第1337話 出し抜き

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ・裏/アルトリウシア



 アルトリウスはバッと身体を起こし、ルキウスを見下ろした。


「驚くことはなかろう?

 昨日の話を聞けば誰だって考えることだ」


「しかし、リュキスカ様はヒトですよ?

 アウルスがお腹を壊したりは……」


 異種族の母乳で赤ん坊がお腹を壊すことは無いわけではない。種族によって母乳の成分は少しずつ異なるから、合う合わないという相性は必ずある。ハーフコボルトとヒトの相性はどうだろうか? ……残念ながらアルトリウスも妹たちもヒトの母乳を飲まされた経験は無いから分からなかった。


「これからリュキスカ様に乳母うばになっていただけというわけではない!

 まずは試しだ。

 合わずば諦める他ないが、問題ないようならたまに頂くくらいはしても損はあるまい。

 我が一門から聖貴族が生まれるかもしれんのだぞ?」

 

「それは……確かに魅力的な話ですが……」


 この世界ヴァーチャリアで魔力は非常に重要だ。魔力を使いこなせる聖貴族コンセクラトゥムともなれば、その能力と数が国の将来性のバロメーターとなりうるほどだ。風属性や水属性の魔法に頼らねば開発の難しい土地もある。地属性の魔法に寄らねば育てられない魔法植物も存在する。製鉄や窯業ようぎょうなどは魔力が必須だ。鉄を溶かすほどの強力な火を起こせば、その火に精霊エレメンタルが宿って暴れ出してしまう危険性があるからだ。《火の精霊ファイア・エレメンタル》を使役できるほどの魔力が無ければ、鉄もガラスも磁器も作れないのである。

 レーマ帝国では領主貴族パトリキという地位は決して絶対ではない。領主は帝国の版図の一部の統治を任されているという位置づけだからだ。領主になるには元老院セナートスの同意がなければなれない。家督相続も、領主という地位だけは元老院の同意を得る必要があるのだ。アルトリウシア子爵家はかつてレーマ帝国と戦ったアヴァロニウス氏族の雄、ユースティティウス家の末裔まつえいである。元老院の中には未だに潜在的な敵としてアルトリウシア子爵家を警戒している者が少なくない。現在の子爵公子であるアルトリウスが、そしてその息子であるアウルスが、アルトリウシア子爵領を必ず継げるという保障は残念ながら無いのだ。

 しかし、自身が魔力を持つ聖貴族であるならば……その地位は揺るぎようがなくなる。仮に領主と言う地位を元老院に奪われたとしても、アルトリウシア家は己が魔力ゆえに上級貴族パトリキとして存続し続けるだろう。


 ホブゴブリンに聖貴族となれるほどの強力な魔力を持った一族はほとんど存在しない。多くの聖貴族は降臨者の子孫であり、降臨者の多くはヒトだったからだ。ゴブリン系の種族はヒトとの間に子を成せない。ゲイマーの中にはハイエルフやハイドワーフ、アンデッドなどといったヒト以外の種族も存在いたが、その数は極めて少ないうえ、ゴブリン系種族のゲイマーは未だかつて降臨したためしが無かった。現在存続しているホブゴブリンの聖貴族は、かつて先祖がゲイマーと行動を共にする中で魔力を得るに至った者たちの子孫のみであり、降臨者の血を直接引くヒトの聖貴族に比べると格段に魔力に劣るのが実情である。降臨者との間に子を成せなかった種族にとって、強力な魔力を持つ聖貴族の輩出は渇望して止まない悲願とも言えた。


 だがリュキスカの子は聖貴族の子でも降臨者の子でもないはずなのに魔力を得た。それも精霊を暴走させてしまうほどの強力な魔力をだ。予想しうる理由はただ一つ、リュキスカの母乳である。リュキスカはリュウイチの寵愛ちょうあいを受けることで魔力を得た。そしてその母乳を飲んだ赤子フェリキシムスも魔力を得たのだ。

 これはつまり、リュキスカの母乳を飲ませて貰えれば、ゲイマーや聖貴族との間に子を成さずとも聖貴族を輩出できるということだ。


 かつてレーマ帝国と敵対していたがゆえに、領主貴族に返り咲いた今でも未だ安定的な地位を確保できずにいるアルトリウシア子爵家が、その地位を盤石ばんじゃくなものとするまたとないチャンス!


 ルキウスの言いたいことは分かる。だがアルトリウスも昨日、ルキウスにその可能性を指摘され考えはしたが、まだ決断しきれないでいた。


 コトには何と言えばいい?

