第1336話 ルキウスの指示

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ・裏/アルトリウシア



「あれは……あれはリュウイチ様の方から御報せいただいたものです。

 こちらから要請したわけではありません」


 アルトリウスの反論にルキウスは揶揄からかうようにとぼけてみせた。


「ふむ、そうだったかな?」


「そうですとも!

 リュウイチ様がルクレティアの身を案じ、我々の対応を期待なされたのでしょう。

 リュウイチ様が我々を利用しようとしたのであって、我々がリュウイチ様の御力を利用したわけではありません。

 逆です!」


 気づけばアルトリウスの声は再び少し大きなものになっていた。大柄なハーフコボルトのアルトリウスが大きな声を出してしまうと、大抵の者は威圧され怖気おじけづいてしまうものだが、アルトリウスの目の前にいる当のルキウスは例外である。フムッ……と、ルキウスは鼻を鳴らした。納得したようにも鼻で笑ったようにもとれる何とも太々ふてぶてしい態度であった。


「だから今後も、そう言えるような形で、リュウイチ様に御助力いただこうという話ではないか」


 アルトリウスはうんざりしたように肩を落とす。ルキウスの悪いところだ。

 貴族の次男坊として生まれ、跡取りの予備として育てられた彼は貴族社会に対し、統治者・為政者としての貴族に対し、失望と諦観とを抱き続けて来た。それは裏を返せば、貴族という身分に、統治者や為政者という立場に、強い理想を抱き続けていたということでもある。強い理想を抱きながらも自らがそうなることを許されず、ただただ他の貴族たちがルキウスの理想に反する言動を繰り返すさまを見せられ続けた結果、社会を、貴族を、統治者や為政者を、酷く軽蔑するようになってしまった。孤高の理想主義者が強大な現実に拒絶され続けた結果、行きつくなれの果てはたちの悪い超・現実主義者と相場が決まっている。ルキウスもまたその一人だ。腹の底で自分を含めた貴族たちを嘲笑いながら、最もおぞましい唾棄すべき現実に身をおどらせることを全くいとわない悲しき理想主義者……その行動原理は機会主義そのものであり、どこまでも実存主義的である。

 バレなければいい。どうせ潔癖な者など居ない。完全犯罪は犯罪ではない……そんな極端に割り切った考えの先に待っているのは破滅だけだ。ルキウスだってそれは分かっている。だが、ルキウスは自分自身さえ嘲笑の対象とするほど貴族社会への絶望に身を沈めた男だ。理想のため、目的のためならば自身が破滅することさえ、厭いはしない。


 そうまでして何を為そうというのだ、養父上ちちうえは?


 アルトリウスにはルキウスがどういう人物かはそれなりに把握しているつもりだ。もっとも近い親戚の一人だったし、実父が亡くなってからは養父でもあるのだ。だがルキウスが何を目指しているのか、時々分からなくなる。


「難しく考えるな。

 さっき、お前も言っただろう?

 リュウイチ様が我々を利用されようと自ら知りえた情報をお前に報せたと。

 その結果、お前もいくらか助かっただろう?

 そういう、お互いがお互いの利益になるような関係を築こうというだけのことだ。

 リュウイチ様に知りえた情報をお知らせいただく……

 それをその関係を築く糸口にしようというだけのこと……

 それをスムーズに行うため、お互いの距離を縮めていきましょうと、そういう話をしようとしておったのではないか」


 ルキウスは杖を持ち上げ、持ち上げる動作の中で持ち手の位置を下にずらすと、手から上に大きく突き出ることになった握りの部分でアルトリウスの胸をトントンと叩いた。


 これ以上は言い合っても無駄だ……


 ルキウスが実際どういうつもりであのような話を切り出したのかは分からない。だが、今言ったような、お互いの利益になるような関係を築いていこうという話をしようと、あの時から考えながらしゃべっていたはずはない。リュウイチに情報を提供する仕事を供するというアイディアについてどう思うか、この裏路地に来てからルキウスはアルトリウスに尋ねたではないか。リュウイチに情報提供する役割を与えることでリュウイチとの関係を築くというアイディアは、この裏路地に来てからルキウスの中でまとまったのだ。それがまるで最初からそう狙ったかのような話にいつの間にかすり替わっている……きっと本人の中での認識も、アルトリウスと話をしている間にそのように改竄かいざんされてしまったのだ。その時々の思いつきで話をしていると、こうなってしまうことは誰にでもあることだ。そこをあえて突っ込むと、相手は却って感情的になって関係がこじれてしまう。

 アルトリウスが渋面を作りながらも「すみません養父上ちちうえ」と述べると、ルキウスはフンッと鼻を鳴らして杖をストンと落とすように杖を降ろし、石畳に突き立てた。


「それはそうとアルトリウス!」


 話題をどうやら変えるようだが、ルキウスの苛立いらだった様子はそのままだ。


「な、何でしょう養父上ちちうえ?」


「アウルスは、まだ乳飲ちのだったな?」


「え!?……ああ、はい……」


 アウルスはちょうど今日で生後六カ月になるアルトリウスの息子だ。ホブゴブリンの子はヒトより成長が早いとはいえ、離乳食はだいたい生後十か月ぐらいから始まるから乳離れはまだまだ先である。

 戸惑うアルトリウスに顔をしかめながらもルキウスはズイッと身体を押し付けるように寄せて来た。小声で話す時の姿勢だ。他に聞く人もいるわけの無い場所だが、アルトリウスもルキウスに合わせ身を屈め耳を貸す。


「リュキスカ様に話をしてな、アウルスにお乳を貰えるよう計らえ」

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