第1334話 悪魔の誘い

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ・裏/アルトリウシア



「どう思う?」


 急に表情を険しくしたと思ったら突然そう質問してきたルキウスにアルトリウスは唖然とした。


「ど、どう思うって……御自分で考えられたんじゃなかったのですか!?」


「いや、今さっき考えた」


 パスッ! ……アルトリウスは天を仰ぎながら自分の額に手を当てる。


「……呆れたな。

 では先ほどのリュウイチ様への申し出は何だったのです!?」


 カフェの時間、リュウイチに何故ああ言ったのかはルキウス自身にも何とも言えなかった。何となく……今から思い返せば思いつきだったのかもしれない。ただでさえ色々と起きすぎていて正直言って対処しきれなくなっているのは紛れもない事実だ。この状況でルキウス自身は良く対応できていると言って良いと思う。領内で起きた叛乱事件の対応だけでも手一杯だというのに、先月起きたリュウイチの降臨は子爵領の運命どころか世界の命運を担っていたと言っていい。それもこれもエルネスティーネを始め、アルビオンニア貴族たちの協力とサウマンディアからの支援があったればこそだ。


 だというのに……


 サウマンディアがここへきて急に予想外の動きをし始めている。当初、混乱と負担を恐れアルトリウシアに任せていた《暗黒騎士リュウイチ》が、実はかなり温厚な性格で御しやすい相手だと判断するや否や、様々な手で介入を始めて来ている。以前、リュウイチをサウマンディウムへ招待したのもそうだし、今回の肖像画やグルギアのこともそうだ。こういうことは前もってアルビオンニア側に一言あってしかるべきなのに、何も知らせずに不意打ちのように手を打ってきている。

 エルネスティーネによればクプファーハーフェンからレオナードがこちらへ向かっているという話もある。レオナードはエルネスティーネの亡夫で前アルビオンニア属州領主だったマクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵の実弟だ。マクシミリアン亡き後起きた御家騒動を一喝して治めたこともあってエルネスティーネはレオナードを強く信頼しているが、ルキウスはそうでもない。レオナードのことは子供のころ(当時はレオナルトと名乗っていた)から知っているが、昔からどうも馬が合わなかった。それが叛乱事件やら降臨やらがあってエルネスティーネがいち早く相談の手紙を出していたというのに、ろくに返事も寄こさず今頃になって直接こちらへ乗り込んでくるというのである。しかも実際に来る日時やルートは伏せたままだ。何を考えているのか分からない。

 このような時だからこそ、せめてアルトリウシアの貴族たちだけでも結束を硬くせねばなるまい。だが現実はそうなってもいない。エルネスティーネはともかく、侯爵家の家臣たちはマルクスの態度やサウマンディアの動向に神経質になりすぎているようだ。

 そしてルクレティアの父ルクレティウス・スパルタカシウス……アルビオンニア属州の神官たちを取りまとめる最高位の聖貴族であり、その威光はアルビオンニア属州に留まることなく、サウマンディアはもちろんレーマ帝国の広い範囲に及ぶだろう。一昨年の火山災害の被害を防げなかったうえに自身も災害被害に巻き込まれて下半身不随になった老神官は、それでもルクレティアがレーマ留学を中断して帰郷してからはだいぶ落ち着きを取り戻していたのだが、リュウイチが降臨し、その聖女の座に愛娘ルクレティアを差し置いてリュキスカなどと言うどこの馬の骨とも知れぬ娼婦がついてからはどうにも荒れ気味で落ち着きがない。娘可愛さゆえの暴走なのだろうが、影響力と自尊心が大きすぎるこの友人について、ルキウスは何をしだすかわからない危うさを感じ始めていた。

 一番頼りにしたいアルトリウスはまだ若く、ルキウスの目には未熟さが目だつ。昨日もリュキスカの赤子が魔力を得たという情報をあまりにも不用意に公開してしまった。あんなものは会議にリュウイチを出席させて自身から報告させるようなものではなく、アルトリウスの一存で内々に処理してしまうべきものだったのだ。


 こんな状況でもリュウイチの眷属や念話を利用できれば……と、無意識に思ったのかもしれない。

 権謀術数渦巻く貴族社会で情報こそは最大の武器だ。帝国最南端の辺境でさえ、ゴチャゴチャとしがらみと欲望が渦巻いてウンザリしてくるが、リュウイチを味方につけてその情報力を利用できさえすれば……この後レオナードどころか、レーマ本国やムセイオン、果てはチューアや南蛮までもが乗り出してきたとしても優位を、そしてアルトリウシアの領土安堵を保てることだろう。


 しかし、今それを云々する時間ではない。ルキウスはアルトリウスに迫った。


「そんなことはどうでもいい!

 アルトリウス、お前はどう思う?」


 アルトリウスはジッとルキウスを見下ろし、ふと何かに気づいたように視線を逸らせた。まるでどこかに答が落ちてないかと探すように。


「……他にないんですか!?」


「ない!」


 珍しいくらい早く、断定的なルキウスの答えにアルトリウスは再び視線をルキウスへ戻す。


「しかし、明確に大協約に反します!

 もしバレれば……」


 彼らアルトリウシア子爵家の地位は決して盤石なものではない。ルキウスの兄でアルトリウスの実父グナエウスが初めて叙爵されたアルトリウシア子爵位は、先代侯爵マクシミリアンがレーマ本国に働きかけて新設されたものだ。その時、かつてレーマ帝国に歯向かったアヴァロニウス氏族の末裔まつえいが叙爵すると聞いて、レーマ本国ではかなりな騒ぎになっている。もしもルキウスが大協約に反したとレーマ本国に知られれば、アルトリウシア子爵位はどうなってしまうか分かったものではない。レーマ帝国では領土はあくまでも帝国から統治を任された土地であって、領主固有の土地ではないのだ。元老院セナートスが明確に敵に回れば、どんな領主貴族パトリキであっても放逐されかねない。


「分かっているだろう?

 聖遺物アイテムを貰ったところで、何か御自身で働いてもらったところで、いずれにせよ何がしかの“証拠”が残る。

 だが情報ならどうだ?

 ただ、リュウイチ様が見聞きしたことを教えていただくだけなら、伝言をしていただくだけなら、“証拠”など残るまい!」


 リュウイチが何かをしたがっているというのは本当だろう。聞けばいにしえのゲイマーは自らを冒険者と称し、クエストと称して仕事を請け負っては傭兵働きをしていたという。リュウイチもまたそのような冒険者なる存在であろうとしている可能性を否定する材料は見つからない。

 しかし、世界はそうしたゲイマーの傭兵働きによって混乱に巻き込まれ、大戦争まで引き起こされたのだ。大協約が降臨を防ぐべきと定めているのは、ゲイマーの傭兵働きによって世の秩序が乱されるのを恐れればこそである。ルキウスの言っていることは、大協約を定めた者たちが最も恐れていたことに対する正当化に他ならなかった。

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