 リュウイチ様の事もまだ言えないのに……

 まだ乳飲み子のアウルスを、コトに内緒で連れだすのは流石に無理だ。

 ウチにリュキスカ様を連れて行くわけにもいかんだろうし……


「まだ何か問題があるのか?」


 逡巡しゅんじゅんしている様子のアルトリウスにルキウスが怪訝けげんな表情を見せる。


「いえ、リュキスカ様の御乳をいただけるならありがたいですが、しかし我々で独占しては他の貴族たちが黙っては……」


「独占せねばいいだけだろう?」


 ルキウスはあきれたように言った。


「他の貴族はもう動いておるぞ」


 今度はアルトリウスが怪訝な表情を見せる。リュキスカの子、フェリキシムスが魔力を得たという話は一昨日、リュウイチから打ち明けられ、アルトリウスが昨日初めて公開した話だ。それ以前に他の貴族が知る可能性はまず無い。とすれば、昨日の今日で早くも動き出していることになる。何か事を起こすなら根回しや下調べをするのが常識な貴族でアルトリウスが気づく間もなく行動を起こしているとすれば早すぎる。


「確かですか、一体だれが!?」


「確実なのはエルネスティーネ侯爵夫人だ」


「!?」


 アルトリウスは耳を疑った。エルネスティーネがフェリキシムスが魔力を得たと知ったのは昨日が初めてだったはずだ。そしてリュキスカは体調がすぐれぬという理由で昨夜の晩餐ケーナでも姿を現していない。リュキスカと接触しようにも昨日は出来なかった筈。


「気づかなかったのか?」


 ルキウスがさも当然の事であるかのように尋ねると、アルトリウスはようやく我に返る。


「それは、いつです!?

 養父上ちちうえはどうしてそれを!?」


 アルトリウスが慌てふためく様子にルキウスは溜息をついて答えた。


「今朝だ。

 カールが我々と朝食イェンタークルムを供にしただろう?」


「ええ、確かに……ですがそれが?」


「カールが我々の食堂トリクリニウムに来るなどまだ早かろう?

 にもかかわらずコッチに来た……いや、寄こされたのは、カールに聞かせたくない話をアッチでしたかったからだ」


 レーマでは家族以外との食事は男女で分ける。そして年端としはもいかぬ子供は男の子でも女たちと一緒に食事を摂る。カールはまだ八歳、ここで暮らすようになってからリュウイチと一緒に食事をする都合上、既に何度かルキウスやアルトリウスとも食事を共にしているとはいえ、他に家族が来ている状況でも母や姉や妹たちから離れて食事をするような年齢ではない。むしろせっかく週に一度の家族が集まるタイミングで、あえてカールをルキウスやアルトリウスたちの食堂で朝食を摂らせるのはもっと別の理由があると考えるべきだ。


「じゃあ今朝、エルネスティーネ侯爵夫人がリュキスカ様に!?」


「間違いないじゃろう。

 今朝、リュキスカ様が回廊ペリスタイルを歩いて女たちの食堂トリクリニウムへ向かうのが見えたからな。

 末娘の……カロリーネだったか? おそらく授乳をせがんどるだろう」


 侯爵家の末娘カロリーネは月齢十一カ月の赤ん坊だ。リュキスカの子、フェリキシムスとは誕生日が二週間と離れていない乳飲み子であり、そろそろ離乳食を始めるころだ。完全に乳離れする前にリュキスカから母乳を与えてもらい、魔力をなるべくつけさせたいと考えても不思議ではない。むしろ当然だ。


「ち、養父上ちちうえはどうしてそれを?」


 言われてみれば当然とも言える話だが、しかしアルトリウスはそこまで話が進んでいるとは思っていなかった。


 気づけなかった自分が間抜けなのか?


 思わず自己嫌悪におちいる。そんなアルトリウスをあわれに思ったのか、ルキウスは溜息を一つついて種明かしを始めた。

 

「アンティスティアから聞いた」


養母上ははうえに?」


 ルキウスの妻でアルトリウスの養母でもあるアンティスティアは、実はアルトリウスと同い年の二十歳のホブゴブリンだ。平民プレブス出身のくせにやたらと貴婦人ぶりたがり、アルトリウスにも色々ゴチャゴチャ小言を言う小姑みたいな女である。正直、面倒くさい相手だと見下していたが、そのアンティスティアに後れをとったとなると我が身が憐れに思えてくる。


「ああ……昨夜な、エルネスティーネ侯爵夫人から頼まれたそうだ。

 リュキスカ様からカロリーネに御乳をいただけるよう頼みたいから、協力してくれとな」


養父上ちちうえはそれを?」


「ああ、昨夜寝室クビクルムで聞いたとも」


 ルキウスの自慢げな表情に、アルトリウスの自己嫌悪を強くしたのだった。

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