だ。

 それの何が悪い?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る